受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート2(完)/Kato Yuki

受験に失敗した引きこもりが、ひょんなことからイギリス留学を思い立ち、一念蜂起してケンブリッジ大学合格を目指すに至ります。

18歳の高校卒業まで、海外経験は全くのゼロ、英語は一言として喋ったことはありません。

そんな僕は、現地に行ってからもちろん悪戦苦闘の毎日。しかしながら、自分の可能性をどこまでも信じ続け、死に物狂いの努力を続け、1か月後には日常会話がペラペラできるレベルにまで達します。

ここまでが、前回のパート1での内容です。

今回は本格的に受験勉強を開始してから、ケンブリッジ大学合格に至るまでの2年間の話をお送り致します。

このストーリーを通して、あきらめない事の大切さ、夢を大きく持ち続けることの大切さ、自分を信じ切ることの大切さが、少しでも多くの方々に伝わればと願っています。

1年で大学入学を目指す

9月になり、いよいよ受験のための外国人学校に入学。

場所はケンブリッジ大学がある、ケンブリッジ市。

そして、目指すはもちろんケンブリッジ大学への合格。

やる気満々です。そして僕は、当然の事のように1年で大学入学を目指します。

しかし当時、僕はどうしたらケンブリッジに合格できるか、よく分かっていませんでした。

今考えれば、本当に無知なればこそ、ただの阿呆の極みです。

そしてついには、学校の校長先生に「1年でケンブリッジに行きたい」と直談判しに行きます。すると、


「Your English is not enough for Cambridge! 」

(そんな英語で、ケンブリッジに行けるわけないだろう!)

と、一刀両断されてしまいました。

この日ばかりはショックで、悔しくて一人で泣きまくります。

ケンブリッジ大学に合格するためには・・・

ここで、イギリスの大学入試システムについて、少し説明を加えたいと思います。

ケンブリッジ大学を受験するには、必ずA-level試験(日本のセンター試験に該当する試験)を受験する必要があり、ネイティブと全く同じ条件での受験を強いられます。


さらにケンブリッジ大学・オックスフォード大学へは、

  • 学校でトップ1~2%の成績を取っていること
  • A-levelの3~4教科全てで、"A"(80%以上の得点率)を取っていること
  • 優れた内容の自己推薦状(Personal Statement)と学校からの推薦状の提出
  • IELTS(イギリスの英語検定試験)で7.0 (TOEIC990点相当)以上の取得

(*上記、2007年入学時点での基準です)

これらを「最低条件」として満たした上で、最終的に「面接」で候補者の振り落としがなされます。

上記の最低条件を全て満たすのは、ケンブリッジ・オックスフォードを目指す人には当たり前。むしろ満たしていないと、面接の前に門前払いを喰らってしまいます。


A-level 試験について

A-level試験は、基本的に日本のセンター試験を全部論述にしたものとイメージすれば、差支えないと思います。1時間試験があるとしたら、A4の用紙3~4枚分に、ひたすら論述答案を書いていくことが要求されます。

ちなみに、A-levelの試験の問題はこんな感じです(2009年の「政治学」の問題から抜粋)。

・What divisions exist within the current Conservative Party over 

ideas and policies?    (昨今のイギリス保守党の中で、思想や政策でどのような分裂が起きているか?)

・Evaluate the effectiveness of the various ways in which 

participation and democracy could be strengthened in the UK.  (イギリスで政治参加と民主主義が強化されるための、種々の方法の有効性を論じよ)

