マクドナルドで役立たずだった僕が、仏像彫刻家として生きて行くまでの話/安本 篤人

どんくさい僕のアルバイト生活

「オイ! この店はどないなっとんねんー!」

店内に響き渡る声で、客の男は怒鳴り散らした。

「ビッグマックに肉が入ってへんやんけー!」

「え!?  す、すみません!」

レジカウンターで先輩が平謝りしている。

やってもうた!

そのビッグマックを作ったのは僕だ!

高校一年生の僕は、

初めてのアルバイト先のマクドナルドで大失態をおかした。

ビッグマックに肉を入れ忘れたのだ。

よりによって、ボリュームが売りのビッグマックに……。

「ヤスモトー! お前こっち来い!」

「ひ〜! すんませんでしたー!」

僕は昔からどんくさかった。

今に始まったことじゃない。

水泳を始めたときだってそうだ。

4つ年上の姉はいつも優等生で、水泳部でも名を残すほどだった。

そんな輝かしい人物の弟として、中学一年生の僕は皆から注目された。

「おー! あのヤスモトの弟か! 待っていたぞ!」

と顧問の先生は歓迎し、

「キャー! ヤスモト先輩の弟ね!」

と3年生の先輩にはもてはやされた。

入部初日、熱烈に歓迎された僕は、強制的にタイムを計ることになった。

皆が期待している。

まだよく知らない同級生たちも僕に注目した。

「え? あの人すごい人なの?」って。

や、やめてくれ。

しかし、

僕の声は届かないまま

顧問の先生が僕をスタートラインに立たせた。

「よ~いっ!」

……結果は悲惨なものだった。

「潮が引くように」とは

こういうことかと思うほど、周りは僕に関心を持たなくなった。

それでも僕は、一応水泳を続けた。

もちろん、大会にも出た。

地区大会で優勝した僕らは、

奈良県の大会に出場することになったのだ。

そこで僕は、伝説を残すことになる。

100メートル、平泳ぎ。

スタートラインに8人の選手が並ぶ。

その中に僕がいた。

顧問の先生が睨みをきかせてこちらを見ている。

僕の心臓は飛び出そうなほどバクバクと動いていた。

「よーい!」

審判が手を挙げる。

いい結果を出さなければ。

名誉挽回しなければ。

行くぞ!

僕は勢いよくスタートを切った。

うおおおおおおーーーー!

よし!

いいぞ!

快調だ!

今まで感じたことのない爽快感!

あれ!?

ライバルたちの気配を感じない。

すげー! もしかして、僕、ぶっちぎり!?

いいぞ!

これで、今までの失態を帳消しにしてやる!

僕をバカにしてきた奴ら、ザマアミロ!

わははははーーーー!

僕は勢いに任せ、50メートルの壁に両手でタッチした。

そして、華麗にターン!

そのときだ。

スパーーン!!!

誰かに頭をどつかれた。

「気づけやーー!」

鬼の形相をした審判だった。

どうやら僕はフライングをし、それに気づかず50メートルも泳いでいたらしい。

ああ……。

僕は……、僕はなんて、どんくさいんだ。

水泳部でも、アルバイト先でも役立たずな僕。

結局、マクドナルドでのアルバイトは半年で辞めた。

その半年間で一人前にできるようになった仕事といえば、ゴミ捨てくらいだ。

ハンバーガーすらまともに作れない。

落ち着いてゆっくり作ったら上手くできていても、

スピードが勝負のファストフードで急かされてしまうと、

どうも上手くできなかった。

しかし、僕はくじけず様々なアルバイトをした。

ガストのデリバリーを始め……、3日で辞めた。

(バイクで事故って両手を骨折したと嘘をついた)

引越し業者に行き……、1日で逃げてきた。

(社員の人が怒鳴り散らすから怖くなった)

でも、釣具屋でアルバイトした時は楽しかったな。

お客さんと釣りの話をしたり、店長と話したり、仲間と釣りに行ったり……。

その中でも一番忘れられない思い出と言えば、やっぱりあれだな。

その日、僕は一人で店番をしていた。

そこに釣り好きのおっちゃんがやってきた。

「兄ちゃん、大学生か? アルバイト頑張ってえらいやん!」

「はい! ありがとうございます」

「しかしあれやなー。最近暑いな。そうや、今日は帽子買っていこうかな」

おっちゃんは、帽子コーナーで色々と試着し始めた。

僕は、色々試して見てくださいとだけ伝え、

事務作業をしながらレジで待っていた。

その時だ。

「ちょっと兄ちゃん、見てくれや」

その声に視線を上げると、おっちゃんの姿が目に飛び込んできた。

え!?

