バカ女子高生だった私が、東大に受かった次の日、「バカだと思ってた」と言われた話。/志 帆

遅刻は年間60回以上。よく補習に顔を出す。

テストで2点を叩き出し、隣のクラスにまで知れ渡る。

サボリが多く、「あと一回授業を休んだら留年です。出席して下さい。」という手紙が先生から届く。

試験をサボって友人とラーメンを食べに行き、追試をくらう。

授業態度の悪さから、座席は常に一番前の列、真ん中の「お見合い席(うちの高校ではそう呼ばれていた)」。

そんな、ふざけた高校生でした。

「大学行かないで、中東に行って石油王になるよ」

そんなバカげたことを「将来の夢」という課題に書いたりしているバカな高校生でした。

高校のレベルは中の上で、私の受験する前の年に1人だけ、東大合格者が出ていました。

翌年、自分が東大に合格するとは、生徒も先生も誰も思っていなかったと思います。

高校時代の自分は、東大に行く、と決めたものの本当に行けるのか不安で、しょっちゅう携帯で、「バカ E判定 東大 合格」と調べ、似たような境遇(成績のふるわない所から東大受験をする例)の人の合格体験記を探していました。

この体験談が、そんな昔の自分に似た後輩たちのためになることを願って。

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まず、私がなぜ東大に行こうと思ったのかを少しばかり。

一番大きな理由は、ギャルっぽい高校の同期に、

頭、弱くね?www

と言われてカチンときたことです。笑

それまでは点数悪いね、と周りからひやかされたって、点取れるかどうかなんて、時間を割くか割かないかの違いじゃん、とヘラヘラしていたのですが・・・。

その時は、自分という人間全体をバッサリ否定されたような気がして、腹が立ちました。

ぎゃふんと言わせたい。点数なんてどうにでもなることを、証明したい。

よく知りもしないくせに、他人に自分の能力を決めつけられるのが嫌。

そう思って、私はこっそりと勉強を始めることを決意しました。これが、高校1年の終わりくらいでしょうか。

しかし、さっそく壁にぶつかりました。

正直、受験勉強のやり方が全く分かりませんでした。

私は中学受験をしていて、そのときに「勉強」はしていました(とは言っても、ゲームしまくった結果、第一志望にも第二志望にも落ちちゃったのですが)。

でもその時の「勉強」は、塾に行ってひたすらテストを解き、答えあわせをする、という勉強。

自分で試験範囲を調べ、目標を設定し、一人でやる「高校生の勉強」の要領がわかりませんでした。

部活を終え、家に帰って来ても、机に向かう気は起きずお菓子を食べながらダラダラしてしまっていました。

「勉強の仕方」から勉強しよう...

と考えるようになった私は(正直机に向かいたくなかったというのもあります)、学校をサボって、近所の図書館にこもり、勉強の仕方や受験について書いてある本を漁りました。

この期間が4ヶ月くらいでしょうか。話題の受験本には大抵目を通したと思います。もちろんドラゴン桜も読みました。受験本だけではなく、受験に役立ちそうな心理学の本も。

とにかくたくさん読んで(・・・立ち読み)、少しでも気になったものはメモりました。

たくさん、方法論をアタマに蓄積して、成功事例を知ると、自分でも試してみたくなるんですね。そこで、高校2年生になって私が始めたのはおおまかに3つ(細かく書くとキリが無いですが...)。

・とにかく記録をつけること。勉強ノートを作って、「今日やったこと」と反省を一日の終わりに書く。

・電車や授業中のスキマ時間を使って英単語の暗記を進めること。東大の英語への配分点は非常に大きいため、120点中90点以上東大入試英語で得点できれば、その他苦手な科目があっても格段に受かりやすくなる。苦手な数学は60点中15点だけ取る、という計画のもと、90点英語で得点するため勉強時間の8割は英語に割いた。

・効率化を常に考えること。ノートにとるより、教科書に書き込んだ方が効率的だったらそうする。宿題でも、東大の入試傾向に合わず、面白そうとも思えなかったものは先生に怒られてもやらない。受験に使わない教科で、面白くない授業は自習か睡眠にあてる。