当たり前ですが、全部英語で試験が行われます。日本語は一切使いません。

必要な科目数は3~4科目のみ。科目数が少ない分、各科目で大学一般教養レベルの内容まで深く掘り下げて学んでいきます。

そして基本的に、A-levelの試験は1年目・2年目の2回に分けて受験することになっています。少し複雑ですが、受験のタイムフローをまとめるとこんな感じです。

・(1年目の5~6月)  A-level 1年目の受験

・(2年目の9~11月) 自己推薦状(Personal Statement)の作成、大学への出願

・(2年目の12月)    面接

・(2年目の1月)     "Conditional Offer" (条件付き合格)の通知 

・(2年目の5~6月)  A-level 2年目の受験 

  ⇒ "Conditional Offer"の条件を満たし、最終的に合格が確定

ここでポイントなのが、A-levelの受験は2年目よりも1年目が重要となってくることです。なぜなら、1年目で全て"A"を取っておかないと、学校から出願すらさせてもらえないからです。

面接について

(面接のイメージです。大学の先生を相手に、1対1で勝負します)

面接では思考力・分析力・議論する力が問われ、「これからケンブリッジで学問をするのにふさわしいか」が周到に吟味されます。

世界中の受験者の中から、最終的に面接で合格者が絞り込まれますが、面接での倍率は普通に5~10倍以上になることもあり、やはり面接が最難関のハードルとなってきます。

ちなみに受験の時に面接が実施されるのは、ケンブリッジかオックスフォードを受験する場合のみ。イギリスの他大学へは、A-levelの成績だけで実質合格が決まります。

面接では、あえて相手を考えさせるような、難問・奇問が出題されます。


例としては、

・Why don't we just have one ear in the middle of our face? 

(我々はなぜ顔の真ん中に一つの耳を持っていないのか?)

・Are you cool?

(あなたは、カッコイイですか?)

他にも、「世界には砂粒がいくつありますか?」「歴史は次の戦争を止めうると思いますか?」と言うように、基本的に簡単には答えられない問題しか出ません。

試されているのは、答えそのものではなく答えに至る思考過程・難問に臨む姿勢であると言えます。

まとめると、ケンブリッジ大学に合格するには、

①A-level一年目の受験で、全科目"A"を取る

②書類を整えて、ちゃんと出願する(地味にこれが大事です)

③面接を突破

以上をクリアすることが必要です。

当初僕は、A-levelの2年分を1年でやってやろうとか訳の分からないことを考えていましたが、はっきり言えば制度上物理的にできない仕組みになっていました。

悔しいながらも、2年後には絶対ケンブリッジに合格すると心に誓い、1年での合格を断念します。

とはいえ、生き延びるだけで精一杯

(ケンブリッジ大学には、生徒が衣食住を共にする30種以上もの”カレッジ”(学寮)が存在します。写真は最も有名なカレッジの一つ、セント・ジョンズ・カレッジ)

しかしその後、僕は時折イギリスに来たことを後悔し出すようになってしまいます。

「なんでわざわざ、こんなところまで来てしまったのだろう・・・?」

いっそ全部投げ出して、日本に帰ってやろうかと何度も魔が差します。

当時の僕に要求されていたのは、ネイティブと全く同じ条件で受験し、その中でもトップの成績を取ることでした。

留学生に対しては、いろんな特別扱いがあるかと当初思っていましたが、所詮は儚い幻想でした。容赦なく、ガチでネイティブと同じ条件です。それ以外に入学する方法はありません。

そして僕のいた外国人学校では、だれも僕に英語を教えてくれませんでした

受験科目の勉強をひたすら進めるのみ。しかし僕の限られたリスニング力では、授業の内容が全く理解できません

僕は毎日必死で、教科書を自力で理解して生き延びるしかありませんでした。

朝から夕方まで毎日授業を受け、それからは人の2,3倍は勉強するようにしていました。

授業に喰らいついていくだけで毎日必死です。生き延びるために、どんな時でも、決して手を緩めるわけにはいきませんでした。

しかしとにかく、「なんでこんな大変な道を選んでしまったんだろう・・・」とつくづく考えます。

しかし、日本に帰った後を想像してみます。

そこにはどう考えても、また引きこもりになるしか選択肢がありません。


何十回何百回と魔が差して考えますが、いつも結局は同じ結論に至ります。

「ここで生き延びるしかない」


逃げようったって、逃げる手段なんかありません。他に逃げる場所もありません。

そして、絶対に手ぶらで日本には帰れないという、覚悟がありました。どんなに追い詰められても、自分の人生を賭けて、絶対逃げ帰るわけには行きませんでした。

必死で生き延びる一方で、それとは別種の問題も生じてきます。

重度のアスペルガー症候群

(ケンブリッジの町を流れる”ケム川”では、"punting"と言って、小型の舟で誰でも川下りをして景色を楽しむことができます)

