種ナシくん~俺の精子を返せ!~(前編)/円山 嚆矢

第一章 「乏精子症」(種ナシ)発覚! 

「下半身労働基準法違反男」、せっせと避妊 

 30歳を目前に、ベンチャー系の不動産企業で働くボクは、「一刻も早く結婚して、子どもを持ちたい!」という気持ちを日増しに強くしていた。

「幸せな家庭」という、きっと誰もが考える、いたって普通の夢。しかし、まだ20代でそれに「執着」と言えるほどの強い思いを抱いている人は、どれだけいるだろう? ボクの場合は、生まれ育ちが大きく影響して、いつしか人生最大の目標になっていた。

 

 誰よりも温かい家庭に憧れ、できるだけ多くの子どもがほしいと願ってきたボクが、よりによって“タネなし”なんて――。目の前が真っ暗になった非情な宣告と、悪戦苦闘の日々。そして、ついに自分の命より大切な娘を授かるまでの道のりを振り返りたい。

 


 

 まずはボクが「幸せな家庭」を追い求めるようになった理由を話そう。

お恥ずかしい話、父は前科持ちだった。いつも酒に酔ってはクダを巻き、酒・オンナ・ギャンブルに溺れ、記憶に残っているのはだらしない姿ばかり。嫌なことがあればすぐに酒に逃げ、酔えば暴力的になって、警察沙汰も一度や二度ではなかった。

 母親も母親で放蕩癖があり、次から次へと金銭トラブルを引き起こす始末。保険外交員として働いていたときには、顧客から預かった保険料を横領し、一時的に逃亡までした。その後の事務処理をこなし、保険会社の幹部や被害者の方々に頭を下げてまわったのは、まだ中学生のボクだったのだ。

 

 母は機嫌が悪いとき、よく金切り声でボクにこう言い放った。

 

「アンタは好きで生まれてきた子どもじゃないから!」

 

 このように自分の存在自体を否定する親が、狭い家のなかで日々、凄まじい夫婦ゲンカを繰り広げる。ボクはいつもその狭間で打ち震え、涙を流していた。痛みを分かち合う兄弟もいなかったため、その絶望感、孤独感は耐え難いものがあり、いまでもフラッシュバックに苦しむことがあるほどだ。それはもう、死にたくなるほどヒドい家庭だった。

 

そのためいつしか、

 

「いつか自分が築く家庭は、今と180度違うものにするんだ!」

 

 という思いを抱いて生きていくことになったのだった。そして、思い描く理想の家庭の中心には、笑顔の子どもたちがいる――。

大人になっても、心の片隅で震え続けるあの頃の自分。この不憫な少年を救い、人生を取り戻すために、「子どものいる幸せな家庭」は、夢というより絶対に叶えなければいけない目標だった。

 

やっかいなのは、絶望的な家庭環境から生まれる、「家のことで疲弊し、学業に割く時間も気力もない→低学歴になる→いい企業に就職できず、貧乏になる→結局、不幸な家庭を築くことになる」という、負のループ。もちろんこんなものは固定観念に過ぎないのだが、ボクはその恐怖にとらわれ、まずは学歴だ!と、寝食を忘れて勉強したのだった。

 

 そして入学したのは、憧れの早稲田大学……と、ここまでの話にまったく嘘はないのだが、「不幸な生い立ちの男が、努力で幸せな家庭を勝ち取る物語」を期待した方、大変申し訳ない。ボク自身、決して「真面目で善良な人間」ではなく、学歴さえあれば「子どものいる幸せな家庭」を築くのは決して難しくない、とタカをくくっていた。子どもだって、放っておいてもできるだろう、と。

 

地獄のような家庭から解放され、大学時代は「とにかくカネだ!」と、学業よりもバイトに明け暮れる始末。そして、卒業後は流されるままに、テレビの制作現場から水商売ビジネスへ(このあたりの詳しい話は、拙著『早稲田出ててもバカはバカ』に記述)。社会人になってからの遅咲きデビューで理性を狂わせ、「下半身労働基準法違反男」などという、品のかけらもないあだ名をつけられるほど、女性と遊び呆けた。

 

 そして、いまから考えると取り越し苦労もいいところなのだが、思うままに遊びながらも、「自分のような不幸な子どもは絶対に作ってはいけない」というトラウマに近い思いはあり、行為にいたるときには避妊を徹底していた。子どものころから病気知らずの健康優良児で、小学校・中学校は皆勤賞。また、父親は9人兄弟、母親は3人兄弟ということもあり、自分がまさか「種なしクン」だなんて、疑う余地は微塵もなかった。

 

 そんななかで、迎えた20代後半。水商売ビジネスから前出のベンチャー系不動産会社に転職したボクは、ある年上の女性と恋に落ちた。出会ったきっかけは水商売で、お互いスネに傷を持った人間同士、相通じる部分があったのだと思う。

 そして、初めて心の底から「家庭を築きたい」と思えた人で、ありがたいことに、彼女もボクとの結婚を強く望んでくれた。

 

しかし、「幸せな家庭」までの道のりは、前途多難なものだった。

 

「結婚」に立ちはだかる大きな壁

 

 順調に愛を育み、ボクは彼女の実家にご挨拶に出向くことになった。頬を刺す2月の寒風が、いま思えばふたりの行く末を予兆していたように思う。

 

 上野から高崎線に乗り、約一時間、埼玉にある片田舎が彼女の地元だった。

 

「お父さん、公務員でカタい人なんだよね? 大丈夫かなあ」

「とりあえず、お父さんは家のことを褒めると機嫌がよくなるから」

 

と、作戦会議をしているうちに、家に到着。彼女のことは本気で愛していたが、「幸せな家庭への第一歩」に慢心しているボクには謙虚さがなく、家に着くなり、不動産の知識から「バブル時代につくられた新興住宅地か。あ~あ、外壁は亀裂が入ったモルタル、柱は細いし、90年代初頭の典型的な手抜き住宅。たぶん5000万くらいで買ったんだろうけど、いま売りに出せば1500万がいいところか。カモにされたんだな、かわいそうに・・・」などと査定をする始末だった。

 

 そんな心の声を隠しながら、さっそくお父さんにご挨拶だ。口八丁で、心にもないことをスラスラと話す。

 

「お父さん、とても素敵なニュータウンですね! 街並みも空気もキレイだし、子育てに最適な環境が整っているのがわかります。家のヨーロピアンな外観も含めて、お父さんのセンスに脱帽しました!」

 

 彼女の助言どおりに家を褒めると、確かにお父さんは満更でもない表情だったが、多分ボクの軽薄さを直感したのだろう。リビングのそこかしこにある、彼女の写真の数々――自分の宝物を奪おうとする男に対して、返す刀で斬りかかってきた。

 

「ところで、キミはどんな会社に勤務しているのかね?」

「……◯◯という会社に勤務しております」

 

社名を告げた途端、お父さんの顔色が変わった。

 

「聞いたことがないな。上場しているのかね?」

「いえ……目標にはしていますが、いわゆるベンチャー企業ですので」

「大学はどこを出た?」

「早稲田です」

「早稲田まで出て、もうちょっとマトモな会社に就職できなかったのか?」

「すいません……」

 

 古時計が奏でる秒針の音と、石油ファンヒーターの鈍い振動音が響く、嫌な沈黙。そのなかでお父さんがピース缶からタバコを一本取り出し、マッチで火をつける。汽車が出発するように鼻から勢いよく紫煙が噴き出され、怒涛の攻撃が始まった。

 