「これ、どうや? ええと思うんやけど」

僕は笑いをこらえるのに必死になった。

だって、おっちゃんの頭はつるっぱげ。

なのにおっちゃんが選んだのは、

真っ赤なサンバイザーだったのだ。

「い、いやー、いいんちゃいますか?」

震える声を必死でこらえる。

「せやろー。これにしようかな」

おっちゃんは、鏡の前で何度も角度を変えながら眺めている。

それでもハゲた頭の頂点には目がいかないらしい。

「兄ちゃん、これにするわ! ありがとうな!」

少年のように爽やかな笑顔のおっちゃんは、

心底、真っ赤なサンバイザーを気に入ってくれたようだ。

いやいやいや!
一番大事な頭のテッペン守れてへんやんけ!

僕は猛烈にツッコミを入れたかった。

でも、このおっちゃんはお客さん。

しょうがなく僕はレジを打ち、おっちゃんを見送った。

悩める就活生が見つけた意外な道

呑気なアルバイト生活をしているうちに、

あっという間に大学3年生になった僕は悩んでいた。

「就活」

この言葉を口にするようになってから、僕の周りはガラリと変わった。

赤や金、カラフルな頭をしていた友達は、一斉に黒一色になった。

髪の色だけじゃない。

服も、靴も、鞄も、皆真っ黒になったのだ。

このまま僕も
真っ黒な社会に出るのだろうか……。

毎日僕は自分に問いかけるようになった。

かと言って、特にやりたいこともない。

だいたい僕はどんくさい。

こんな僕を受け入れてくれる会社などあるのだろうか。

アルバイトすらまともに続かないし、

周りの人からはいつもぼーっとしているとか、変だとか言われる。

僕はあくまでも「普通」にしているだけなのに、

どうも周りからは「普通じゃない」ように見えるらしい。

はあ……。
僕はどこに行っても役立たずなのかな。

そんな時、僕はふらっとある場所に行った。

ぼーっとした頭で、本当にただ立ち寄っただけだった。

まさか、あの場所が僕をこんなにも変えてくれるなんて思いもしなかった。

そこは、ひっそりと厳格な空気に包まれていた。

中に入ると、ひんやりとしていて、シーンと静まり返っている。

「わあっ……」

思わず声が出そうになった。

僕が行った場所は、奈良の東大寺。

東大寺といえば奈良の大仏が有名だが、僕が釘付けになったのは

もっとひっそりとした所に安置された仏像だった。

「持国天」という仏像に、僕は釘付けになった。

強そうな甲冑に身をまとい、

今にも怒り出しそうな厳しい表情し、そして手には大きな剣を持っている。

攻撃性の強い風貌の仏像だけど、

僕はなぜか、そこから優しさを感じとった。

——お前はこのままでいい。ありのままでいいのだ。

仏像の声が聞こえた気がした。

僕は僕のままでいい?

何をやってもどんくさくて、失敗ばかりの僕でいいのか?

答えは分からないけれど、とても心地よかった。

温かくて、心強くて、そして安心した。

どれくらい、持国天を見ていただろう。

こんなにも救われた気持ちになったのは初めてだった。

とても不思議だった。

背中を押されているような、ここに留まっていいような、

よく分からないがとにかく「救われた」と感じたのだ。

強くて優しい仏像を僕も造りたい!

