金子兜太さん

 1945年、夏。一切の補給路を断たれた南の島で敗戦を迎えた。〈水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る〉。戦地で非業の死を遂げた部下への思い、亡骸(なきがら)を置き去りにしたまま自分は日本に帰る自責の念。それが句作の原点にあった▲赤道直下の島、わきあがる積乱雲。空が青かった。あれやこれや理屈は抜きにひたすら生きようと誓った日の句がある。〈海に青雲生き死に言わず生きんとのみ〉▲10年ほど前、自作の世界をこんな言葉で語った。「…いろんな俳句の作り方をしている人がいるけれど、いのちのねぎらい合いをしなければならんと思っているような人たち、この人たちと手を握っていきたい」▲戦争の悲惨を語り続けた俳人の金子兜太(とうた)さんが20日、98歳で亡くなった。日銀マン時代には長崎支店に2年間勤務、代表作として知られる〈湾曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン〉の句を残すなど本県との縁も深かった▲昨日の紙面には、故人を惜しむ人々の声や評伝とともに、国会前のデモでプラカードを掲げる群衆の写真があった。「アベ政治を許さない」-。沢地久枝さんの依頼で筆を執ったそうだ▲“アベ政治”への支持、不支持は意見が分かれるだろう。ただ、そこを超えて「許さない」という言葉はこういう文字で書くものだ-と教えるような筆だ。(智)

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