「今からでも、地方公務員など狙えないものか? 吹けば飛びそうな会社だろう」

「いえ……もう30前ですから、縁故でもない限り厳しいですね。自分の至らなさで、お父さんから見ると不安定な身分になってしまっていますが、時代も徐々に変わっており、今は会社が安定していても、個人が安定するとは限りません。ボクがしっかりしていれば、不安はないと考えています!」

「そうは言うが、娘には堅実な人生を歩んでもらいたいと思っているんだよ。君のような男が娘を一生、面倒見ていけるのか、オレは大いに不安だな」

 

 ボクは内心、「保守的なカタブツ」と断じていたが、娘を持った今ならわかる。これは大学以降の放蕩のツケというものだろう。心から真摯に向き合うことをしていなかったボクは、お父さんからまったく信頼を得ることができず、露骨に難色を示されてしまった。あとから聞いた話だが、お父さんは男手ひとつで娘を育て上げた苦労人でもあり、どこの馬の骨かわからない輩に嫁がせるわけにはいかない、という思いもひとしおだったはずだ。

 

 後日正式に、彼女を通じて、お父さんは交際自体に否定的だという事実を告げられた。しかしありがたいことに、彼女はそれでも、ボクとの結婚を望んでくれたのだった。

 

デキちゃった結婚計画

 

 ボクは当時、東池袋のワンルームマンションに住んでいて、彼女はそこに入り浸り、半同棲というかたちで暮らしていた。彼女はいつも明るく、結婚に向けてアレコレと作戦を練り、お父さんを説得しようとしてくれていた。

 

 しかし、ボクはと言うと、テレビから流れるこれまで大爆笑してきたダウンタウンのトークにも笑うことができなくなっており、後ろ向きになるばかりだった。

 

「やっぱり、結婚は難しいんじゃないかな。お父さんは自分が公務員だから、同じようにカタい職業の男じゃないと納得しないだろうし」

「気にしなくていいよ。今の時代、結婚なんて最終的にはふたりの意思なんだから!」

 

 そうして明るく振る舞う彼女の口から、驚きの一言が飛び出る。

 

「子どもを先に作っちゃおうよ。そうすればパパも認めざるをえないでしょ?」

「え!? それこそ、順序が違うって大激怒じゃない?」

「大丈夫! うちのパパ、ああ見えて実はデキちゃった婚だったのよ。文句なんて言えるはずないもん」

 

 そうまでして結婚を望んでくれる彼女――ボクは感激し、その提案を受けることにした。冒頭に記したとおり、30代を目前にして家庭を望む気持ちが格段に強くなっており、子どもがほしい、あたたかな一家団欒を早く手に入れたいと、毎日のように考えるようになっていたのだった。目の前に理想の相手がいて、あまつさえボクの子どもを産みたいと切望してくれている。こんなにありがたい話があるだろうか?

 

 ということで、ボクは彼女の期待に応え、結婚に向けて前進するため、全身全霊で妊活に取り組むことを決意した。ただ、こちらも前述したとおり、「子どもなんて簡単にできるだろう」と甘く考えていたのも事実。それでも、彼女の基礎体温をはかり、緻密に排卵日を予測して、いわゆる「タイミング法」で、早期の妊娠に向けて努力した。

 

 しかし、半年間、毎月頑張ってみても、一向に妊娠の兆候は見られなかった。最初の1~2ヶ月は「いかに下半身労働基準法違反男〝a.k.a.暴れん坊将軍〟でも、そう簡単にはできないものだなぁ」などと悠長に構えていたが、半年も経つと焦りが芽生えてくる。34歳で高齢出産の域に近づいていた彼女は、ボクより追い込まれているように見えた。

 

「大丈夫だって! 子どもは授かりものだから、そのうちできるよ」

 

 と、励ます僕の言葉にも、徐々に悲壮感が漂い始めていた。

 

自信喪失の「暴れん坊将軍」、病院へ……

 

 今になって考えると失礼極まりない話だが、ボクは最初、彼女の体に何か問題があるのではないか、と疑った。そして、結局のところ1年経っても子どもを授かることができなかったため、ふたりで病院に行くことにしたのだった。

 

 一般的な倫理上も、ふたりの関係上も、彼女だけに疑惑の目を向けることなど、あってはならない。まさか20代で「暴れん坊将軍」な自分に問題があるとは思わなかったが、ボクもしぶしぶ精液検査をすることにした。

 これも今は猛省するところだが、当時はそうした検査をすること自体を恥ずかしく思っており、誰にもバレず、また知人に遭遇しないよう、なるべく目立たない病院を探した。そして見つけたのが、雑居ビルの2階にこぢんまりと構える、お世辞にもきれいとは言えないクリニックだった。

 ボクはサングラスにマスク姿、まるでフライデー、FLASHの芸能人熱愛スクープ写真で見るようないでたちで、ふたりで恐る恐る訪ねると、待合室には、風俗関係の仕事をしていると察しがつく女性が数名(かつての仕事柄、ひと目で分かってしまう)。彼女いわく、「そういう病院の先生は腕がいい」らしく、その説を裏付けるように、壁には行政からの感謝状がいくつも掲げられていた。

 

 受付から程なくして、彼女とボクはそれぞれ、看護師さんに極めて事務的な呼び出しを受けた。さて、精子の検査など、いったいどうやってするのか。ボクが不安と興味が入り交じる複雑な心境になっていると、「検査室」と表示された、狭い個室に案内されるのだった。

 

「(精液を)採取したら、そこの箱に入れておいてくださいネ」

 

 そう淡々と話すホステス風の看護師さんが口元の微かな笑みを隠せないことをボクは見逃さなかった。まるでウブな少年を弄ぶ、淫靡な眼差しに思えてきた。というのも、個室に備え付けられたテレビでは、無修正のアダルトビデオがエンドレスで自動再生されていたのだ。画面に映っているのは忘れもしない、バブル期を代表する伝説のAV女優「樹まり子」。少年時代に友達からこっそり借りた擦り切れそうなVHSテープの裏ビデオ、思い出の作品で、欲情するより、むしろノスタルジーを感じてしまう有様だった。

 

(ああ、樹まり子さん・・・まさか、こんなところで再会することになるとは……)

 

 そもそもこの病院がどうやって裏ビデオを入手したのか疑問ではあったが、薄いドアの向こうからは、待合室の声が聴こえてくる。こんな状況でことをなせというのか……と、情けない気分になりながら、ボクは「禅の如き集中力で自慰行為に励む」という、なんとも矛盾した時間を過ごすことになった。

 

種なしクン、誕生

 

後日、再びふたりでクリニックに足を運び、医師と面談することに。還暦を優に超えた、少しくたびれた印象の先生から、ボクからすると思ってもみなかった衝撃的な結果が告げられた。

 

「彼女の方は問題ないのですが、彼氏の方に問題がありますね」

「えっ、ボクですか? まさか、冗談でしょう!?