パート1で軽く触れましたが、僕は高校生のころまともに人と会話しないで過ごしていました。

アスペルガー症候群とは、簡潔に言えば以下のような特徴を持っています。

・相手の感情や立場を理解できない

・社会生活上の「暗黙の了解」を理解できない

・会話の行間を読むことができない

・言葉や文字を字面通りにしか解釈できない

・ルールや約束事に異様にこだわるところがある

・表情や動作にどこか不自然なところがある

一言で言ってしまえば、空気が読めないのが主症状です。

かと言って知的障害や言語障害があるわけではなく、一方で天才肌の人が多いとも言われています。世間の常識や価値観に囚われない、独創的な発想が得意なのも特徴です。例えばダーウィンやアインシュタインなどの偉人も、アスペルガーだったであろうと言われているほどです。

(典型的なアスペルガー症候群の人の会話例。この女の子、決して悪気があってこうしてるわけではありません・・・笑)

KYという言葉が流行った時に、僕は「自分は絶対空気ぐらいは読めている」との確信がありましたが、当時はそもそも空気とは何かが分かっていませんでした

自分にそうした自覚さえ、全くなかったのです。

アスペルガー症候群という言葉を知るのは、塾講師として勤務し出した24歳の時。

自分はこれまでの四半世紀の人生、ずっと空気を読まずに生きてきた・・・。

そんな事を知ったときは、本当に驚愕でした(笑)

教室では、ジャンパーを脱ぐべきか、脱がざるべきか

 

これが当時の僕にとっては、大問題でした。

誰も教えてくれないし、どこにもルールとして書いてないので、混乱します(笑)

教室に入って、どきどきしながら周到に周りの人を観察します。

しかしある人はジャンパーを着たまま。脱いでるような人もいます。

で、自分の場合どうしたら良いかが全く分からないわけです。

脱ぐにしても、その後どうしたらいいのだろう?椅子にかけるにしても、何かかけかたがあるのかもしれない、無いのかもしれない・・・。

混乱しながら、ある時はずっと授業中手に持っていたり、ひざかけみたいにしたりして(隣の女の子が、カーディガンでそうやっていたのをマネして)、ずっとびくびくしていました。

人に聞けばいいじゃん?と思うかもしれませんが、そもそもどう聞いていいかが分からないわけです。

こんな感じで、日常生活の様々な場面で混乱し、戸惑い、人とつきあうのを不得手と感じていました。他にも例を挙げると、

・買い物は基本苦手(どこに何が置いてあるか分からない。スーパーの商品棚はカオスにしか見えない)

料理は重さや長さが具体的に書いてないとその都度混乱する(「○○を少々」「中くらいの大きさに切る」などの表現はムリ。「適量」など、もってのほか)

服は無地しか買えない(服の組み合わせをどうしたら良いのか分からないので、とりあえず無難な無地無色のものを買う⇒タンスの中がボーダーの服でぎっしりに。。。)

など、ネタを挙げればきりがありません。

(アスペルガー症候群の人は、言われたことを字面ごと取ってしまう傾向があります。

さすがに、僕でもここまでやったことはありませんが。多分・・・笑)

