オール1の中卒から難関国立大学、英検1級に逆転合格した話/Toshiki Nakamori

最初にこの成績表をご覧ください。

 これは、私が高校入試の時に受けた模試の点数です。どう思いましたでしょうか?高校入学時にこの点数では、大学進学は厳しいのではないか、と周りの多くの人達から言われてきましたし、自分でもそう思っていました。皆さんもそう思われたのではないでしょうか?しかし、私はあることに興味を持ったことで、考え方が180度変わり、猛勉強の末、国立大学と英検1級に合格することができました。今の自分を変えたいと思っている皆さんの励みになればと思い、オール1の中学時代から、英検1級取得までの日々を綴るに至りました。

勉強が大嫌いだった中学時代!オール1を取り、中卒で職人の道へ!

 私はとにかく勉強が嫌いでした。中学から勉強が難しくなり、周りとの差は離れていくばかり。勉強が嫌いになると、学校も嫌いになっていくという負の悪循環でした。途中からは、学校にも行かず、本屋で漫画を立ち読みしてサボるということもありました。

 学校に行かなくなると、周りで悪さをしていた友人と交友を持つようになり、学校も行かずに、深夜徘徊を繰り返し、勉強とは全く無縁の日々を送りました。

 そんな中、私にも進路を決めなければいけない日がやって来ました。同じ学年の人達は、当然のように高校へ進学すると言っていたので、私も「自分もまぁ高校でも行くか」と思っていました。しかし、ここで問題がおきました。そうそれは…

成績がオール1

  (※実際の私の成績表)
学校に行ったり行かなかったり、行っても勉強をしていなかった私の成績は、知らぬ間にオール1になっていたのです。ここに載っている評定不能とは、出席日数が足りない科目に出されるもので、高校側に出す書類上では、1にせざるを得ないとのことでした。当然この成績では、普通の高校に進学するのは無理です。しかし、当時勉強が大嫌いだった私は、「まぁ仕方ないか」程度の気持ちでした。そして、私は中学を卒業し、仕事を主として生活をしていくことを決意したのです。

学び直しのきっかけは英語!

 仕事をすると決めたものの、中卒でできる仕事は肉体労働くらいしかありませんでしたが、なんとか一つ仕事を見つけ、この仕事を頑張っていこうと決意しました。しかし、もともとやりたい仕事でもなかったので、嫌なことも多くあったというのが実のところです。そんな日々の中にも私にとっての楽しみがありました。それは格闘技観戦です。当時の私にとって、唯一の趣味と言えるものでした。

 しかし、仕事を始め、2年半ほど経った頃、当時、私が好きだった格闘技団体が潰れ、好きだった選手達はアメリカに移ってしまいました。そんなこんなでアメリカの格闘技を見始めましたが、もちろん中卒の私には、実況の言っていることが全く理解できませんでした。

そんなある日、平田さんという昔お世話になった方と話す機会がありました。平田さんも格闘技に精通している方なので、格闘技の話になりましたが、その中で私が解説を英語で理解したいという話をすると、「学校入り直せばいいじゃん」と言われました。確かに、一度は高校に行ってみたいし、それに「英語で解説を理解できれば、もっと楽しめるはずだ!」と思いたち、英語を学びたいという気持ちがきっかけになり、高校入学を決意します。

厳しかった現実。入学したのは定時制。

英語をきっかけに、学び直すことを決意した私ですが、現実はそう甘くありませんでした。高校入試を前に、自分の実力を知るため、模試を受けてみたところ、中学時代に全く勉強していなかったこともあり、結果はなんと5教科平均で35という悲惨な数字でした。この偏差値では行ける高校はない…と一時は諦めかけました。しかし、住んでいる地域に、たまたま夜間定時制の高校があるということを、平田さんに聞き、そこに入学することを決めました。

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私が入学した夜間定時制は、校則が自由で、プラスにもマイナスにもなる環境でした。特に先生が強く出席を促したり、保護者に連絡することも多くはないので、入学してから、卒業する頃には、生徒数が半分減っているのが常でした。また大学進学者数も、1年に多くて1人か2人という進学校とはお世辞にも呼べない高校です。夜間ということもあり、地元のヤンキーが通っていることもあり、体育の授業中に校庭にバイクが乗り込んできたこともありました。最初の方はこの学校で、なんとなく学生生活を過ごしていました。