「まあ、落ち着いて。説明しますので、このデータを見てください」

 

【検査結果】

精子量:2ミリリットル

精子濃度(1ミリリットルあたり):150万個 

総精子数:300万個

精子運動率:20%

 

 この数字が何を意味するか理解できないボクに、先生が淡々と告げる。

 

「精液の総量と、精子の形は問題ない。しかし、濃度が問題です。一般的に自然妊娠するための精子濃度は、1ミリリットルあたり、2000万以上が理想と言われている。しかし、あなたの場合は150万個しかありませんから、中度の乏精子症と判断せざるを得ません。また運動率も50%以上が理想ですから、著しく低いですね」

 

(そんなバカな……)

 

愕然としながら、せっせと避妊に励みながら、遊び呆けていた日々を思い出す。「下半身労基法違反男」と呼ばれ、それを自負していた自分がなぜ、種ナシくんなのか。

 

「だってセンセ、ボクのオヤジは9人きょうだい、オフクロは3人きょうだいで、ボクはこの年まで病気ひとつしたことがない、健康が自慢の男なんですよ!? こう言っちゃアレですけど、アッチの方も・・・夜の方もメッチャ強いし、衰えなんか感じだこともないんです!」

 

 パニックになりながら、そうまくし立てるボク。先生はあくまで冷静に、諭すように、次のように説明してくれた。

 

「性欲が強い、弱いというのは関係ないんです。あなたのように元気な若者の精子が減っている現状は年々、世界中で増えている。特に先進国では顕著で、科学的にもさまざまなデータが発表されているんですよ」

 

 先生はそう言って、ボクのように診断結果に納得できない患者のために用意していたと思われる、新聞記事のコピーを見せる。彼女は一言も発せず、医師の説明に聞き入っていた。

 

 2006年5月31日付、読売新聞の朝刊。『精子の数、日本最下位 フィンランドの6割/日欧共同研究』というタイトルの記事だった。

 いわく、日本人男性の精子数は、フィンランドの男性に比べて3分の2しかないなど、欧州4カ国の地域よりも少ないことが、日欧の国際共同研究でわかったという。それ以上に、「環境ホルモンが生殖能力にどう影響するか調べるのが目的」という言葉が目についた。

 

先生は続ける。

 

「男性不妊は本当に増えていて、うちのクリニックに来る不妊相談のカップルの内、半数以上は男性側に問題があるんです。ここに『環境ホルモン』と書いてあるでしょう。ポリ塩化ビフェニール、ダイオキシン、農薬、食品添加物などのことで、私が注目している重要なポイントなんです。これが、不妊が増えていることと無関係だとは思えない。あなたのような若い人たちは、小さいころから食品添加物や農薬まみれのジャンクフードを多く食べているでしょう? 普段、食材を選んで自炊していますか?」

「いえ、ほぼ外食で、忙しいからハンバーガーショップとか、牛丼とか、ファミレスとか。あとは、コンビニ弁当もしょっちゅう食べます」

「そうでしょう。突飛な意見だと思わないでください。生殖機能というのは、非常に繊細でダメージを受けやすい。だから、成長期に環境ホルモンに囲まれた生活を送るというのは、赤ちゃんを求めるなら最悪なんですよ。別にあなたが悪いのではなくて、企業の利益と論理が優先され、食の安全が正しく、消費者に伝えられていないのがいけない。きちんと説明していきましょう。まずは――」

 

 こうして、「下半身労基法違反男」改め「種ナシくん」の戦いが始まったのだった。

 


 

第二章 「韓国が2750年に消滅!? 知れば知るほど恐ろしい農薬の闇」

 

上から読んだらクスリ、下から読んだら「リスク」

 

 この先生との出会いが、ボクの運命を大きく変えた。なんでも、産婦人科医でありながら反農薬団体にも所属し、マスコミがほとんど報じない農薬の害を積極的に発信している方だったのだ。時々、言葉は熱を帯びるが、極端な言説を盲信しているという印象はまったくなく、多くのデータを集め、純粋に正義感から啓蒙を行っているということが伝わってくる。当時でもう70代とご高齢だったが、お金にならないブログやセミナーを通じて、精力的に情報発信していた。

セミナーのテーマは、主に不妊治療、オーガニック食品、子どもの自閉症など。後日、ボクは農薬被害に関する多くの新聞記事のコピーを頂き、一心不乱に勉強して――諸説あるにしても、不妊治療を行う身として「農薬と不妊に因果関係はあると考えて、対策すべきだ」という結論に至るのだった。本章は少々、ややこしい話になるかもしれないが、物語を進める上で必要不可欠であり、決して他人事ではない重要なテーマなので、少しお付き合いいただきたい。

 

 まず聞かされた先生の持論は、「クスリというものは、常にリスクが伴うものであり、それは医薬品も農薬も同じ」というものだった。

 

「上から読んだら『クスリ』、下から読んだ『リスク』というわけ。世間の多くの人は、医薬品と農薬はまったく違う次元のものだと思っているかもしれないが、根本的には同じ合成化学品で、兄弟みたいなものなんだ。例えば、戦後に爆発的に普及した農薬のひとつ、有機リン系殺虫剤も、あるいは医療用の抗がん剤も、もとは戦時中の毒ガス兵器の技術を応用して発明されたもの。抗がん剤の起源は、ドイツ軍が開発した『マスタードガス』。もともと農薬開発のために合成された化合物だったのだけれど、それががん細胞も退治できることが判明して、医薬品に転用されたんです」

「え!? そんなの、健康に悪いんじゃないですか?」

「だから『リスク』なんですよ。抗がん剤は最終手段だから、安易に患者に投与したりはしないでしょう。まさに、毒をもって毒を制す、という典型だから、医者と患者がとことん話し合って、リスクも承知して、お互い納得した上で、初めて使うんです。それでも必ずがんが治るという保証はなく、副作用に苦しんで亡くなる方も大勢いる。最後の望みをかけて、医者も患者も命がけの判断をしているんです」

 

 そこから、先生の話はヒートアップする。くたびれた印象はどこへやら、口調もどんどんフランクになっていった。

 

「ところが農薬はどうか。何の覚悟もなく、当たり前のように、無造作にばらまかれているんだよ。本来なら抗がん剤と同じように、徹底的に慎重に扱わなければならないのに。農薬まみれの食べ物を子どものころから大量に食べさせられて、気がついたら精子の数が減っている――なんて、悲しい結果につながっているんじゃないか?」

 

 〝緩やかな毒殺〟と、先生は言った。

 

「農薬の害は遅発性だから、農薬を使った食べ物を口に入れて、すぐに症状が発言するわけではないんだ。もちろん、原液をそのまま飲めば死んでしまうが、何千倍、農薬によっては1万倍にも希釈されたものを散布しているから、当然、致死量にはいたらない。しかし5年、10年、20年かかって、徐々にその効果を発揮してくる。さまざまな研究データで明らかになってきている農薬被害は明らかに人災で、〝緩やかな毒殺〟なんだよ」

「でも、そんなに長い時間をかけて影響してくるものについて、因果関係なんて立証できるんですか?」

「そう、そこが問題。明らかに体に毒で、例えば乏精子症に影響する蓋然性が高い、ということはわかっても、人は放射線、電磁波、食品化合物などなど、農薬以外にも生殖機能を低下させるあらゆる社会毒にさらされているわけだから、そこから農薬だけを抽出し、どれだけ体内に摂取したかなんて正確に調べようがない。訴訟を起こしても勝つだけの証拠を揃えることはできっこないんだ」

 

 中学時代に教わった「水俣病事件」を思い出す。被害者の死因と有機水銀の直接的な因果関係を立証できず、裁判は長期に及んだ。

 

「繰り返しになるけれど、医薬品なら患者の症状を医師が診断し、処方する。それをさらに薬剤師が慎重に調剤し、患者に効果や副作用の詳細な説明もする。かたや農薬は、そこまで厳密な説明がなされていないんだ。うちの兄は農家だが、明解な営農指導ができる農協職員はめったにいない、といつも嘆いているよ」

 