そんなわけで、僕は当時、社会生活上の様々な場面で困難を抱いていました。

留学当初は、周りから「こいつヘンな奴だな」と思われても、「英語が苦手なんだな」と思ってある程度は済まされていたところがありました。

ところが英語がペラペラになってくると、今度は「こいつ本当にヘンな奴なんだな」と思われるようになってきてしまいました。

人と接するとき、どうしても怖いわけです。知らないうちに、自分はルールを破っているのではないか、知らないうちに、誰か人に嫌な思いをさせているのではないか・・・。

それが理由で子供のころから人間関係が苦手で、挙句の果てには人間嫌いで人間不信になってしまったわけです。

そして実際、人と接する時には本当に色々な人に迷惑をかけていたと思います。

傍から見ると、協調性が無いし自分勝手な行動しかしない。ゴミを散らかすブルドーザーみたいだったと思います。

思い返せば、当時の僕に周りの人はよく付き合ってくれていたなと、今は本当に心から感謝したい気持ちでいっぱいですm(__)m

ちなみに、アスペルガー症候群の人と接するときは、

1.指示や伝達はなるべく具体的に(文章にしたり図で詳しく説明すると、なお良い)

2.細かいルールや約束をちゃんと守ってあげる

3.最後に、ちゃんと"愛”で包んであげること(これが一番難しいですが・・・笑)

さらに余談ですが、アスペルガー症候群は、本人の自覚と努力で徐々に改善していくことができます。

もちろん周囲の人の支えが不可欠ですが、障害だと言って自分を卑下するのでなく、前向きにポジティブに向き合っていきたいですね^^

(*アスペルガー症候群に対する偏見や誤った知見が昨今多いようですが、上記はあくまで簡略化した説明や僕の個人的な体験譚で、実際アスペルガー症候群と診断される人には本当に様々なパターンや症状があります。詳しくは専門書や信頼できるウェブサイトなどで、正しい情報をご参照ください。)

人生が変わるということ

そんな僕でも、当時親友と言えるほど仲の良い友人がいました。

香港人で年は僕より3つ上。いろいろ話していてお互い境遇が似ていたり、授業も同じものが多かったので、よく一緒につるんでいました(今思えば彼もアスペルガーで、お互いに親和性(?)があったのだと思います)。

しかし渡英から半年後のある時、僕はささいな事から彼と大喧嘩してしまいます。

僕は本気で、もう日本に帰ろう、このままここで頑張り続けることはできないと、精神がやさぐれていました。

勉強も手に着かず、またもや自分の部屋に引きこもりのような状態になってしまいます。

そんな折、たまたま見ていたmixiで、こんな記事を見かけます。

「日本一周自転車の旅」 ー 7か月で約6000キロ、600人もの人に出会う - 

「この人、すげーなー」と思って、初めは読んでいました。

しかしよくよく見ると、なんとこの人ロンドンに住んでいるじゃありませんか。

「会いに行こう!」と直観で思いました。メッセージで連絡を取り合い、直近で会える日に僕はロンドンの郊外、ウィンブルドンへと向かいます。

そこでお会いしたのは、「てるさん」という方で、18歳の時に人生を変えるための自転車日本一周を計画、いろいろな人の「人脈」を基に、行った先々で様々な人と出会い、様々な繋がりを作っていきます。

この日記を、僕は見せてもらいました。

いろんな人からの応援メッセージ、感謝の言葉、熱い生き様、大きな夢・・・

知らず知らずのうちに、僕の頬には涙が伝っていました。そして、どっと自分の心の全てのつかえが取れる感覚がありました。

「僕も、本当はこうしていろんな人と繋がっていきたい・・・」


僕はそんなことを痛切に願いながら、てるさんの前で泣きじゃくりながら、今までの全部を吐き出していました。

それを黙って受け取ってくれるてるさん。涙が止まらない僕。

こうして、僕は本当に自分が何を望んでいるのかを知ることができました。

今までは自分を偽っていたけど、結局は人と繋がっていたいのだと。

そして世の中には、自分のような孤独な人間が他にもたくさんいる。その人たちのために、これからの人生を尽くして、世界をより良いものにしていきたい。孤独を味わい舐めつくした自分だからこそ、できることが何かきっとあるはずだと。

それからの僕は改心して、人との出会いや繋がりを心の底から求めていけるようになりました(もっとも人との付き合い方が分からなかったので、常に試行錯誤の連続です)。

そして、自分の人生の目標も定まります。当時「社会学」という学問に惹かれていて、その一分野で「人との繋がりや絆」を研究していきたい、という思いが強くなりました。

イギリスで社会学を勉強するには、どこの大学が一番良いか?