本に触発されエンジン始動

なんとか夜間高校に入学したものの、特に大学に行きたいというような気持ちはありませんでした。しかし、そんなある日、本屋で、中学時代の成績がオール1から夜間高校に行き、教師になった方の本を見つけました。読書など全くしなかった当時の私でしたが、同じような境遇にあったため、自然とその本に手が伸びていました。当然最初は、わからない漢字が多くありました。しかし、なんとか読み終わった時には、「自分も勉強して、この人のようになるのだ!」という強い決意に満ち溢れていました。そして高校1年の年越しを境に、本格的に勉強を始めることにしました。

遠すぎる大学

 年が明け、とりあえず国語と英語を重点的にやることにしました。当初は、塾や予備校に行くことも検討しました。しかし、私の家は、4人も兄弟がいるにも関わらず、父が病気で仕事ができず、母の収入のみだったので、塾や予備校に通う余裕はありませんでした。そこで、書店に行き、基礎的な参考書を購入して取り組むことにしました。

 中学時代に全く勉強してなかったこともあり、最初は基礎的な問題さえ全くわかりませんでした。しかし、勉強を始めてから5ヶ月ほど経った頃、私は「5ヶ月も勉強したのだから、俺はできる!」という謎の自信に満ち溢れていました。そこで、大学入学の関門となるセンター試験の過去問を解いて、自分の実力を測ることにしました。

 結果はどの科目も8割越えをマーク!…というようなうまい話があるわけもなく、国語は4割5分、英語は3割というひどい結果でした。当然、大学に入学するにはこの点数では到底無理だったので、当初は打ちひしがれました。しかし、「自分はまだ5ヶ月しかやっていないんだから、まだ伸び代があるはずだ!」と考え方を切り替え、勉強を継続することにしました。今思えば、ここで折れなかったのが、逆転合格へとつながった一番大きな要因だと思います。

志望校は千葉大学!

勉強が少し進んできた高校2年生の夏頃、志望校をどこにするかを考え始めました。大学についての知識がゼロに等しかったので、担任の先生に相談したり、自分で調べたりしました。そして、色々と調べた結果、志望校を地元の国立大学である、千葉大学に決定しました。その理由としては、やはり経済的な問題が大きかったです。母しか働いていなかったので、学費が国立の2倍もする私立大学に行くのは難しいと考えました。

 もちろん、国立大学を目指すということは、その分やる科目も増やさなければなりません。私立の場合は、3科目ですが、国立の場合、5教科7科目をやらなければならず、更に努力する必要が出てきたので、より一層勉強に励むようになりました。

ついに飛躍!偏差値80!?

志望校を決めてからは、毎日10時間ほど勉強していました。夜間の高校だったので、昼はアルバイトをするか、勉強をするかでした。もちろん、アルバイトがある日も、アルバイトの直前まで勉強をして、できるだけ勉強時間を算出するようにし、寝る前は、発音や単語を覚えるようにしていました。そんな生活を1年ほど過ごし、そろそろ力が付いたと再び思い始めた頃、大学入試の模試を受けてました。とりあえず、文系3科目と数学1Aが進んでいたので、その4つを受けました。1年前にはつかめなかった手応えがあるのを、試験を受けている最中も感じました。約1ヶ月後、その模試の結果が返ってきました。手応えを感じていた通り、高校入試では見たこともない偏差値が記載されていたのです。

全ての科目で、思っても見ないほどの得点が出ていました。一日10時間やっていたのが報われ、努力は裏切らないのだということを改めて実感した瞬間でした。そして、マーク模試の結果が出た頃に、記述模試がありました。こちらでは、さらに驚くべきことが起こりました。

 記述模試が終わり、1ヶ月ほど経ったある日、いつものように勉強していると、郵便局の方が、結果を配達しにきました。封筒を受け取り、早速結果を見てみました。英語は、勉強を始めるきっかけということに加え、好きな科目だったので、特に気になっていて、最初に見ました。67.3という数字を目にし、

「あぁ…マークでは70くらいだったけど、流石に記述では下がるかぁ…」

と結果を見て思いました。しかし、よく見てみると…

「ん?こっちは全国平均点で…自分の偏差値は…」

82.3!?