 先生の熱弁は止まらず、鬼気迫る表情に打たれたボクは、まずは半信半疑ながら、自分なりにこの問題を調べてみることにしたのだった。もしかしたら不妊を解決する糸口が見つかるのでは、というかすかな予感にしがみつく意味もあったことを付記しておく。

 

種(精子)を殺す悪魔の農薬「ネオニコチノイド」

 

 何から調べるか、と思いながら先生のブログを読んでいると、「ネオニコチノイド系農薬によるミツバチ大量死問題」というテーマが繰り返し出てくることに気づいた。現在ではようやく社会問題化しつつあり、メディアでも少しずつ報じられるようになってきたが、当時、この問題に触れる主要メディアはほとんどなかった。

 

ボクは当初、「ハチが死んだくらいで、何をそこまで大騒ぎする必要があるのだろう?」と脳天気に考えていたが、調べるごとに、この問題の深刻さ、闇の深さを理解していった。

 

カボチャ、キュウリ、タマネギ、トマト、レタス、ブロッコリー、リンゴなどなど。ボクたちの日常の食卓に欠かせないあらゆる作物は、ミツバチの受粉行為があって初めて栽培できる。つまり、このミツバチが死んでしまえば、増加が著しい世界人口を支えるための食糧増産に対応できない、という事態に陥るという、地球規模の大問題だったのだ。海外研究者の論文によれば、ネオニコチノイド系殺虫剤(ネオニコ)により2007年春までに、北半球の4分の1のミツバチが消えてしまったという報告もある(Jacobson, Rowan “Fruitless Fall: The Collapse of the Honey Bee and the Coming Agricultural Crisis” 2009)。

 さかのぼって調べていくと、ネオニコは1990年ごろに開発された比較的歴史の浅い新農薬で、タバコに含まれる「ニコチン」の成分に似ているため、「新しいニコチン」として名付けられたとか。良薬は口に苦し、とはよく言ったもので、農薬も効果が高いものほど重宝される反面、毒性も高くなるようだった。実際、ネオニコが登場する前に主流だったという「有機リン系」の農薬については、無人ヘリでの散布を自粛した結果、群馬県で過敏症患者が大幅に減ったというニュースもあった(2007年1月31日付の毎日新聞朝刊『有機リン系農薬:無人ヘリ「散布」自粛の群馬県、過敏症患者が大幅減』)。

 

 さて、ネオニコは有機リンより少量でも浸透性が高く、効果が長く持続するため、爆発的なヒットになったという。農場だけでなく、住宅建材(断熱材、フローリング剤、接着剤への混合などなど)、家庭菜園、家庭用殺虫剤、ペット用ノミ退治、シロアリ駆除など、日常生活のあらゆる場面で活用されるようになり、揮発性があるためシックハウス問題とのかかわりも指摘されている。

 このように世界のあらゆるところで使用されるようになった結果、巻き起こった象徴的な問題が「ミツバチの大量死」だったということだ。それも、有機リンと同じ作物、同じ場所で使用しているにもかかわらず、このネオニコに切り替えたとたんに、ミツバチが大量死するという怪現象が世界中で起こり始めたという。事態が深刻になり、養蜂家も一致団結して、まさに蜂起。フランスでは訴訟が起き、2006年4月29日、フランス最高裁判所が歴史的な判決を下し、ネオニコ系の某殺虫剤を国内で使用禁止とした。

 

 判決の瞬間、フランス中の養蜂家たちは「ブラボー!」の雄叫びを上げ、歓喜にわいたそうだ。この裁判の経緯を追って、ボクは感動してしまった。農薬と不妊の関係性と同じように、ハチの大量死とネオニコの間に、決定的な根拠を見出すのは困難を極める。しかし、フランスの養蜂家たちは10年にわたり地道な検証と訴えを続け、状況証拠から裁判所の決断を引き出したのだ。

 これは世界的な大ニュースのはずだが、日本の主要メディアによる報道は、あまりにも少なかった。これを考えると、先生の怒りにも似た熱弁にも納得せざるを得ない。「可能性」だけでも報じる価値がある健康被害への懸念より、巨大な資本を持つバイオメジャーへの忖度が勝っているように思われるからだ。

2013年には、EUが主要ネオニコ3剤を2年間の使用禁止にするなど、世界各国で規制や検証の動きが進んでいるにもかかわらず、日本ではフランスの判決から10年経った2016年の8月11日、朝日新聞朝刊も『大量死ミツバチから農薬 農水省、ネオニコチノイド系含め「原因の可能性高い」』と報じるにとどまっている。

再三言うように因果関係は明らかではないが、このような状況が、EU各国と比較して日本人男性の精子数が少ないことと、まったく無関係とは思えなかった。

 

 ボクがネオニコについてひととおり調べてきたあと、先生はこう説明した。

 

「ネオニコはニコチンの仲間なわけだから、生殖機能にも悪影響があるのはわかるでしょう。妊婦にタバコを吸わせないというのは、いまや常識。ニコチンは胎児、幼児を含め、細胞分裂が活発でアクティビティの高いものにもっともダメージを与える。乱暴かもしれないが、あえてわかりやすく言うと、ネオニコの残留作物を毎日消費していたら、子どものころからずっとタバコを吸っているようなものだよ」

 

 実際、この「種ナシ・農薬原因説」を裏付ける、アメリカの研究結果も発表されている。2015年3月31日に、英学術誌『Human Reproduction』に掲載された、米ハーバード大学の研究チームによる論文。これによると、研究はまだ初期段階であり、さらなる調査が必要だという前提ながら、残留農薬が高レベルの果物・野菜を大量に摂取していた男性は、低レベルの男性より、精子の数が49%少なかったという(07年~12年にかけて、不妊治療施設を訪れた18~55歳の男性155人から採取した、計338の精液サンプルを分析)。摂取残留農薬が「低」と「中」のグループ比較では、主だった違いは見られなかったそうだ。

 

 「残留農薬」というキーワードで日本の状況を調べてみると、また絶望的な気分になる。厚生労働省は、僕たちが農薬を体内に摂取しても、これくらいなら安全だという指標として、作物ごとに「残留基準値」というものを設定している。しかしこれが、海外に比べて極端にユルいようなのだ。作物と農薬の種類によっては、アメリカと比べて最大25倍、EUと比べて300倍という高い数値のものもある。こんなこと、まったく知らなかった。

 そして2015年5月、世界の潮流に逆らい、日本ではネオニコ系殺虫剤の残留基準値が大幅に緩和された。驚くなかれ、作物によってはなんと2000倍の緩和だ(具体的にはカブの葉)。ミツバチ問題で海外での売上を落としたバイオメジャーにとって朗報だったのは言うまでもなく、既得権益を守るために何らかの政治的な力が働いたのでは……と勘ぐってしまうボクがいた。

 

「虫は殺すけど人には一切効かない」という大ウソ

 

 ネオニコについて徹底的に調べていくうち、誕生から四半世紀をかけて、やはりそれは「悪魔の農薬」と呼べるものに化けたのだと、恐怖を感じるようになった。90年代初頭においては、「有機リンよりも毒性が低く、昆虫は殺すが人体に影響はない」という謳い文句で世界市場を席巻したが、実際には、ネオニコは「浸透移行性」が高く、つまり根から吸い取った薬剤が作物の茎や葉、実などに浸透してしまうため、有機リン全盛の時代に言われた「よく洗って食べる」という対策が通用しないのだ。