・・・調べていくと、やはり案の定、ケンブリッジ大学でした。

こうして僕は、人生に対しても、勉強に対しても、受験に対しても、確固たる「軸」を手に入れることができました(そして今でも、この経験が自分の原点です)。

最初に喧嘩していた友人とも、泣き泣きしっかり仲直り。

改めて、世界最高峰のケンブリッジ大学に挑む決意を固めます。

6月のA-level受験まで、あと2か月半。全身全霊で、受験本番に挑んでいきます。

1年目の受験本番

(当時使っていた辞書。一度引いた単語には、必ず線を引いてマークするようにしていました。)

渡英から半年以上が経ち、僕はこれまで毎日生き延びてきたこともあって、リーディング・ライティングについてはそこそこ他の受験生と渡り合えるレベルにまで達していました。

しかし入試本番で、どうしたら点を取れるのか?そこに関しては曖昧なことが多く、ずっともやもやしながら方法を模索する毎日でした。

そんなとき、あるテキストに出会います。

イギリスでは、日本の「大学入試センター」が民間団体で4つくらい存在していますが、それぞれの団体が詳細な「受験要綱」を作成しています。

さらにその要綱を具体的に、個々の科目の個々のユニットやモジュールで、何を学びどの言葉を覚え、何を理解すべきかまで書いた、「具体的な受験対策本」を入試センターが出版していることに気が付いたのです。

先述しましたが、アスペルガーは具体的な指示さえあれば、水を得た魚のように動けます。

僕はそのテキストを、徹底的に分析しまくることに力を注ぎました。どうしたら点が取れるのか、どうしたら失点するのかを徹底的に理解し、さらに試験答案を何回も何回も書く練習をします。

そして1つの単元からは、大体出題パターンが2~3個ぐらいしか無いということを発見します。

各単元ごとにそのパターンを掴んで、答案に書く内容まで具体的に落とし込んで(答案の導入部をどう始めるか、議論の途中でどのような例を使うか、結論はどのようなものにするか、等々)、ポイントを暗記していきます。

ここまで来ると、いわゆる覚えゲーというやつになってきます。試験本番では時間が限られているため、試験中はいかに考えないで答案を作成するか。そのためには、試験前にいかにたくさん予測をして、予め考えをまとめておくか。これが重要です。

結果、僕は学校でトップの成績で、全科目で9割以上の得点で、無事1年目の受験を終えることができました。

それもこれも、具体的な受験対策本があったのと、そしてもちろん、多くの人たちの支えのおかげで、何とか最後まで自分の力を信じ抜いていくことができました。

てるさんを始め、当時お世話になった周りの方々には本当に感謝してもしきれません。

こうしていよいよ、最難関の面接へと挑んでいきます。

いざ、面接へ

(面接室のイメージ。こんな部屋で、当代一流の大学教授と一対一で対面します。緊張しまくりです)

2年目の10月になり、僕は自己推薦状(Personal Statement)もしっかり書き、無事に出願を果たします。

それから面接の対策を考え出しましたが、しかしそもそも根本的な問題がありました。

渡英して1年が経ち、僕の英語力は当初より格段にレベルアップしていました。が、思い返してみると、1年目はA-levelの対策に必死で、リスニングとスピーキングに関して結構なおざりにしていたところがあったのです。

特に、リスニング。このままでは、面接官の質問がそもそも聞き取れない可能性があったんです。

これはやばいと思い、とりあえず面接の当日まで、毎日死にもの狂いでリスニングの修行に励みます。テレビのニュース番組をかじりつくように聞きまくり、ディスカッションの仕方や表現方法も徹底的に頭に叩き込みました。

