“働かせ方”改革

 どんなにやり甲斐(がい)にあふれ、待遇や自由度に恵まれていたとしても「働く」ことが“純度100%”の楽しさばかりでできていることなどあり得ない。それでも、より幸せな働き方、多様な働き方を模索することを諦めてはいけない。だからこその「働き方改革」のはずなのに▲五輪の熱戦の陰で…と形容するのは少しばかり不謹慎だろうか。ここ数日の国会、野党の攻勢と安倍晋三首相のかつてない平謝りが続いている▲「裁量労働制」と総労働時間の関係を巡る調査データの処理に疑義があることが分かった。単純に比較してはいけない数値同士を比較していたそうだ。ミスだとしたらあまりにお粗末、自説を補強するための意図的な取り違えならばあまりにも悪質▲関連法案は今国会の「目玉」とされてきた。だが、法案作成の根拠も、議論の前提も揺らいでいる。答弁を修正したとはいえ、首相は法案提出の構えを崩していないし、労働時間の再調査にも応じないようだ。前進あるのみ、か▲少子化による生産年齢人口の先細りはこの国が抱える大きな課題には違いない。深刻な人手不足の時代はそこまで来ている▲しかし、だからといって働き方改革の主眼が「働かせ方改革」に置かれていい道理などないだろう。看板に偽りあり-その思いが日ごと募る。(智)

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