「何アホなこと言うとんねん!」

「マジで就活しないで弟子入りするん?」

周りの皆は驚いてばかりだった。

僕もあまりに突然道が拓けたので驚いてはいた。

だけど、

なんだか「僕にはやれる」と言う不思議な直感があったのだ。

東大寺の仏像を見てから

造る側になりたい思うようになった僕は、

勉強のため彫刻が盛んな富山県の井波へ行ってみた。

ここで急に弟子入りが決まるとは思ってもみなかった。

本場の仏像彫刻はどんなものかとドキドキして向かったのを覚えている。

いつも反対方向に乗り間違える電車を、何とか乗り継いで富山までたどり着いた。

彫刻の展示場で作品を食い入るように見ていると、

親切な人が仏師(仏像彫刻家)を紹介してくれた。

知り合いになった若い仏師は師匠を紹介すると言い、

僕の頭と心が追いつかないうちに師匠と対面することになったのだ。

「先生っ! ただ今戻りましたっ!」

若い仏師は、大きな声を出した。

わ! あの人こんなにハキハキとでかい声を出せるのか

僕はさらに胸が高鳴った。

扉を開けるとそこは、時代劇のセットのようだった。

6畳ほどの和室の中央には囲炉裏があり、鉄の茶瓶がどっしりと置かれていた。

部屋の奥には、整えられた庭が見える。

ピシッと袴を着ていた師匠は、

その出で立ちから厳しさが滲み出ていた。

「あんた、どこから来たんがいちゃ」

「あ、はい。えーっと、奈良です」

「ああ、奈良……」

職人というのはだいたい口数が少ない。

聞きなれない方言に加え、説明が足りないものだから理解するのは大変だった。

けれども僕は、一生懸命に師匠の言葉を理解しようとした。

それから師匠は、僕の両親はどんな人なのかとか、

仏像彫刻教室ではどんなことを習っているのかとか、色々聞いてきた。

そして、最後にこう言った。

「弟子、入るなら早い方がいい」

え!? 僕が弟子入り?

どうやら師匠は、

僕が弟子入りのために挨拶に来たのだと勘違いしていたらしい。

それにしてもこんなにもすんなり

弟子入りの話をすることはまずないという。

普通弟子入りするには、何日も工房に通い、

職人たちに無視されながらも、

じっと黙って見学しなくてはならい。

それから少しずつ話をしてもらったり、

手伝ったりしているうちに弟子入りを認められるそうだ。

でもなぜか、

僕には早くしろと言う。

しかも、お前が早く決めなければ他の人を入れてしまうぞ、

そうしたらもう入れないぞとまで言ってくる。

僕は焦った。

仏像彫刻の道に進みたい。

けれども、そんな急に決断を迫られて、どうしていいか分からない。

「す、すみません。一カ月だけ時間をください」

奈良の実家に戻り、

両親に今日あったことを伝えると、父はこう言った。

「それは趣味にして、本業を持ちながらやってったらええねん」

仏像彫刻とは全く違う道を歩んでいる父は反対した。

そして、何とか大学は続けて欲しい、と説得してきた。

父の気持ちも分かる。

父は家業を継ぐために、

大学に行くのを泣く泣くやめたのだと何度も話していた。

だから、息子の僕には

どうしても大学を続けて欲しいという強い気持ちがあったのだ。

それでも僕は、富山からの帰り道、もう決めていた。

どんくさくて、何をやっても続かない僕が

こんなにも夢中になれることは他にはない。

しかも今の大学は芸術とは無縁のところだ。

このまま大学生活を続けて社会に出ても、

仏師として生きて行く道には交わらないだろう。

ここで弟子入りのチャンスを逃したら一生後悔する。

だから両親が何と言おうとも、弟子入りすることを決めた。

それから1ヶ月間、

両親は反対し続けたが僕は弟子入りの準備を突き進めた。

そんな僕に根負けした両親は、最後には前向きに送り出してくれた。

「体には気をつけなさい」

両親から愛のある言葉を受け取り、僕は師匠の元へ弟子入りした。

幸運にもすんなりと弟子入りした僕だったが、

当たり前のように修行は厳しかった。

住むところはあったけれど、お金はほとんどもらえない。

朝早くから夜遅くまで修行が続き、毎日とにかく眠かった。

修行と言っても、師匠はほとんど教えてはくれない。

技術を習得するには、師匠の動きを盗み見るしかなかった。

じっと見ていると師匠から怒鳴られるのだ。

だから僕は、自分の手を止めないようにし、

こっそりと師匠の手元を見る術を覚えた。

兄弟子との関係も厳しかった。

どんなに理不尽なことを言われようと、間違っていようと、

逆らうことは絶対に許されなかった。

修業とは別に、

プライベートな時間を削って兄弟子の使い走りもした。

フィリピンパブで働いている兄弟子の彼女を見張るのは僕の役割だった。

寒空の下、きらびやかなフィリピンパブを見ていると

「富山まで来て僕は何をやっているんだろう」と悲しくなったが、

これも修行の一つだと言い聞かせ暗闇に身を隠した。

兄弟子は、怒り始めたら説教が止まらなくなる。

しかも僕の部屋で、僕が少ない小遣いで買ったお酒を飲みながらだ。

説教は、長いときでは6時間。

その間中僕は、正座をしたまま「はい、すみません」とだけ言い続けた。

自分で決めた道を貫くためや。ここは我慢や!

僕は何度も自分に言い聞かせて耐え続けた。

しかし、最後の日はやって来た。

兄弟子とのトラブルだった。

弟子になって2年が経とうとしたとき、

あまりにも理不尽なことばかりされ続けた僕は、

とうとう歯向かってしまったのだ。

歯向かうというか、泣きながら訴えたのだった。

僕はただ、仏像彫刻を学びたかっただけなのに……!