これが正しいか正しくないか、というのは今でも分かりません。

ただ、「自分には時間が足りない!」という危機感を強烈に持っていました。そして、絶対に受かりたい!と、いうよりは、「絶対に落ちたくない!」と思っていました。

中学受験も、部活もなぁなぁでやってきて、学校での態度も良いとは言えない私のコンプレックスは、「自信を持てるものがないこと」でした。

東大に受かったら・・・自分でも努力すれば何か出来るんだ、って思えそう。

わたしの受験への動機は、「ぎゃふんと言わせたいから」から、努力でつかんだ成功体験をつくりたい!に徐々に変わっていきました。

高校2年生の終わりごろになると、成績もだんだん上がっていきました。

点数だけで、こんなに態度が変わるのか・・・

と思うほど、先生や、クラスメイトの自分に対する態度が変わるのを感じました。先生たちにあまり叱られなくなったし、周囲からは昔より信頼されるようになったように思われました。

少し調子に乗っていました。そして、高校3年生の春にまた壁にぶつかります。

模試が始まったのです。当然というかなんというか、最低のE判定でした。

自分では努力しているつもりだったので落ち込みましたし、「第一志望 東大」と書いてあるのですら恥ずかしかったです。

ただ、判定が低く、先生や親からの期待値も低かったおかげで、プレッシャーなく勉強を続けられたのはとても良かったと思っています。

E判定の模試の結果を机に置いて、勉強を続けました。この時期に意識したのは、

基本問題を完璧に解くことができ、アタマの中で問題から解答まで再現できるようになるまで何回も解く

ということです。夏休みは1日10時間くらいコンスタントに勉強し続けました。

そして迎えた夏の東大模試。もはや、判定を気にしない鉄のココロが出来上がっていました。

ポストに入っていた東大模試の結果。どうせE判定だろ....とずさんに破ってみると、そこにはAの文字がありました。

「東大なんて...」と言っていた母と、手を取り合って喜びました。自分のやっていることは間違いじゃなかったんだ!と自信を持って感じられ、ほっとしました。

秋から冬は、けっこう辛かったです。でも、

「授業態度の悪い私が、落ちたらめちゃめちゃ格好悪いぞ...」

という謎のプレッシャーに支えられて、頑張ることができました。

この時期に意識していたのは、

しっかり寝て(7時間以上)休憩もしっかり取る。

ということです。効率に関わってきますから。

けっこう思い詰めて、

落ちたら、玉川上水に飛び込もう。

とか、どこかの文人の真似事みたいなことを決意したりもしていました。(たかが受験でそんなことを思うのは本当にバカげたことです。本当にバカです。)

と、同時に、

でも、そこまでバカ真剣なの日本に私くらいだと思うし、だったら受かるだろう。生きられる!

みたいな謎のポジティブ思考になったりもしていました。

そして、迎えた東大受験。なんだか落ち着いていました。受験というイベントが終わってゆくのを寂しく思う気持ちもありました。

もはや、落ちてもいいや。ここまでやれた、やろうとしてよかった。

そんな感じでした。良い意味で力が入っていなかったのが良かったのか、はたまた数学の問題傾向の読みが当たったからか、結果は合格。

高校に合格報告の電話を入れ、先生の驚く声を聞いて、現実なんだなあ、これ、と実感しました。

そして、次の登校日。久しぶりに高校に行くと、高校1年のときのクラスメイトと校門で出くわしました。

「ねえ!!あんたバカだと思ってたよ!」

よくよく考えると、失礼な気がするのですが・・・その時は嬉しかったです。

以上、まとまりのない文章になってしまいましたが、私の大学受験の思い出でした。

周りにバカにされても、呆れられても、それが正しいと本当に思ったんなら学生時代くらいやり通してみたっていいんじゃないでしょうか。大人になると、自分のことだけを考えて決められることは少なくなりますから・・・。

誰かのお役に立てれば何よりです。

著者:志 帆 (from STORYS.JP)

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