結果、何とかネイティブのナチュラルスピードでも、大方のことは理解できるようになりました。

が、やはり声が低かったりやたらと早口だったりすると、全く何も聞き取れない可能性は排除しきれません。この点だけは正直祈るしかなく、本番まで博打を打つような感覚は常にありました。

そして更に、面接で中身のあることを答えるにはどうしたら良いかと、必死で考えました。

大学がどのような人材を求めているのか、大学が面接で何を指標として判断しているのか、大学が面接の場でどのような答えや姿勢を求めているのか・・・。

あらん限りの情報をかき集め、必死で分析しました。そしてなるべく、物事の本質を見るように努め、面接はアピールの場なんだと考えました。

思考力を問われている以上、前もって答えを用意したところで意味は無い。だから、本番でどうしたら自分の思考力や分析力をアピールできるか。そんなシミュレーションを、頭の中で何百回何千回と繰り返していました。

(いよいよ面接。こんな建物の中に入っていくだけで、胸がバクバクしました)

そうして面接当日。まずは面接官が40代くらいの女性だったので、一安心します(女性の声の方が男性の声より、高くて聞き取りやすいため)。

しかしいざ面接が始まると、自己紹介も挨拶も無くいきなり、

What's "anomie"? (「アノミー」とは何ですか?)

との質問が。

僕は面接の前にエッセイを提出するように言われていたのですが、What's "anomie"?とは、そのエッセイについての質問でした。(「アノミー」とは、著名な社会学者エミール・デュルケームの主著書「自殺論」で用いられている概念です。いきなり、文字通り殺人的な質問です。)

僕の面接官は、後々分かりましたが、やはり当代きっての一流の教授でした。一対一で面と向かうと、何といっても剣幕がものすごい。一つ一つの質問に緊張しまくります。

他にも質問としては、

If suicide is a social problem, what about euthanasia? (自殺が社会問題だとすると、安楽死もそうだと言えるのか?)

What is the difference between the Christmas in Britain and in Japan? (イギリスと日本のクリスマスの違いは何ですか?)

まさしく、「考えさせる質問」の連発でした。しかも容赦なく連発で切り返されるので、頭がパンクしそうになってきます。

しかし質問に答えるだけでなく、聞かれていないことでも僕は必死にアピールをしていきました。イギリスになぜ留学しにきたのか、ケンブリッジ大学のどんなところに惹かれているのか、学部のどんなところに魅了されているのか、これからどんなことを学んでいきたいのか・・・。こういったことは、自分の軸がしっかりしていたので、熱意をバンバン伝えていくことができました。

そして最後に、こんな質問が。

What is the biggest threat for democracy in the world? 

(世界の民主主義にとって、最も脅威であるものは何か?)

僕は思わず、「サダム・フセイン」と反射的に答えそうになりました(当時2006年は、イラク戦争の真っ只中でした)。

が、「ちょっと考えさせてください」とあえて言います(面接の間、僕はこの「ポーズ」を意図的に何度か使いました)。求められているのは、単純な答えではなく、答えに至るまでのプロセスなわけで・・・。

それから、「多国籍企業」と答えを述べます。「民主主義とは、もし~~~と定義するならば、世界を見渡した時に、戦争や専制君主といったものよりも、人々の権利を世界規模で一番脅かしているのは、多国籍企業である。具体例を出すと・・・。ゆえに.....。」

と、こんな感じで答えていきました。ペラペラ喋る必要はありません。ただ一つ一つの言葉を明瞭に、はっきりと、自信を持って筋道立てて伝えていく。そのことだけに集中しました。

しかし言っている最中はもちろん極度の緊張状態なので、言うだけで精一杯です。が、今思い返すとこの時はかなり理想的に、当初のシミュレーション通りの答えを無意識に出すことができていました。