さらに近年では、人間の脳への影響も懸念されるという事態になっている。2010年12月5日、AFP通信は「農薬は認知症リスクを増大させる、フランス研究」という記事を配信し、また日本でも、2014年1月2日に日経新聞が「ミツバチに毒性懸念の農薬、人間の脳にも影響か」という記事を掲載した。

 

 事実を淡々と並べる以外に警鐘を鳴らす術がなく、物語をなかなか進められず恐縮だが、2012年には全米の小児科医全員が加盟する「米国小児科学会」が、「子どもへの農薬曝露による発達障害や脳腫瘍のリスク」について実に228編もの論文を引用した正式声明を出し、その危険性を訴えている。しかしこのニュースも、国内主要メディアは報じていない。

 

 調べてみれば、「脱・ネオニコ系農薬の米」を標榜した栃木県小山市「よつば生協」の取り組みや、九州・中国・関西にある14の生協で構成される「グリーンコープ共同体」の減農薬、無農薬商品の積極的な販売など、日本でも地域単位で素晴らしい仕組みがつくられているが、いまも決して全国的に認知された問題とは言えない。

 

 図書館で過去の新聞を紐解き、ネットで海外ニュースを当たりながら、深い溜め息をこぼす。ふと「農薬」を和英辞典で引いてみると、「Pesticide」(ペスティサイド)とある。「Pest」は「虫」を、「Cide」は「殺す」を意味し、つまり虫を殺すもの、簡単に言えば「殺虫剤」という意味だ(「suicide/自殺」の「cide」である)。「農薬」という言葉では、本来のイメージが伝わらない。そんなことを考えながら、本書の副題である「オレの精子を返せ!」という気持ちが、猛烈に湧き上がっていくのを感じていた。

 

少子化克服のフランスと露プーチン大統領の決意

 

 本章の最後に、より直接的に不妊につながるデータを紹介する。先生のブログにまとめられていたところによると、農薬使用量が多い国ほど、不妊率が高いということだった。

 OECD(経済協力開発機構)の統計によれば、単位面積あたりの農薬使用量は2006年ごろまでは、日本がブッチギリの一位。その後、2008年にようやく韓国に追い抜かれて世界二位になったが、まだ僅差だ。アメリカの約7倍、フランスの約3倍と圧倒的な差があり、日本がいかに、農薬を大量に使用している国かがわかる。

 

 日本と韓国は、世界を代表する不妊・少子化国だ。出生率は2015年時点で、日本が1.42人に対し、韓国が1.24人と、韓国が0.18ポイント下回っている。そして、韓国では近年、男性不妊患者の増加傾向が顕著であると、公的なデータで明らかになっているのだ。

 

 2015年2月20日付の中央日報日本語版記事「韓国の不妊症患者20万人…男性が7年間で67%増」によると、同国保健福祉部の調査で、2007年に17万8000人だった不妊患者の数は、2014年には約20万8000人と、約16%増加したという。記事タイトルのように、特に男性患者数は2万8000人から4万4000人と、約67%もの増加を見せている。

注目すべきは、2007年から2014の間に男性不妊症が急増している、という事実だ。つまり、韓国が日本を抜いて農薬使用量世界一に躍り出た2008年以降、という時系列とドンピシャで重なる。このまま韓国の少子化問題が解決しなければ、その人口は2136年に1000万人まで減少し、2750年でゼロになるおそれがある、という見通しまで、2014年に発表されている(韓国・国会立法調査処)。自国に警鐘を鳴らすための極端な推論ではなく、2006年段階で、実は、英オックスフォード大学のデビッド・コールマン教授も「韓国が、少子化が進んで人口が消滅する地球で初めての国になるだろう」と予測していた。

 

 一方で、日韓と対称的なのがフランス・ロシアだ。フランスは先進国のなかでもっとも早く出生率が低下した国とされ、18世紀には欧州最大の人口を誇ったにもかかわらず、19世紀に入り、少子化に苦しんだ。しかし、現在は見事にこの問題を克服し、出生率は1994年の1.66人から、2012年には2.01人まで回復している。

 もちろん、フランスには所得制限のない家族手当や、不妊治療費補助など公費によるサポートがあり、事実婚・嫡外子の権利も保障され、余暇保育も充実していて……と、出生率を高めるさまざまな方策がとられているが、同時に、国家が総力を挙げて、減農薬政策に取り組んできたことも見逃せない。ネオニコ系の殺虫剤を例に取れば、段階的に特定の薬剤が販売停止となり、2018年には一部の例外を除いて全面禁止。2020年には、ネオニコ系の殺虫剤は例外なく全面禁止になることが決定している。さらには同2020年、一部の例外を除く緑地・森林・パブリックスペースでの農薬使用を禁止、2022年には家庭菜園(非農耕地)での農薬使用を全面禁止にするという。つまりフランスは、「農業ビジネス以外での農薬使用を全面禁止した、世界初の国」になるということだ。

 

 ロシアにおいては2015年12月、海外メディアが「ロシアは世界一のオーガニックフード輸出国になる」という、プーチン大統領の発言を大きく報じた。日本と異なり、遺伝子組み換え食品などもきっぱりと拒否し、有機農業に力を入れる方針を、大統領が明確に打ち出しているのだ。

 しかし、ロシアという大国の大統領による重要な宣言も、日本では報じられない。当時の報道は、SMAP解散騒動一色だった。

 

 少々長くなったが、とにもかくにも、ボクは農薬と不妊にまつわるデータを読み漁り、「子どもを授かるには、生活を変えなければ」と強く思うようになっていた。しかしそんななか、幸せな家庭を誓った彼女から、思いもよらない言葉を投げかけられるのだった――。

 


 

第三章「夫じゃなくて、種が欲しかっただけ

――失意の種なしクン、それでも不妊治療へ」

 

彼女の“裏切り”

 

 話を戻そう。ボクの“種なし”が発覚してから、彼女の態度が豹変した。

ボクは「デキちゃった婚作戦」が失敗に終わっても、彼女のお父さんを誠心誠意説得し、籍を入れ、不妊治療に取り組んで、中長期的に子どもを授かりたいと考えていた。しかしそんななか、彼女が「結婚を取りやめたい」と言い出したのだ。

 

 東京に珍しく雪が降った日の夕方だった。クリニックから悪夢の宣告を受け、その傷も癒えないボクらは、池袋駅西口に繰り出していた。

 

渋谷、六本木、恵比寿など、典型的なオシャレ街より、どこか垢抜けないカオスを感じる池袋は、ふたりがデートを重ね、愛を育んできた思い出の街だ。西池袋にはめったに来なかったが、駅前ビルには国内有数の指定暴力団が本部を構え、ロサ会館を中心とした西一番街には風俗店/キャバクラが密集、客引き・路上スカウトがあふれるなど、水商売を通じて出会ったボクらにとっては、不思議と落ち着く場所だった。

 

 いつものようにお気に入りの洋食店「キッチンABC」でオムカレーを注文するが、彼女の言葉数が少ない。普段なら「男の子だったらスバルくんって名前、よくない?」なんて、笑顔で話してくれるのに、この日は表情も沈んでいた。

 

「少し歩きたい」

 

 彼女はそう言って、ボクを導きながら芸術劇場前の西口公園に向かう。普段はナンパ目的の男女や、明日を夢見て歌やダンスに明け暮れる若者の姿で溢れているが、降雪の影響もあってか人はまばら。ベンチに腰掛けるなり発せられた彼女の言葉に、ただでさえ白い雪が舞う眼の前の風景が、さらに真っ白になった。

 