悲しいことにトラブルの原因は、

彫刻とは離れたところで起こったことだった。

しかし、歯向かったことに変わりはない。

僕の言い訳は何一つ聞き入れられず、結局僕は工房をクビになった。

挫折と挑戦と、さらなるどん底

奈良の実家に戻ってきてから、僕は大学に復学した。

反対を押し切って出て行ったのに、

帰ってきた息子をすんなり受け入れてくれたのは両親の愛情だろう。

帰ってきてからも、時々一人で仏像彫刻をしていた。

消化しきれなかったのだ。

親に反対してまで決めた仏師としての道。

工房をクビになったとはいえ、途中で逃げ出したことには変わりない。

あんなにも固く誓ったのに。

仏師として一人前になって、生活していくと決めたのに。

——お前は逃げたんだ。

どこかから聞こえる声が僕を責め続けた。

「うつ病」と言われるまでに時間はかからなかった。

人が怖い。電話が怖い。テレビも怖い。

何も見たくない。

何も聞きたくない。

起き上がることも難しい。

少しでも体を起こしていると、辛くなって寝込んでしまう。

それの繰り返しだった。

親の反対を押し切ってまで信じた道を踏み外した。

僕は何をしているんだろう……

やり直して社会で普通に働けばいい。

だけど、なれない。

苦しかった。

悔しかった。

情けなかった。

どうしようもない僕は、少しだけ彫刻刀を握ってみることにした。

趣味でもいい、なんでもいい、

仏像彫刻に触れていよう、そう思った。

初めは、5分でも座っているだけで辛くなり、倒れ込んだ。

次の日はその時間が10分に延びた。

その次の日は15分……のはずが、1分も起きていられない。

3日休んでは、また5分間……。

それの繰り返しだった。

進んだと思ったら後退して、全く動けない日々。

のろのろと時間だけが過ぎた。

だけど僕は辞めなかった。

5分でも、10分でも、彫刻刀を握った。

木の質感、削ったときの音、匂い、

足の裏に感じる削りかすを踏みしめたときの感触……、

ひとつひとつを感じた。

そうしているうちに、

鬱によって失われた感覚が少しずつ蘇ってきたのだった。

……そうか、よかった。

僕はまだ仏像を彫れる。僕は仏師になれるんだ!

僕はなんとか生き返った。

少しずつ社会に出られるようになり、なんと彼女までできた!

ほとけ様は見てくれていたのだーー!!

うかれた僕は、勢いに任せてすぐに結婚をした。

奈良で働きながら京都の仏像彫刻教室にも通った。

好きな彫刻もできて、結婚もして、僕の人生最高だ!

まさに、天に昇るここちだった。

フワーッと天ばかり見上げて、足元が地についていないことには気づいていなかったのだ。

僕たちはすぐに離婚した。

ダメだった。

うかれた気持ちだけで続くほど、結婚は楽じゃなかったのだ。

今思えば、自分自身のもどかしさを彼女にぶつけてしまっていたのだと思う。

「本当は仏師になりたいのに。どうして中途半端な生活をしているんだ!」

こんな不満がいつも僕を責め続けていた。

離婚からしばらくして、僕はもう一度挑戦することにした。

京都の仏師の元へ弟子入りしたのだ。

今度こそ……!
僕はなりたい自分になる!

師匠の元で、しっかりと学ぼうと試みた。

師匠は若く、細やかな感覚を持った人だった。

髪の毛の6分の1の細さが分かるほどの感覚だ。

師匠は仕事の時だけでなく、プライベートも神経質だった。

特に、大事にしているオートバイの扱いは厳しい。

物を運ぶときに、

止むを得ず師匠のオートバイを動かす時があったが

その時は口うるさく言われたものだ。

「キズつけたら承知しないぞ!」

できればそのオートバイには関わりたくなかった。

もし、キズ一つでもつけたら僕は即刻クビになるだろう。

しかし……

ドン!!!

やってもうたーーー。

車をバックしたときに師匠のオートバイにぶつけてしまったのだ。

急いでオートバイを起こすが、小さなかすり傷ができている。

あの細かい師匠のことだ。

明日すぐに気がつくに決まっている!

そしたら僕はクビだ!