すると面接官が、まじまじとこちらの方を見つめながら、うんうんと頷きながら話を聞いてくれています。

Well, I think, you're right....(確かに、あなたは正しいと思います・・・)

面接官のこの一言で、面接が終わりました。

そしてその時の雰囲気や語調から、僕は直観的に合格を確信することができました。

面接が終わった後は、本当にヘロヘロです。全ての力を使い果たし、極度の緊張を乗り越えて、それでも全力を出し切ることができた感触で、僕の心は芯から満たされていました。

終わりに・・・

年が明けた1月のある日、こんなメールが僕のところに届きます。

Dear Yuki

Thank you for your email and a Happy New Year to you.

I am very pleased to inform you that you have been made an offer to read SPS at Trinity in October 2007. The offer is conditional on the following grades:

AAA

A letter from the Tutor for Admissions was posted to your home address in Japan yesterday.

Many congratulations!

With best wishes,

○○(送信者の名前)

(Yuki さん

メールをありがとう、そして明けましておめでとう。

あなたは2007年10月から、トリニティ(ケンブリッジ大学の"カレッジ"の一つ)でSPS(政治社会科学部の略称)を学ぶオファーを受けることができました。私はあなたにその知らせができて、とても嬉しいです。オファーは、次の条件付きです:

AAA (A-level 3教科全てで"A"という意味)

入学に向けて、チューターからあなたの日本の住所へ、昨日手紙が送られています。

本当におめでとう!)

なんというか、あっさりし過ぎです(笑)

こうして僕は、無事念願のケンブリッジ大学に合格することができました。

(ちなみに2年目のA-levelは、"A"を取るのに70%で大丈夫だったので(最終的に1年目の得点と合算されるため)、1年目と比べるとかなりゆとりがありました。)

以上、これまで駄文長文にも関わらず、最後までご一読いただき本当にありがとうございました。

まとめると、僕がケンブリッジ大学に合格できたのは、

・具体的な受験対策本があったから

・面接官が女性でゆっくり喋ってくれたから

そして紛れもなく、僕が自分をいつでも信じ続け、不断の努力を続けることができたのは、僕の家族や学校の先生、友人やホームステイの家族など、多くの人がこんな僕をいつでも支えてくれていたからです。

本当に、当時お世話になった方々には、心から感謝したい気持ちで一杯です。

ただ実際のところ、ケンブリッジ大学は入るよりも出る方がずっと大変でした。

そしてもちろん、大学に入ること自体が、すごいわけでも何でもありません。

ただ少なくとも、僕はその過程で、あきらめないことの大切さ、夢を大言壮語し続ける大切さ、自分を最後まで信じ切ることの大切さを、骨の髄まで学ぶことができました。

たとえ海外に行ったことが無くても、英語が全く話せなくても、アスペルガー症候群だったとしても、元ひきこもりだったとしても、ケンブリッジ大学に合格できるのだということ。


信じ続ければ、人生を変えることは必ずできるのだということ。

そうしたことが、このストーリーを通して、一人でも多くの方にが伝わっていれば幸いです。

終わりに、僕の今の目標は、40歳までに学者として、自分のフィールドで世界一になることです。

そのために、これからスイスの大学院に進学して、また一旗揚げてきます。

こんな自分ですが、今後ともみなさまからの応援や叱咤激励をいただけますことを、心から願っています。何卒、よろしくお願い致しますm(__)m

重ねてこの度は稚拙な文章ながら、貴重なお時間を割いてご一読いただき、みなさま本当にありがとうございました。

(p.s. 今後も機会を見つけて、今回盛り込めなかった留学体験譚をストーリーにしていきたいと思っています。

みなさま誠にお手数ですが、下の「読んでよかった」のボタンをクリックいただけますと、私自身が今後の執筆の意欲に繋げていくことができますので、何卒よろしくお願い致します^^)

著者:Kato Yuki (from STORYS.JP)

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