「やっぱり、あなたとの結婚は考え直したい。私、子どもがすぐに欲しかったの・・・」

 

彼女はボクの目を見ず、うつむきながら切り出した。黙っていられるわけがない。

 

「え!? でも、まだ子どもができないって決まったわけじゃないよね?」

「でも、先生の話では精子が150万しかいないって……。乏精子症が改善する保証もないし、体外受精だって成功率は半々でしょ? 私、もうマル高(マルコウ。高齢出産の隠語。35歳以上の妊婦が所持する母子手帳には、かつて高の字がまるで囲まれた印がつけられた)リーチだから急いでいるのよ」

「まだ34歳だろ? マル高なんて、この時代になんでそんな型式にこだわるの?」

「あなたは若いから知らないのよ。私はいっぱい見てきたの。何百万円もかけて不妊治療をしても子どもを授からずに、諦めてしまったカップル。男性の方は、もしかしたら切る手術もしなければいけないのよ? リスクが高すぎるわ」

「そんな……子どもの話はあとにしても、ボクと一緒になりたいって言ってくれたじゃないか。暗い過去もすべて受け入れて、お父さんにも会わせてくれたじゃん?」

 

 そんなやり取りが続いたあと、彼女から決定的な一言が告げられた。

 

「ハッキリ言うわ。私はあなたがあまりに元気だから――見た目も実年齢より若くて健康的だし、きっと障害なんかない、元気な子どもを授かると思ったのよ。とにかく子どもがほしかっただけなの! あなたはあっちの方も・・・夜も絶好調だから、すぐに妊娠できると思ってた。それが・・・よりによって、あなたが種ナシだったなんて!!」

 

「そんな言い方はないだろ!」と、ボクは声を荒げた。いまとなっては、追い詰められた彼女への配慮がなく、女性にこんなことを言わせてしまったことを反省するばかりだが、冷静に受け止めることはできなかった。

タバコの煙を勢いよく吐き出しながらボクを否定したお父さんと同じように、彼女はその顔が見えなくなるほどの白い吐息とともに、さらにまくし立てる。

 

「あんたは本当に分かってない! 私たちの親世代なんて、精液1ミリリットルに精子が8000万とか、1億はいたって知らないの?先生が言っていたように、いまは農薬やら添加物やら、食べ物の影響もあって、男の人の生殖機能がどんどん衰えていると言うけど、それでも2000万くらいの数値なら自然妊娠はできるんだって。あんたみたいな人なら、きっとそれくらいはあるって信じてたのに!」

 

 ボクは彼女の取り乱しようにも困惑したが、男性不妊についてやけに詳しいことも不可解だった。これまでそんな話はしてこなかったのに。ボクは沸騰しそうだった頭を冷やし、その違和感を伝えることにした。

 

「焦る気持ちはわかるけど、さっきからおかしいよ。何か隠していることはない?」

 

 返ってきた言葉は、ボクにとってさらに衝撃的なものだった。

 

「実は私……バツイチなのよ。前の旦那も種ナシで……どれだけがんばっても子どもができなかった! それが原因で壮絶な離婚になったの! でも、彼はあんたと違って酒もタバコもやるし、徹夜麻雀も好きで明らかに不摂生、不健康だった。だから再婚するときは健康そうな人を選びたかったの。ハッキリ言って、私は夫じゃなくて子どもがほしいの! 私、正気よ。これが本音。オトコなんて信じられない。自分のお腹を痛めて産んだ自分の分身で、私だけを愛してくれる無邪気な存在……子どもだけを信じて生きるって決めたのよ!」

 

 過去に水商売にかかわり、母子家庭、DV、シングルマザー、生活保護、児童相談所……と、さまざまな人間ドラマを見てきた経験則から、何となく話が見えてきた。また、彼女のお父さんが離婚経験者であることは聞かされており、夫婦仲がよくなかった。ボク自身、幼少期に両親の諍いにとことん苦しめられてきた張本人だから、ピンときた部分もある。

 つまり、彼女は「家庭」というものに幻滅している。しかし、その穴を埋めてくれる存在として、自分の血を分けた子どもだけは諦められないのだ。ボクは両親が築いたものとはまったく違う、幸せな家庭を求めたが、彼女はそんなものは幻想だと考え、ボクのことすら信用してくれていなかった。

 

「うちの父親はね、カタブツの公務員を気取っていながら、飲み屋で若い女とデキて、女房を捨てたクソ野郎なのよ! お母さんに経済力がなかったから、私は安定した収入のある父親に押し付けられたってわけ。大好きだった母親と引き離されて、継母みたいな愛人と同居する気持ち、わからないでしょう? あんただって、もうすぐおばさんになる私になんてすぐに飽きて、若い女に手を出すに決まってる! でも、血のつながった子どもさえできれば、それでよかったのに……」

 

 料理好きでよく、お弁当をつくってくれた。

 ボクが会社の不正に巻き込まれたときも、何も言わず信じてくれた。

 自分のためにはほとんどお金を使わず、母親や妹のために使っていた。

 

 そんな、優しくて子どもが大好きな、ボクが愛した彼女の姿は、もうなかった。こうまで自分をさらけ出した彼女に、追い打ちをかける必要なんてない。でも、彼女もボクと同じように不幸な家庭に生まれ育った同胞だったという気づきとともに、「だったらなぜ」という気持ちが沸き上がってきてしまう。

 

「オレの人格なんて、最初からどうでもよかったってこと? オレの種(精子)が欲しいために、好きなフリをして、演技していたの? 君の気持ちを本気で信じていた、オレの気持ちは?」

「呆れるくらい愚直に、真面目に仕事をする、その性格が好きだったわ。旦那は外で仕事だけしてくれればいい、家庭のことは女房に任せる。お金だけしっかり家に入れてくれれば、浮気しようが構わない――それが私の主義なの。悪い? あんたみたいな男だったら、そうやってうまく生活していけると思ったの。でも、子どもができないならすべて台なしよ!」

 

 もうこれ以上、会話はできなかった。一度は共に幸せな家庭を築くことを夢見た女性への最後のアドバイスなのか、あるいは負け惜しみなのか、もう寒さも感じなくなった体から、次の言葉を絞り出すのが精一杯だった。

 

「・・・わかったよ、別れよう・・・でも、そんな考え方じゃ、結婚できて、子どもができたとしても、また失敗すると思うよ。オレが育った家庭も本当に最悪だったけれど、だからこそ、明るい家庭を築こうと思ったんだ。過去に執着して腐っていたら、何も変わらない。本当に幸せになりたいなら、そこを考え直したほうがいい――。でもまあ、まさか自分が種なしクンだなんて思わなかったし、ガッカリさせちゃったよね。ホント、2回連続そんな男にあたるなんて、男運がないよな。次に付き合う男は、もっと慎重に選びなよ。その上でさ、できれば“種”としてではなく、ちゃんと人として愛せるといいな」

 

 凍える体と同じように気持ちは冷めきっていたし、怒りに似た感情も胸の奥に渦巻いていた。けれど、ボクが生まれ育った家庭のことをカッコつけずにもっと話し、それでも前向きに生きようという意思を明確に伝えられていれば、彼女との関係も違ったものになったのではないかという後悔と、最後に嫌味に聴こえる言葉を叩きつけてしまった自己嫌悪が、彼女に向いたマイナスの感情を飲み込んでいく。

 それと同時に、「自分の種ナシをどう克服すべきか」という、なんとも切り替えが早いというか、あっけらかんとした課題も胸に去来するのだった。

 

株の信用取引で失敗、不妊治療費が出ない!?

