小田原の文学に思い馳せて 「光と風を送る会」活動に終止符 小田原市

「さよなら会」に集まった会員と田中代表(前列中央)=城山カフェBOSSで

 穏やかな冬の日が差し込む市内城山のカフェで、思い出話に花が咲く。2004年に発足した「小田原の文学に光と風を送る会」が1月下旬、その活動を終えた。

 会の設立から代表を務めてきた田中美代子さん(93)が、苦楽を共にしてきた会員に感謝の思いを伝えた。この日の「さよなら会」には、かつて会に所属しアニメ「ポケットモンスター」などを手掛けた脚本家首藤剛志さん(故人)の娘・三穂さん(22)や、加藤憲一市長なども駆けつけた。

 今でこそ小田原の文学を語るのに欠かせない田中さんだが、いわく「子育てや生きるために精一杯の専業主婦」だった。とはいえ文学は少女のころから好きで、忙しい主婦業の合間を縫って横浜のカルチャー教室の小説講座に通い、文学雑誌に短歌や小説を寄稿することもあった。

 60代後半、小田原市が立ち上げた「おだわらシルバー大学」の1期生として歴史観光学科で学ぶ。北村透谷、尾崎一雄、川崎長太郎、北原白秋に谷崎潤一郎ほか、日本文学史上に名を残す数々の文学者の小田原での足跡をあらためて知り、卒業生24人と小田原ボランティアガイド協会を設立。副会長を務めながらガイドコース「文化碑めぐり」を設け、”文化都市”小田原の魅力を伝え続けた。

 もっと文学研究に力を注ぎたい、市民の人たちにも知ってもらいたい。思いをともにする人と会を立ち上げた。「小田原の文学に光と風を送る」…思いがそのまま会の名称となった。79歳だった。

新たな目標へ

 多いときには会員は100人を超えた。文学者や会員のエッセー、寄稿などを紹介する会報は、当初は月刊、近年は季刊化したが巻頭言は必ず田中さんが執筆した。昨年8月18日発行、最終号となった第85号では、終戦日の2日前、20歳で遭遇した自宅近くの新玉国民学校へのアメリカ機による爆撃や、終戦後の困難を記している。

 「毎回の編集や執筆がきつくなって」。3年ほど前から活動終了を考えていた。残念がる声に後ろ髪をひかれながらも「やりたいことがあるの」とほほえむ。ライフワークである北原白秋の2番目の妻、江口章子の研究を本にまとめたいという。

 「ちょっと歩けば、小田原の文学者のささやく声が聞こえますよ」。目を輝かせる表情は、いまだ文学少女のようだ。

会報の題字は、作家の夢枕獏さんが書いた

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