「……おはようございます」

翌日、恐る恐る師匠の元に行った。

しかし意外にも、

師匠はオートバイのキズには全く気がついていなかった。

「おい! 外のバイク寄せておけ。キズつけたら承知しないからな!」

もうキズがついていることに気がつかず、師匠はいつも通り僕に指示した。

「は、はい!」

僕は必死に笑いをこらえオートバイを動かした。

毎日師匠の元で遅くまで修行をし、暗い夜道を歩いて家に帰る。

アパートの斜め向かいにあるコンビニで、売れ残った一番安い弁当と発泡酒を買う。

それが僕の息抜きだった。

レンジで温めただけとはいえ、温かい食事を口に入れるとホッとする。

その後に、ほろ苦い発泡酒がキンと喉を冷やす。

「ぷはぁーー」

僕は今日も生きている。何度もやり直したけれど、僕は仏師の修行の身として生きているこの日常に感謝していた。

だけど、また突然僕の日常は閉ざされた。

「お前はもういらない! 荷物をまとめて出て行け!」

僕は、師匠に怒鳴られた。

彫刻教室に通う大勢の生徒の目の前で。

怒鳴られることには慣れていたはずだった。

けれどもこの日は、もう、自分自身の限界だったのだ。

悔しかった。

一生懸命やっている。

なのに、どうしてうまくいかないんだ。

どうして僕の人生は、いつもこうなんだ。

仏師になると決めて、何度も何度も立ち上がってきたのに。

どうしてうまくいかないんだ。

僕は、クビ同然に師匠の元を去った。

重い足取りで、アパートの斜め向かいのコンビニにいつも通り入った。

「いらっしゃいませ」

店員はいつも通り決められたセリフを言った。

お酒コーナーでは、カップルが仲良さげに飲み物を選んでいる。

結婚もうまくいかなくて、
自分で決めた道も何度も挫折して、
僕の人生は一体なんなんだ……。

明るいコンビニの照明の下で、泣き出しそうになった。

でも、僕の中にわずかに残されたプライドがそれを止めてくれた。

涙をぐっと押し込み、

お酒コーナーのカップルの横から冷蔵庫の扉を開けた。

いつもは発泡酒だけど、今日はビール。

しかも、プレミアムなやつだ!

次に僕は弁当コーナーに行った。

一番ええもん買ったろ!

僕は、何ちゃらミックス弁当と書かれた

一番値段が高い弁当を手に取り、レジへと進んだ。

アパートへ帰り、すぐにビールと幕内弁当を口に放り込んだ。

今の僕ができる、最高の贅沢だ。

涙でぐちゃぐちゃになった。

味はよく分からない。

でも、確かに美味かったのだけは覚えている。

食べ終わると、次から次へと涙が溢れ出てきた。

「僕は……、幸せになりたい!」

涙でぐしゃぐしゃになりながら、僕は腹の底から思った。

どん底からの挑戦

東京に来ていた僕は、嬉し涙と悔し涙を堪えられず泣き続けていた。

ここから僕の人生は絶対に幸せになる!
してみせる!

強い覚悟を持ち、涙を流し続けていた。

京都の仏像彫刻工房をクビ同然に辞めた僕は、

人生をなんとか変えようと東京にきた。

読んだことのある本の著者の講演会に行くためだ。

ありがたい話を聞いた直後はやる気がみなぎった。

けれどもその熱はすぐに冷めてしまう。

偉い人の話を聞くだけで人生が変わるほど、

甘くないことも知った。

そんな時、ある人と出会った。

独立してフリーのライターをしていると

楽しそうに笑って話す女性だった。

だけど、彼女も今の僕みたいに落ち込んでいた時期があったと言う。

それを乗り越え、今、こうして目の前で笑っているのだ。

同年代でこんなにすごいの信じられない!

僕も、独立して仏像彫刻ができるのだろうか。
もし、できるのであればやってみたい!

わずかな希望を抱え、彼女に相談した。

彼女は僕に、ある教育を教えてくれた。

ここで僕は生まれ変わったのだ。

人生という大海原で、進み方を知らない僕は、

何度もなんども波に飲まれて来た。

死にかけたこともあった。

海底に沈んだまま人生を終えてしまうのではないかとさえ思っていた。

マクドナルドでハンバーガーすらまともに作れない。

弟子入り先では、兄弟子にいじめられてばかり。

結婚しても、うまくいかない。

仏師としてやり直そうと思い、

もう一度弟子入りした先でも出て行けと怒鳴られ、逃げてしまった……。

今まで僕は自分のことを、どんくさいどうしようもない奴だと思っていた。

でも、僕は僕なんだと理解した。

スピーディにハンバーガーは作れないけれど、

コツコツと仏像を彫ることができる。

言われたことを型通りにやるのは苦手だけれど、

真っ白なキャンバスに新しいことを描くことが得意だ。

何度も挫折しかけたけれど、

這い上がる底力を持っている。

今まで欠点だと思っていたことが、自分の最高の武器なのだと気がついた。

僕は、僕なんだ!