 

 われながら、なんともカッコがつかない男だ。彼女に啖呵を切り、「種ナシを解消して今度こそ幸せな家庭を築くんだ!」と息巻いていたところで、株の信用取引に失敗。当面100万円もあれば乗り切れると算段し、それくらいなら余裕を持って工面できると考えていた治療費どころか、生活費すらひらひらと宙を舞うことになってしまったのだった。

 

 かろうじて破産は免れたものの、貯蓄はほとんど信用取引の追加保証金に回さねばならず、一時的にカードローンにも頼らざるを得ない日々が続いた。しかし、食うや食わずのなかでも、カラダをどうにかしなければ、という思いは強くなるばかりで、久しぶりにクリニックを訪ねることにした。

 

「先生、ご無沙汰しております。しばらく来ることができませんでしたが、ブログの方はいつもチェックさせてもらっています。ミツバチと農薬の問題、調べるほどにひどい話で、ボクも憤慨していますよ!」

 

 相変わらずくたびれた印象ながら、目の奥に不思議なバイタリティも感じる先生は、うれしそうにボクを迎え入れてくれた。

 

「君はあのブログの数少ないファンだから、来てくれてうれしいよ。しばらく顔を見ないから、どうしているのか心配していたんだ」

「実はいろいろありまして、ボクが種ナシだということで、彼女に捨てられちゃったんです。だから当面、子どもをつくることはできなくなってしまいました」

「そうだったのか……。いいお嬢さんだったのに、もったいない。でも、『種ナシ』は大げさだよ。君の場合はあくまで中度の乏精子症で、精子が少ないだけだから、回復の余地はある。子どもは十分、望めるよ」

「ありがとうございます。だからこそ、ボクもこうして未来を信じてやってきました。ただお恥ずかしい話なのですが、ちょっといろいろあってお金がなくなってしまって……」

「競馬? パチンコ? それとも、先物取引にでも手を出したのかな?」

「いえ、株の信用取引で失敗してしまいました」

「ダメだよ、短期利得目当ての信用取引は、プロにカモにされるだけだから。私は余剰資金で現物外の長期投資しかしない。現物なら含み損があっても放っておけばいつか上がるチャンスが巡ってくるし、それに――」

 

 と、思いもよらず投資の相談にまで乗ってもらうことになった。よく見てみると、診察室の書棚にはさりげなく『会社四季報』が収められている。言っては失礼だが、やはりパッと見の“くたびれたご老人”という印象とアンビバレントなものにも思える、農薬の闇を暴き、投資でも結果を出しているという事実が、ボクのなかで信頼感を増幅させていた。

 

「話は戻るのですが、乏精子症の根治治療には、『精路再建手術』でしたっけ? 場合によっては費用のかかる切る手術も必要なんですよね。ただ、相手もいなくなり、お金も余裕がなくなってしまったこともあって、すぐに体外受精をしなければいけないこともないし、長い目で見て5年、35歳になるまでに、いい相手を見つけて子どもをつくることができれば、と考えるようになりました。だから、外科手術なしで、何とか改善する方法はないかと思って、それをご相談したかったんです。先ほどの株の話に例えるなら、子作りも短期目当てのスイングトレードじゃなくて、長期の現物投資でじっくりいきたい、と」

 

 クリニックからしたら、サッと手術で終えた方が楽で、利益も出るはず。しかし先生は、ボクの言葉に拍手のひとつでもしそうな表情で、次のように応えてくれた。

 

「いい心構えだね。もともと私は薬物療法や、安易に切る手術には反対なんだ。もちろん、こういうクリニックに来るカップルのほとんどは、『できる限り早く子どもがほしい』という切実な事情を抱えているから、その気持に応えるために、どうしても化学治療や外科手術に踏み切らざるを得ないこともある。でも、やっぱり“上から読んだらクスリ、下から読んだらリスク”なんだ。体に無理な負担をかけてしまったり、500万円かけても失敗するケースもあるから、なるべくなら時間をかけて取り組んでほしいと思っている

「500万、ですか……」

「そう。『体や財布に負担をかけても、子どもができればいい』と思うかもしれないが、化学療法はその場しのぎの対処療法に過ぎず、博打の要素は多分にある」

「それでは、漢方薬なんてどうですか? 化学薬品でなければ、リスクも低そうだし」

「確かに副作用のリスクは低いけれど、私に言わせれば、やっぱり気休めに近いものがあるな。そうだね、4~5年かけてじっくり構えるということなら、根本的な問題に立ち向かって、正面突破を狙うというのはどうかな?」

「正面突破、というと?」

「精子が滅しやすい、いまの生活習慣をあらためることだよ。農薬や社会毒を極力、排除した生活に取り組む、王道中の王道だ。信じられるかどうかわからないが、十分に価値があるし、私がこれまで得てきた知識を総動員してサポートするよ」

「食べるものを全部、無農薬に切り替えるということですか?」

「会社に勤めていれば食事の付き合いもあるだろうし、完璧に切り替えるのは難しいだろうね。ただ、自宅で食事をするときとか、休みの日とか、そういうところから変えていってほしい。自炊で無農薬の米を食べるようにするだけで、ずいぶん変わるはずだよ。昔の百姓は貧しかったけれど、子沢山だった。彼らがパンやパスタ、ピザなんて食べているワケがないだろう?」

 

無農薬生活のススメ

 

 確かに、子沢山で9人きょうだいだった父の実家は農家で、山で収穫した山菜や根菜、イモをよく食べていたと聞いた。ちなみに祖母は40代でも子どもを産み続けたそうだ。会津にいる従兄の家もやはり農家で、自家栽培の自然農中心で米をたくさん食べていると聞いていたが、4人兄弟でみな体が大きく健康だということを思い出した。

 

「でも、無農薬の食べ物なんてどこで売っているんですか? 高そうですよね」

「ネット通販がオススメだよ。デパートでも手に入るけれど、やはり値段が高い。それでも、化学治療にかけるお金からしたら、大したことはないはずだ。これを機会にタバコをやめるとか、飲みに行く回数を減らすとかすれば、十分にカバーできる。ただ、その生活を続けることができるかは、本人の精神力次第だね」

 

 診察が始まってから20分ほど経過しており、ほかの患者さんの迷惑にならないか、少々気になり始めていたが、まだ聞かなければならないことがある。

 

「失礼な聞き方になってしまいますが、実際に食生活の改善で精子が蘇った患者さんって、いるんですか?」

「申し訳ないが、5年計画でじっくり、という人はなかなか来ないから、患者に実践させたことはないんだ。でも、多くのデータと経験則から、オーガニックな生活を地道に続けることが、究極の不妊治療だと私は信じているよ。先ほど昔の百姓の話をしたが、飢餓に苦しむアフリカの国々で人口が急増していることも考えてみてほしい。飽食を謳歌するより、質素でオーガニックな食事のほうが、精子の質を高めるサーチュイン遺伝子というものが作動しやすいことがわかっている。乱暴に言ってしまうと、飢餓にさらされると本能が『子孫を残さなければならない』と察知する、というような話だね」

 

 いつのデータかは不確かだが、この地球上では、アフリカを中心に1分間で17人もが飢餓で亡くなる一方で、飽食の東京では毎日、50万人分の一日の食事量が無感動に廃棄されている、といった話を聞いたことがあった。東京に住むボクが子どもを授かりづらいのは、天罰のようなものだろうか……などと考えてしまう。

 

「まずは無農薬生活か、ちょっと試してみようかな」

 

