滑石市場45年の歴史に幕 マンモス団地の「台所」来月末で

 かつて「九州一のマンモス団地」といわれた長崎市滑石地区。その住民の「台所」として暮らしを支えてきた「滑石市場」が3月末、老朽化のため約45年の歴史に幕を下ろす。5月以降に解体され、現在営業している3店舗が新たな建物で約1年後の再開を目指すが、店主や常連客らは愛着ある空間で一日一日をかみしめながら過ごしている。

 長崎滑石郷土史誌などによると、稲作中心の農村地帯だった滑石地区は1962年、県が大規模な団地造成計画を打ち出して発展。翌63年から約100万平方メートルに公営住宅や一戸建ての家が相次いで建設された。滑石町(当時)の人口は10年間で10倍に膨らみ、73年に約2万1千人を突破。都市化に伴い同年10月に開設されたのが滑石市場だった。当初は鮮魚や漬物、すし店など約15店舗が並び、特売日や年末には行列ができたという。

 市場開設から3年後の76年、滑石町は滑石1~6丁目、大園、大宮、北栄、北陽の10町などに再編される。この10町の人口は80~90年代は2万5千人前後だったが徐々に減少し、先月末時点で約1万9千人。食料品がそろうスーパーが付近に複数できたこともあり、顧客の獲得競争は厳しくなった。現在、市場で営業するのは開設当初からある鮮魚と青果のほか、精肉の計3店舗に減った。3月末までに順次店を閉めるという。

 新鮮な刺し身を求めて約20年間、毎日通っているという大窪宏一さん(94)は「店の人と世間話をした後、刺し身をつまみに家で晩酌するのが日課。市場が解体されるのは寂しい」と名残惜しそうに話す。

 市場の所有者で、金融業を営む「一ノ瀬商事」の一ノ瀬惠介社長によると、5月以降に解体工事に着手。現在の3店舗分のスペースに縮小して建て替え、19年春の再開を目指しているという。その間、3店舗は近隣で営業を続ける。

 「久松鮮魚店」の店主で市場の組合長を務める久松徳伸さん(69)は「毎日来てくれるお客さんのことを考えると、約1年間市場を空けるのはつらい。だが戻ってこられることを励みに頑張り、また皆さんに市場を利用してもらいたい」と話す。

 「松浦青果店」の店主、松浦弘人さん(74)の孫勢太さん(17)が企画した写真展が24日まで市場で開催中。市場で働く人らの写真約20点が並んでおり、利用客のメッセージも映像で流している。

最終営業日まで、心のこもった接客を続ける久松さん夫妻(左の2人)=長崎市、滑石市場
3月末で営業を終える滑石市場=長崎市

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