音楽制作に苦悩、心境を吐露 小室哲哉さんの引退会見

記者会見し引退を表明した小室哲哉さん=東京都内

 小室哲哉さんが数々の大ヒット曲を生み出していた1990年代、私はまだ一桁か、10代になったかぐらいの年齢だった。歌手の後方で長めのさらさらした髪の毛をなびかせながら楽器を演奏する彼の姿をテレビの前で見ていた。20年ほどがたち、まさか本人がわずか数十メートルの距離にいて、そして彼の重大な発表の場に自分がいることなんて、想像だにしなかった。

 1月19日、小室さんは、一部週刊誌で報じられた自身の不倫疑惑に対する「僕なりのけじめ」として引退を表明し、約1時間40分に及ぶ記者会見で経緯を話した。小室さんがさらけ出したのは、この数年で深めていった苦悩と音楽家としての能力への不信―。Jポップ界を席巻した名プロデューサーは、思い描いていたものとは「全く違う」形で身を引く意思を明かす場に立っていた。

 会見前夜に考えたという文章をまとめた紙を手元に置きながら、小室さんは約150人の記者やカメラマンを前に2010年ごろにさかのぼって話し始めた。

 「突発性難聴に近い状態。今も左の耳はほぼ聞こえず、耳鳴りがする」。著作権を巡る詐欺事件で有罪判決を受けた後、音楽活動を再開。11年、自身もメンバーのグループ「globe」のボーカルで妻のKEIKOさんがくも膜下出血で倒れた。後遺症があるKEIKOさんのサポートと仕事をこなす中、2年ほど前にC型肝炎に罹患し、治療に臨んだ。左耳の不調に見舞われたのは17年の夏前ごろ。ストレスによる摂食障害や耳鳴りなどと診断され、入院もしたが耳や体の調子は戻らず、納期が遅れるなど音楽制作にも影響が出始めた。「『小室哲哉だったらこんな音をやってくれるだろう』という期待に応えられるのかどうか、自問自答する日々でした」。

 音楽制作への不安や自信のなさは日増しに強くなった。作業のやり直しも増え、やっとの思いで仕上げて次の仕事という日々が多くなり「定年(60歳)に近い人間が今のめまぐるしい状況のエンターテインメントの中で役目が何かあるのか」と引退の言葉が浮かぶようになっていたという。周囲からねぎらいを受けながらグラウンドの真ん中に立ち、スポットライトを浴びてありがとうございましたと話す、そんなスポーツ選手の引退セレモニーに思いを巡らせたこともあったと振り返った。

 初めはボーカリストとして愛情を向けたというKEIKOさんの現状にも触れた。リハビリに取り組んでいるが、大人同士の会話は難しい状態という。自身の体調や仕事の悩みを共有できなかったことは小室さんにとって心理的な孤立を深めることになったのだろう。次第に、治療の前後に雑談するようになった女性看護師に好意を持つようになった。男女の関係は否定したが、心の支えになっていたと言う。「僕の甘え」と小室さんが次々と語っていく内容は何とも情けなく、弱々しく、等身大だった。現在、KEIKOさんは音楽に興味がない様子で、「ピアノのフレーズをちょっと弾いても、30秒聴くのも持たないぐらい」という。こう話したときは一段と沈んで見えた。

 時折涙をぬぐう仕草を見せたが、小室さんは冷静だった。慎重に言葉を選びながらも、自身の気持ちや考えに至った過程をありのまま的確に表現した会見だったと思った。何よりも小室さんを苦しめたのは華々しい過去だったのだろうと受け止めた。「90年代、自分でもまったく今でも想像がつかない枚数、売り上げだった。音楽という意味では影響がありすぎたところが一番基準になり、超えることはもちろんできないわけですし、下回るとレベルが下がった感、(能力が)枯渇したような、期待に応えられていないような感覚」「あの時代の曲は素晴らしいよね、と言ってくださる方が一番多いので、やっぱり基準にしてしまう。そこから上じゃないと」。淡々と話しているのに、どんどん追い詰められていったことを感じる、心が締め付けられるような告白だった。

 私は特別、「小室ファン」というわけではなかった。だが、いくつかの楽曲は今も聴くことがあるし、初めて聴いたときと何ら色あせず素敵な曲だなと思う。その一つが「FACE」という曲だ。KEIKOさんがぴんと張り詰めたような美しい声で歌い上げていたものだ。いろんな生き方や価値観があると言われる中でも、周りから向けられる目は必ずしもそうではないこともある。ふとしたときになぜかものすごく傷ついたり、自分の将来に何とも言えない不安に襲われたり。小室さんが「子どものようなもの」と言い表した楽曲は、やるせない気持ちになったときの私を励ましてくれている。会見中、そんなことが頭に浮かんだ。ちょっともやもやした気持ちになり、メモを取る手を止めてふと顔を上げた。「ありがとうございました。心から感謝しています」。小室さんが長年支えてくれたスタッフらに向けて語りかけていた。(共同通信文化部記者・萩原里香)

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