——お前はこのままでいい。ありのままでいいのだ。

いつか見た、東大寺の仏像「持国天」の声が聞こえた。

ここから僕の人生は絶対に幸せになる!
してみせる!

強い覚悟を持った僕は涙を流し、再び自分の人生を切り開いていくことを決めた。

「独立して仏師として生きていくぞ」

鼻水をすすりながら、僕は腹をくくった。

仏師として独立すると決めたのはいいが、

これからどうやって行ったらいいのか全く分からなかった。

有名な先生の元で働いているわけでもなく、

家柄が仏師というわけではない。

美術大学すら出ていない。

注文はどこから来るのだろう?

そんなところからのスタートだった。

でも僕は、人生で一番の幸せを感じていた。

「仏師として独立」という自由を手に入れたからだけではなく、

パートナーもできたのだ。

僕の何もかもを認めてくれ、互いに成長し合える恋人だ。

いつか僕が立派になったら結婚しようと約束もしていた。

彼女との出会いは、僕が東京で鼻水と涙を流し続けていた時だった。

悔し涙と嬉し涙が混じって号泣し続ける僕に、

ポケットティッシュを差し出してくれたのが彼女だった。

東京と奈良と遠距離恋愛だったけれど、

励まし合いながら生きていこうと決めていた。

彼女と幸せに暮らすために、何とか仏師として生活していかなくては!

