引きこもり脱したのは… 音楽、外への道しるべに(YOUTA後編)  U30のコンパス第20部「仕事を離れて」(4)

クリスマスのソロリサイタルで演奏するYOUTA=富山市

 引きこもり生活の中でも、ピアノは弾き続けていた。「あいつまたピアノばっか弾いて」「いつまであんなことしているんだ」。部屋の外で話す親の声が聞こえる。自分には音楽しかないと思ってきたのに、それがいさかいの火種になる毎日がつらかった。

 だがそんなYOUTA(ゆーた)(34)を外の世界へ連れ戻したのもまた、音楽だった。

 引きこもり始めてから1年半後の夏。勇気を振り絞り、会員制交流サイト(SNS)で自分の作品を歌ってくれるボーカリストを募ってみた。視覚障害者用のソフトに慣れ親しんで得意だったパソコンが役に立った。大学卒業後、人と本気で関わろうとしたのは初めてのことだった。

 元々は目立ちたがり屋。特別支援学校時代は「大きなステージに立ちたい」とバンドで作曲に明け暮れていた。人と一緒に音楽を作る喜びが恋しい―。「僕の原点はここだ」。壁を越えた瞬間だった。

 富山県内の女性から「ぜひ歌いたい」と連絡が来たのは間もなくのこと。彼女への感謝を書き下ろした曲「出会い」を引っ提げ、2008年11月、2人でライブに出演した。1曲だけの出番。終わった瞬間、喜びとともに込み上げてきたのは、強烈な物足りなさだった。

 「もっとやりたい」。意を決して、音楽業界の知り合いに自分を売り込んでみた。すると、うわさを聞きつけた県外のアーティストからも共演を誘われるように。みるみるうちに、外の世界は広がっていった。

 そこからは、とんとん拍子だった。活動が軌道に乗った10年に音楽プロダクションを設立し、楽曲制作と演奏活動で各地を飛び回る生活に。障害のある音楽家のコンテストでは、2年連続で楽曲賞を受賞した。

 本音を言えば、相変わらず人付き合いは苦手だ。できることなら今も、家でずっと作曲していたい。ただ、最近こうも思う。「よく考えれば僕、パソコンという箱を通じてずっと人とつながり続けてたじゃん、って」

 インターネット環境があれば何でも発信できる今、目標が見つかった。それは、引きこもったままでも音楽を発表できる場をつくること。でも、自分のためじゃない。

 「僕みたいにリアルな人付き合いが苦手な音楽家が、当たり前に自分の作品で食べて行ける仕組みがあれば良いなって。音楽業界に、新しい流れをつくってみたいんです」(敬称略、年齢や肩書は取材当時、共同=岡本奈生加24歳)

▽取材を終えて

 ひとしきり打ち明け話をしてもらった後で、自作のお粗末なメロディーを元に即興演奏を頼んでみた。弾いて聴いてもらうとすぐにYOUTAさんが弾き継ぎ、見違えるような「大作」に早変わり。大喜びで耳を傾けていたところ、「これ良い曲ですよ。僕の演奏会で弾いてもいいですか」とYOUTAさん。「いやいや、そんな」とその場では笑って流れたのに、2カ月以上たって再び取材にお邪魔したら、覚えていてくれたばかりか、今度はジャズアレンジして弾いてくれた(おしゃれすぎて、もはや原曲の面影はなかった)。

 本人は「リアルに人と会ったり話したりするのは苦手」と言うけれど、音楽づくりの話となると彼の言葉は一気に弾み、あふれて、少しそわそわとし始める。もちろん、音楽の神様に愛された人だと思う。でも決して、「才能」や「特技」ばかりが彼を「外」に押し出したのではないとも思う。好きな世界に通じるドアを開けるためならきっと、普段はなかなか気が進まないこともちょっとだけ頑張れるのだ。

 好きなものがあるって、なんて心強いんだろう。ピアノの前に座るYOUTAさんと話しながら、そんなことを考えた。(第20部完)

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