 先生はうれしそうだった。日々、「一刻も早く子どもがほしい」と切実に願う患者に化学治療を施すなかで、その功罪について思うところが多々あり、一石を投じたいと考えてきたのだろう。

 もっとも、この時点でのボクは、食生活をあらため、オーガニックな生活に切り替えるだけで不妊を克服できるなんて、そんなウマい話はないだろうと、半信半疑だった。相手もいないし、お金もない。そんな状況が消去法的に、リスクもコストも低そうな方法を試してみる決意をさせた、というのが正直なところだ。

 

 いずれにしても、ボクからしても、持論を実証したかった先生からしても渡りに船といった感じで、ここからの二人三脚が、「いち医者、いち患者」の関係を、「同志」と言える域まで縮めていくのだった。

 

『天皇家の食卓』『奇跡のリンゴ』との出会い

 

 最後に先生は、本棚からある書籍を探し、ボクに手渡してくれた。

 

「直接的に不妊の話をしているわけではないけれど、食に関してはこの本がタメになると思う。貸してあげるから、ぜひ読んでほしい」

 

 それは『天皇家の食卓』(著・秋葉龍一)という本だった。

 

「コロッケひとつに国家の総力が結集する、天皇家の質素な食事内容がどんなものか、勉強してみるといい」

「え!? 天皇陛下がコロッケなんて庶民的なものを食べるんですか?」

「そうだよ。この本には125代、2600年間、一度も血脈が途絶えたことがない天皇家の食の秘密が書かれている。そして、明治天皇は15人、大正天皇は4人、昭和天皇は7人、今上天皇は3人と、歴代の天皇陛下はみんな子沢山なんだ」

 

 合わせて、先生はNHKで放送された『プロフェッショナル 仕事の流儀』のある回を勧めてくれた。

 

「あらゆる作物のなかでもっとも難しいとされる、リンゴの無農薬栽培を8年がかりで成功させた、青森のリンゴ農家が特集されていた。録画したものを、今度観せてあげるよ。『奇跡のリンゴ』(著・石川拓治氏)という本にもなっているから、それも併せてね」

 

 言われるままに本を読み、番組を鑑賞させてもらうと、どちらも目からウロコの大きな発見があった。

 

『天皇家の食卓』を読むと、天皇家の食事はさぞ豪華で、超高級料理が並ぶのかと思いきや、実は来賓があるとき以外は、一般国民と同様の質素な家庭料理が中心であると知って驚いた。基本的に粗食、少食で栄養管理が徹底されており、例えば昭和天皇の時代は、一日1800キロカロリー、塩分は10グラムまでと厳しく制限されていたという。考えてみると、皇族の方々は常に健康的な体型を保たれている。

 そして、注目すべきは食材の質だ。栃木県に東京ディズニーランド4個分という面積を誇る専用牧場(宮内庁御料牧場)があり、搾乳所、肉加工場などの施設が整っているという。70名ほどの職員が、天皇家の最高品質食材を守るために常勤しているそうだ。

食肉は豚が約90頭、羊が約400頭、鶏が約1300羽飼育され、当然、飼料も無添加のものが与えられる自然農。野菜は大根、ニンジン、キュウリ、ホウレンソウ、トマト、レタス、ゴボウなど、約20種が栽培され、完全無農薬につき、虫が食ったものや、形が不揃いのものもあるという。海外の来賓がこの御料牧場へ招かれ、現地でふるまわれた食事を口にすれば、皆が感嘆するとか。

天皇家の食卓は日本国家の総力を結集した、世界屈指の健康食卓。それゆえの125代、2600年の歴史と、ボクは感嘆した。

 

次にリンゴ農家の番組と、『奇跡のリンゴ』という本。先生が簡単に解説してくれたように、無農薬は困難を極めるというリンゴの栽培において、8年間の努力の末に奇跡を成し遂げた、青森県弘前市のリンゴ農家・木村秋則さんの物語だ。農薬まみれのリンゴが、クスリまみれの人間に重なって見えてくる。木村さんの発言の要旨だけピックアップすると、次のようなことだった。

 

「クスリを使えば苦労なく、リンゴは育つことが、その“点滴”なしには生きていけないほど弱くなってしまう。車ばかり乗っている人間の足腰が弱くなるのと同じだ」

「リンゴも人間も自然のなかで周りと共存して生きてきた。本来は無駄なものなどなく、雑草も害虫も、菌にもそれぞれの役割がある。クスリの力でその一部だけを強引に排除すれば、生態系のバランスを崩し、どこかに大きな歪が生じてしまう」

「そもそも、大自然の植物が農薬なしでも青々と茂っていることに、なぜ気づかないのか」

 

 映像を観ると、木村さんの畑は雑草が生い茂り、虫も飛び回っている。それでも、本来の自然のバランスが保たれ、リンゴの木は幹が太く、根も丈夫だ。例えば、「栄養を奪ってしまう」として除草してしまう雑草は、菌や微生物を寄り付かせ、土に養分を与えたり、猛暑から土を守るという役割も果たすそうだ。調査によれば、真夏でリンゴ農園が38度になったときも、土の温度は25度に保たれていた。雑草を刈ってみると、そこから8度も上昇し、土は33度になったという。

 また安易に殺虫剤を散布すれば、悪い虫を食べ、受粉を媒介してくれる益虫まで排除してしまうのは当然のこと。2章で述べたように、ミツバチを殺し、受粉活動がなされなくなるため、食糧増産の目的が逆にそれを妨げてしまう、という例もあった。

 

 雑草も虫も、すべてを「悪」と決めつけて排除するのではなく、最低限の調整に留めるという意識が肝心だ、と思った。これは人間も同じだろう。学校には出来のいい子も、悪い子もいるが、都合よく切り捨てるより長所を見るのが重要で、その多様性が豊かな社会をつくっていく。

その点、必ずしも正しい説明をせず、農薬を必要以上に世界中へ拡げるバイオメジャー企業は、強者の論理で弱者を顧みないものに思えて、意地でも無農薬の生活を実現させてやろう、と考えるようになった。

 

 すっかり熱くなったボクは、メールで先生に感想を伝えた。

 

「先生がこの2作品を紹介してくださった意味、よく分かりました。リンゴの木は、ボクの下半身そのものだということですね。農薬や化学品まみれで生殖機能が衰えてしまい、その力を取り戻すためには、リンゴ農家の木村さんのように、時間をかけてコツコツやっていくしかない。そのためには食事内容をあらためるのが先決で、『天皇の食卓』にオーガニックな食生活を学べと。木村さんは抵抗力、免疫力、自己治癒力を失ったリンゴの木を無農薬で再生させるまで、8年の月日を要していて、ボクにその覚悟があるか、ということですね」

 

先生のレスポンスはいつも早いのが特徴だ。

 

「ご名答!その通りだよ。伝わってよかった。クスリは禁断症状を伴うもので、それに打ち勝つ強い精神力が問題なんだ。あのリンゴの木は、木村さんの粘り強さ、信念があったからこそよみがえることができた。並の農家だったら、途中で断念して、また農薬を使って逆戻りだったろう。だから、君も頑張れ。私も長年不妊治療の現場に携わってきて、君のようにチャレンジングな患者と出会えたのは幸運だと思っている。これからも応援するから、何卒、何でも相談してください」

 

こうして世間一般の不妊治療とは180度違ったアプローチによる、精子を取り戻すため、試行錯誤の挑戦が始まったのだ。

(後編へ続く)

著者:円山 嚆矢 (from STORYS.JP)

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