よく見てみると、しっかりと82.3と書かれています。偏差値に80というものがあるのだと、このとき初めて知りました。英語はどうしてもできるようになりたい、と頑張っていたので、この結果はとても嬉しかったです。

この結果を見て、残りの理系科目を頑張れば、合格までなんとかなると大きな自信がつきました。

センター試験本番!

ついに国立大学への第一関門となるセンター試験の本番を迎えました。私の在籍していた高校からは、私しか受ける人がいなかったので、当日はとても心細かったのを覚えています。始まる前の休憩所では、他の学校の生徒や、先生方が話をしたり、最後まで対策の話をしていましたが、私は1人で最後の復習を行いました。

 そして、ついに試験が始まりました。模試を受けてても、1つ目の科目は、やはりとても緊張します。しかし、これまでやってきたことを信じ、なんとか社会は乗り切りました。しかし、国語になると異変が起こります。それは…

難しすぎる!

それまで解いてきた国語の中でも、ずば抜けて難しかったのを覚えています。古文を見て、次に現代文を見て驚きました。しかし、条件は皆んな同じだと思い直し、集中して解き続けました。その後は二日目も通して、苦戦しながらも、なんとか全ての科目を乗り切ることができました。

いざ、千葉大学二次試験!

 センター試験から約1ヶ月後に、国立大学の2次試験がありました。センターの得点との兼ね合いを見ながら、私は当初から志望していた千葉大学を受けることにしました。ついに夢にまで見た国立大学に行けるかもしれないと思い、勉強にも熱が入り、センター試験から2次試験の間、気を抜かずに勉強を続けました。

 試験当日まで順調にいくかと思いきや、事件が起きます。二次試験の前日に、父が出先で倒れたというのです。母は仕事をしていたので、自宅にいた私が、父を自宅へと連れて帰りましたが、車から降りられない状態だったので、救急車を呼び、病院へは、姉と共に行きました。母が来た後、心配でしたが、次の日の試験のために、私1人で帰宅しました。

 試験当日は、父のことが心配で、試験に集中することが難しかったのを覚えています。少し心を乱されながらも、なんとか二次試験を終え、すぐに自宅へと戻りました。父は入院が必要とのことで、試験が終わってからは、家に暗い空気が流れていたのを覚えています。

千葉大学合格!

試験から数日後、千葉大学の合格発表がありました。発表日の10時から発表だったのですが、私は公立大学の試験を東京に受けに行っていたので、すぐに結果をみることはできませんでした。公立大学の試験の方は、千葉大学の結果が気になってしまい、集中することが全くできませんでした。

 私は試験が終わると、すぐに千葉大学のキャンパスへと向かいました。私が行った時はもう夕方だったので、掲示板のあたりには、すでにほとんど人がいませんでした。恐る恐る掲示板の番号を確認してみると、自分の番号がありました。最初は半信半疑でしたが、周りに人がいなかったので、なんどもなんども確認しました。5分ほどたってから、

「間違いない…自分の番号だ!」

と確信しました。確認が終わった後、すぐに母に電話しました。

母「どうだった?」

私「なんとか受かってた」

母「やったじゃん。よかったぁ。これで一安心だよ。」

父が倒れ、落ち込んでいた母に、少し元気が戻ったような気がしました。これで晴れて、かつて本屋で読んだオール1から教師になった人に近づくための第一歩が踏み出せました。

大学受験編の終わりに

大学合格までは、自分の努力ももちろんありますが、両親や先生をはじめとして、周りに支えてくださった人がいたのが大きかったと思います。中卒で働いていた時や高校入学当初は、国立と私立大学の違いさえわからず、まさか、自分が大学を受けることなど、夢想だにしませんでした。しかし、「英語の解説を聞き取りたい」「本の著者と同じように自分も学んで、この人のようになりたい」と自分のやりたいことを見つけ、努力することで、難関大学である千葉大学合格までこぎつけることができました。大学受験という大きな目標に向かって過ごした高校の3年間は、私の人生の中でもとても濃いものだったように思えます。何かに挑戦している人、挑戦しようとしている人の励みになればと思い、記しました。

英検受験編

ついに大学入学!