腹をくくり、一生懸命になっていると

不思議と人伝てに注文が舞い込んできた。

小さな小さな注文だけれど、

僕の精一杯の技術で提供していった。

がむしゃらに取り組んでいたら周りが応援してくれる。

一つひとつを積み重ねていたら、知らぬ間に大きくなって来る。

「僕は僕だ」と自分を受け入れたら、自分らしく生きられる。

僕は、幸せだ。

一人前になって、彼女と結婚をしてこの幸せを続けていこう。

しかし、

ハッピーエンドが目の前に見えた時、

仏様はまた僕に試練を与えたのだった。

与えられた試練

遠距離恋愛とは言え、僕と彼女は仲良く愛を育んでいた。

辛い時には励まし合い、嬉しい時には喜び合った。

仕事も不思議と順調で、

小さな注文をいただいては人が人を繋いでくれたので

次々へと発展していくことができた。

仏像の受注製作だけでなく、

新しいものづくりを試みたり、仏像彫刻教室も始めた。

どうしても食えない時はアルバイトをしよう、と思っていたけれど、

時々ティッシュ配りのアルバイトをする程度で間に合うようになった。

焦らずに一歩一歩進んで行ったらうまくいくんだな

そう思い、がむしゃらだけど充実した日々を送っていた時だった。

僕の電話が鳴った。

彼女だ。

僕は新しい取り組みの最中で、少しイライラしていた。

忙しさをアピールしながら電話に出ると、彼女は泣いていた。

いつも明るい彼女とは違う姿に、僕はイラつきを忘れてひどく動揺した。

「ど、どうしたん!?」

電話口からは泣き声しか聞こえない。僕は怖くなった。

「……何があったん!?」

大きく息を吸った後、彼女は言った。

「お、お父さんが末期がんだって……」

僕はその場にへたり込んだ。

「……おとうさんが?」

彼女は父親のことがとても好きだった。

親父さんのことを話す時の彼女はとても楽しそうだったのだ。

そんな彼女を見るのが好きで、

僕は親父さんの話をよく聞いていた。

親父さんは自動車整備士で、

腕一本で仕事をしている技術者だ。

不器用で素直に褒めてくれないとか、

職人気質でまっすぐな人だとか……。

彼女から聞く親父さんの姿はどこか僕に似ていて、

彼女と結婚して家族になるのが楽しみだった。

短気でカッとなったら手がつけられないところは怖そうだったけれど、

僕が一人前になったら必ず言おうと思っていたんだ。

「娘さんをください」って。

彼女は泣き続けていた。

「お父さんが死んじゃうなんていやだ……」

いつの間にか僕も一緒に泣いていた。

電話を切った後、しばらく放心状態になった。

いつも明るく笑っている彼女が土砂降りのように泣いていた。

僕は、何をやっているんだ。

ようやく見つけた最愛の人が悲しんでいるのに何もできない。

仏師として独立したとは言え、

僕一人が食べていくのが精一杯で彼女を守ることすらできない。

一人前になったらプロポーズしようと思っていたのに。

僕が強くなったら親父さんに挨拶に行こうと思っていたのに。

……時間がない。

彼女の話だと、親父さんは後3ヶ月ほどの命だという。

落ち込む彼女の力になりたい。

病気で苦しむ親父さんに力を与えたい。

僕は何ができるだろう。

鈍い頭をフル回転させた。

考えて考えて、脂汗が出るほど考えた。

布団に潜り込み、

色々考えを巡らせているうちに僕はいつの間にか眠ってしまっていた。

目が覚めて、何も考えが浮かばない僕は工房に入った。

そしていつも通り彫刻刀を握った。

ゾリッゾリッゾリッ……木を削ると小さな音がする。

ふわっとヒノキの良い香りが漂う。

ふーっと息を吹きかけると、かつお節みたいな削りかすが飛んでいく。

木の塊から、うっすらと仏様の顔が浮かび上がってきた。

ゾリッゾリッゾ……。

自然と手が止まった。

僕は思いついたのだ。

お守りを彫ろう。
彼女の笑顔のために。親父さんの力になるために。

僕は、僕ができることを見つけた。

しかもそれは、僕にしかできない最高のことだ。

香合仏(こうごうぶつ)という

手のひらにすっぽり収まるお守りを作ることにしたのだった。

彼女とは何度も電話をした。

親父さんが生きているうちに

最高の親孝行をしたいというと彼女は強く願った。

僕も同感だった。

残された短い時間を凝縮するように、

僕たちは急いで互いの両親に挨拶をし、婚約をした。

「お父さん、私の花嫁姿が見たいんだって……。何とか叶えてあげたい」

電話口で彼女は泣きじゃくっていた。

親父さんの病気のことがあってから、

彼女はよく泣いていたが僕はこれに慣れることはなかった。

どうにか彼女の力になりたいと思うと同時に、自分の無力さを思い知った。

僕は、彼女の笑顔のためと親父さんの力になるため知恵を絞った。

親父さんにウエディング姿を見せよう。

何度も彼女と打ち合わせをした。

親父さんの病状や状況が変わるたびに作戦を練り直した。

いつも通り彼女と打ち合わせのため電話をしていると、

彼女はこんなことを言った。

「あのさ、お父さんのためにお守りを作ってくれないかな。

ウェディング姿を見せる時に渡してあげたいの」

「……分かった。やってみる」

僕はそう答えた後、頭を抱えてしまった。

実はもうお守りは作り始めていたのだが、

彼女が指定した日まではあまりにも時間がなかったのだ。

僕は迷った。

早く仕上げてしまうこともできる。

でも、お守りは……仏像は、何のためにあるものなのか?

