腕をしならせると縄がヒュンヒュンと音を立て目にも留まらぬ速さで回る。世界で数人しかできないという六重跳びが成功すると会場から拍手が湧いた。粕尾将一(かすお・しょういち)さん(31)は1人で演技する縄跳びのプロパフォーマー。日本やアジアの大会で優勝した競技歴を持ち、世界有数のサーカス劇団を経て、今は子どもの指導にも力を入れる。「好きでやってなきゃ仕事でも勝負できない」が信念だ。
16歳の時、インターネットで初めて縄跳びのパフォーマンスを見た。音楽に合わせて繰り出される三重跳びやバック宙。体育の授業でしか知らなかった、それまでのイメージが覆された。もともと運動は苦手だったが、縄跳びは得意だった。「自分もやってみたい」
毎日何時間も独学で練習し、高校3年でアジアの頂点に立った。だが当時は全日本選手権でも出場者が10人に満たないマイナー競技。「誰もやらないなら自分がプロになろう」と決めた。
ただ、「縄跳びを仕事にするなんて無理だ」と周囲は反対。「高校の先生には『何言ってるんだ』ってあきれられた」という。親を納得させるため、大学には進学した。
学業の傍ら、大会では優勝を重ね、年100回ほど小中学校へ出張授業したり、地元のイベントに出演したりもした。「自分の演技で喜んでもらえたときや、教えた子ができるようになるとうれしかった」と話す。謝礼などで1人暮らしの生活を支えた。
カナダのサーカス劇団「シルク・ドゥ・ソレイユ」から突然スカウトされたのは、けがをきっかけに競技引退を考え、大学院で縄跳びの指導方法を研究していた2009年8月。遊び半分で劇団のウェブサイトに動画を投稿したことがあった。「世界で縄跳びと自分が通用するか試したい」。11カ月後には米フロリダ州で舞台に立っていた。
ショーでは華やかな衣装と白塗りのメークでスポットライトを浴び、2人組で音楽に合わせて一糸乱れぬ三重跳び、四重跳び。重力を感じさせずに駆け回り、出演は5年で約2500回に及んだ。
16年1月に帰国し、名古屋に拠点を置いた。週末はお祭りやショッピングモールでショーをし、平日は小中学校を訪問。選手を育成するため、全国でも数少ない縄跳び教室の講師も務める。今は自分の技を磨くより、子どもたちに教えたい。「縄跳びが苦手で運動嫌いになる子をなくしたいんです」と、飛び回る日々だ。(共同=篠崎真希30歳)
▽取材を終えて
小学校でやる縄跳びと、仕事という言葉とのギャップがありすぎて、「妻と子どももいてどうやって食べていけるの?」と思うのが率直な反応だと思う。働くというと、医師や学校の先生にケーキ屋さん。縄跳びのプロは普通の人が思い浮かぶ選択肢にはない、粕尾さんが切り開いてきた道。どこに活躍の場があるのか、いくら稼げるのか、参考になるモデルはなかった。
仕事は縄跳び、仕事がない日も跳ぶ。「飽きを感じることはないんですか」。失礼ながら聞いてみた。「縄跳びでやってみたいことがまだまだある」。そこまで惚れ込むものがあるってうらやましい。そういえば働き出してから、趣味を聞かれて答えに困るようになった。粕尾さんに触発されてというのも恐れ多いが、改めて自分が何が好きなのか向き合おうと思った。