 私は大学入学後は「勉強は終わりだ!大学生をエンジョイ!」と思うこともなく、勉強を怠ることはありませんでした。何故なら、奨学金を勝ち取って留学をしたいと考えていたからです。私の家は、兄弟が4人もいる上に、父が病に倒れ失職し、母の収入だけで暮らしていたため、裕福とは程遠い状態でした。そのため、目標としていた留学をするためには、何が何でも奨学金を勝ち取る必要がありました。

 そこで、留学や留学の選考試験で、一番必要となる英語力を向上させるために何か目標を立てようと考えました。そして、選んだのが英検1級でした。英検1級は、言わずと知れた英語では国内最難関レベルの資格です。英検1級に合格できれば、奨学金を勝ち取れるレベルに達するだろうと考え、試行錯誤しました。そして、大学1年の冬に行われる、英検の試験に申し込むことにしました。

英検1級大特訓

 英検1級に向けては、『パス単英検1級』と『実践ビジネス英語』それに『TIME』を主に使用しました。単語についてはパス単を1日300語を一週間続けるスタイルをとりました。英検一級の一番難しいパートは単語なので、ここが一番キモになってくると思います。また、後述する雑誌などでわからない単語は全て調べて、メモしていました。

 また、実践ビジネス英語はシャドーイングと音読を組み合わせ、1講につき30回くらいずつ音読をしました。この教材はいきなりシャドーイングするのは難しいと思うので、最初はテキストを見ながら、追い読みをし、次にシャドーイングという形で完成度を上げていきました。

 TIMEは、初めは、紙媒体で購入していましたが、一冊420円ほどと、とても高かったので、途中からは紙媒体ではなく、アメリカのアマゾンからkindleを使って購読していました。日本にいても、米国アマゾンのアカウントを作れば誰でもできるので、ぜひやって見てほしいです。TIMEは、1週間に1冊ずつ届くのですが、最初の方は、全ページ読んでいました。しかし、途中からアメリカのマイナーすぎる記事は飛ばして読むようにしていました。

 そして、最後の仕上げとして過去問を使用しました。上記のことをこなしていれば、だいたい合格点は取れると思います。

いざ、英検1級!

英検1級の一次試験は地元の学校で行われました。それなりに勉強してきたつもりでしたが、やはり単語などが難しく、「これは無理だ…受けるのが早すぎた…」と感じました。そして、受験から数週間が経ち、次に向けて頑張ろうと立ち直りかけていた頃、結果通知が送られてきました。私は通知を見て驚きました。なんと!合格していたのです。その合格通知を見るや否や、私の心は完全に切り替わっていました。諦めていた試験が、合格に変わり、「2次試験の対策をしなければ!」というやる気モードになったのです。

 英検1級の2次試験の会場は限られた都市にしか無く、千葉には無いため、上智大学になるとのことでした。英検1級の2次試験では、政治・経済、国際問題に関するスピーチを英語で行ったり、それに対する質疑応答があったため、入念な準備が必要でした。しかし、試験まで2、3週間しかなかったため、それまでに作文などで使った資料をしっかりと見直すことにしました。

英検1級2次試験へ!そして…

 2次試験の会場である上智大学まで片道二時間程度でしたが、試験が午後の部だったので、余裕を持って行くことができました。しかし、試験を受けるために行くということで、とても緊張していたので、電車に乗っているだけでも疲れてしまいました。

 試験会場に着くと、他の受験者もいて、周りの人全員が自分よりできそうに見えました。自分の番まで、またもや緊張して待っていると、タイムキーパーのお姉さんが、部屋まで案内してくださり、試験が始まりました。最初の方は緊張していましたが、話し始めると、徐々に緊張もほぐれ、スピーチも質疑応答もなかなかの手応えを得ることができました。

 2次試験から数週間後、一次試験の時とは違い、リラックスした気持ちで待っていると、結果通知が届き、無事合格していました。英検1級まで様々な試行錯誤をしてきましたが、こうして無事、合格という形でそれが実りました。

終わりに

これまで、私が大学、そして英検1級に合格するまでの体験記を綴ってきました。自分で振り返って見て、やはり何かやりたいことを見つけるのが大切だと改めて感じます。格闘技を英語で見ていなかったら、もしくは本屋で本を手に取っていなかったら、今の自分はないと思います。この文章を読んで、かつての私のように勉強が苦手な人の勇気付けになれば良いと願っています。

需要があれば、私が実践した勉強法や、英語学習法なども書きたいと思っています。少し長くなってしまいましたがここまで読んでくださりありがとうございました。最後に、少しでもためになったと思っていただけたら、読んでよかったを押していただけるとありがたいです。

著者:Toshiki Nakamori (from STORYS.JP)

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