日本とチリつなぎ、7年掛けて映画に挑む  たった独りでカンヌに飛び込む(1)【→U30】

映画撮影の合間に談笑する俳優石崎チャベ太郎(右)とイグナシオ・ルイス・アルバレス監督(中央)、左は別の俳優=チリ

 

 カンヌ国際映画祭で、偶然、若い日本人俳優とチリ人監督が出会った。2人は協力して映画を作り始める。それから7年余り。途中発生した東日本大震災の経験を脚本に盛り込み、撮影も終了、完成まではあと一歩だ。くしくも今年は日本・チリ外交関係樹立から120年。「消費されるだけでなく、後世に残る美しい作品を」。可能性を信じ、無謀とも思える夢に挑む姿を紹介する。

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(1)世界の頂をみてみたい!(前編)

 なんだか、同じような作品ばかりだ。国内で上映されている映画は、どれも似たような目線で作られているようで、違和感があった。映画って、もっと多様なものじゃないのか。他の国々はどうなっているのだろう。

 「世界の頂を見てみたい」。2010年5月、当時20代半ばだった俳優石崎チャベ太郎(34)は単身、フランス・カンヌを目指した。

 東京からカンヌまでは飛行機で15時間以上、約1万キロ離れている。渡航できるだけのお金は持ち合わせていなかった。フランス語はもちろん、英語もYESとOKぐらいしか話せない。知人の監督に自宅で撮影してもらった20分のショートフィルムだけが頼りだった。その撮影に参加した仲間にも「一緒に行こう」と声を掛けたが、フランスまで来るとは誰も言わなかった。

 それでも、石崎はなんとかなると考えていた。「フィルムをみてもらえばわかり合える。言葉なんて現地で覚えればいい」。こまごまとした不安より、世界の現実を見たい情熱が勝っていた。お金は親に頭を下げて貸してもらい、フィルム1本だけを頼りにカンヌにたどり着いた。

 カンヌ映画祭のショートフィルムのコーナーは、比較的自由に作品を持ち込めると聞いていた。スタッフをしているフランス人学生に、身ぶり手ぶりでこちらの希望を伝え、なんとか上映もできた。毎日いろいろな人と交流し、意見交換もできるようになった。少しずつだが言葉も覚えた。

 ある日、フランスの学生とカフェにいると、向こうから2人の男がやってきた。メキシコ人とチリ人。顔見知りだったらしい学生が手を振ると、2人は石崎たちの席に合流した。これがチリ人監督イグナシオ・ルイス・アルバレスとの出会いだった。

インタビューに応じる石崎チャベ太郎=2017年7月、東京

 

 「初めて会った気がしなかった」。石崎は第一印象を振り返る。会っていると、もっとしゃべりたいと思えた。自然にコミュニケーションがとれるようになり、毎日のように一緒に遊び、話し、どんどん共鳴し合った。コンペティション部門で上映していた北野武監督の「アウトレイジ」の評価を巡り、激しく意見を交わしたこともあった。

 映画祭も終わり、石崎は帰国した。イグナシオは帰国途中にイタリアを旅行。現地の美しい写真を送ってきた。「まだお互いの心はつながっている。今切り出さないと」。石崎は、自分が撮影したいアイデアを思い切ってイグナシオに伝えた。脚本のタイトルは「隣の芝生は青い」という意味を込めた「GREEN GRASS(グリーングラス)」。イグナシオからは「おもしろい」とすぐに返事がきた。これが日本とチリによる初の共同製作映画の始まりだった。(後編に続く、敬称略、共同=川崎経大)

映画撮影の合間に談笑する俳優石崎チャベ太郎(右)とイグナシオ・ルイス・アルバレス監督(中央)、左は別の俳優=チリ

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