仏像はただの飾り物じゃない。

祈りを込めて魂を込めて造るものだろう。

このお守りを親父さんに渡したらきっと祈るだろう。

自分の命をかけて、このお守りに祈るだろう。

「どうか生き永らえさせてくれ」って。

僕は、つくりかけたお守りを手のひらにぎゅっと握り、

祈りを込めて彫刻刀を動かした。

ゾリッゾリッゾリッ……。

一刀一刀祈った。

「どうか、親父さんに力を与えられますように」

「どうか、彼女が笑顔になるますように」

急げ。

でも、祈りを込めて丁寧に……。

急げ。

親父さんの命があるうちに届けなくては。

僕は、親父さんが入院している山形の病院にきた。

タキシードを着て、隣には真っ白なウエディングドレスを着た彼女がいる。

花嫁姿を見た親父さんは、涙を流して喜んでくれた。

僕も涙が止まらなかった。

僕は結局、この日までお守りを造り上げることができなかった。

全身全霊をかけて、急ピッチで彫り続けた。

だけど、祈りを込めることは妥協しなかった。

今まで僕は、

技術的に素晴らしいとか、

美しいとか、

かっこいいとか、

そんなことばかり気にしていたように思う。

だけど仏像は

それだけではないことに気づかされたのだ。

親父さんのお守りは、

誰が何と言おうと、

僕が祈りを込めて彫った「仏像」だと言い切れる。

僕は、この未完成な「仏像」を親父さんのために持ってきていた。

まだ出来上がっていないものを持ってきても

しょうがないと迷ったけれど、

彼女の強い希望もあり、親父さんに見せることにしたのだった。

「まだ造り途中なんですけど……」

恐る恐る未完成なお守りを差し出した。

白髪で痩せ細った親父さんは、しわくちゃの手でそれを受け取った。

「これは……。すごいな。……ずいぶん細かい作りだね」

「ありがとうございます。

本当は今日まで仕上げたかったんですけど……。すみません」

「いや……丁寧だ。手が込んでる。

こういう仕事をする人は、気がいい。……優しさが出ている。」

まじまじと未完成なお守りを見つめながら、

親父さんはかすれた声で褒めてくれたのだった。

不器用で、人のことをそうそう褒めないと聞いていた

親父さんが褒めてくれた。

僕は照れ臭くて、まだ未完成でダメなところばかり説明した。

この日から一週間後、

僕はこのお守りを仕上げて再び親父さんのところに持って行った。

親父さんは、一週間前の様子から比べてまたさらに弱っていた。

自分で起き上がるのもやっとで、吐き気が強く長く話せなかった。

また時間を見つけて親父さんに会いに行こう。

そう思っている間に、あっけなく親父さんは旅立った。

お葬式の時、

いろんな人から僕が造ったお守りを褒めてくれる声を聞いた。

親父さんは入院中毎日、僕のお守りを手に握り祈ったそうだ。

お見舞いに来た人や、病院のスタッフに

「娘の婿になる人が俺のために造ってくれたんだ」と

自慢していたそうだ。

僕は親父さんの遺影を前に涙が止まらなくなった。

お葬式の時にたくさん飲まされたビールのせいもあるけれど、

僕の理性は全て吹き飛び、声をあげて泣いた。

絶対に一人前になって、大事な娘さんのこと守るからな!

ウエディング姿で未完成なお守りを持って行ったあの日、

親父さんは僕にこう言った。

「娘を頼んだよ。……信じているからな」

まだ仏師として一人前には程遠い僕に

「信じている」と言ってくれたのだ。

溺愛していた娘を、

どんくさい男に預けるのはさぞかし不安だっただろう。

エリートサラリーマンでもないし、

それどころかマクドナルドのハンバーガーすらまともに作れない。

自分一人が食っていくのが精一杯で、

未だに時々ティッシュ配りのアルバイトをしている状況だ。

しかも、

大切な晴れの日に

大事なお守りを造り上げることすらできないような男だ。

それなのに親父さんは「信じている」と言ってくれた。

この言葉は、

「頑張れ」とか「応援している」とか

どんな言葉よりも励みになるものだ。

僕はこの言葉を忘れない。

絶対に一人前になって、多くの人を救うような仏像を造ってみせる。

ゾリッゾリッゾリッ……。

ふぅ。

息を吹きかけるとかつお節のような木屑が飛んでいく。

木の塊から仏様の姿が少しずつ見えてくる。

一刀一刀、祈りを込める。

僕は今日も仏像を彫っている。

もうティッシュ配りのアルバイトはしていない。

親父さんが託してくれた大事な娘と家族になった。

もう一人家族も増え、守るべきものが増えたから大変だ。

僕は今でも、テキパキと次から次へと仕事をこなすのは苦手だ。

きっと今またマクドナルドで働いたって、ビックマックに肉を入れ忘れるだろう。

でも、それでいい。

僕は僕にしかできないことをしているから。

ゾリッゾリッゾリッ……。

ふぅ。

彫っては息を吹きかけて削りかすを吹き飛ばす……。

こんな地味な作業の繰り返し。

これが僕の歩む道だ。

この地道な一歩の繰り返しが、ただの木の塊から仏様の姿を浮かび上がらせる。

美しすぎず、かっこよすぎない、僕が造る、あたたかい仏像だ。

——お前はこのままでいい。ありのままでいいのだ。

いつか、

僕の造った仏像もこんな風に語りかけるかもしれない。

学校やアルバイトで失敗して落ち込んでいる、

昔の僕のような君にね。

*****************

最後までお読みいただきありがとうございました。

誰かの力になれればと思い、僕の人生を振り返り、妻とともに綴りました。

僕は自分のことを、一般社会では何の役にも立たないどんくさい人間だと思っていましたが、己の道を見つけることができました。
もしも、同じように苦しんでいる人の力になれたら幸いです。

僕は2017年の初めから、奈良県の山あいにある東吉野村に新しい工房を構えました。

そこで弟子を育て、僕たちにしか造れないようなユニークな仏像を生み出します。

僕のような何をやってもどんくさいやつが弟子を育てていくなんて正直自信なんてありません。

でも、
こんな僕でもここまで出来たから、
いろんな個性のある仲間が集まれば
もっともっと面白いことになると確信しています。

僕は師匠と呼ばれるにはまだまだ未熟な人間かもしれません。
でも弟子をとったことで
自分がもっと育てば結果的に全体が育ちます。
ものづくり業界自体が盛り上がってくれたらと思います。

僕の珍道中人生はまだまだ始まったばかり。

2017年1月31日 安本 篤人

▼妻のストーリーはこちらです。よろしければご一緒にどうぞ。

【末期がんの父に贈った病院ウエディング】めげない心が起こした奇跡

著者:安本 篤人 (from STORYS.JP)

© 1010株式会社