ジャニーズ・嵐、最後のメンバーは相葉じゃなく生田斗真だった!?

嵐が松本潤、櫻井翔、大野智、相葉雅紀、二宮和也の5人編成であるのは、もはや国民の常識だ。彼らが、ジャニーズJr.時代の紆余曲折を経て5人でデビューしたのは、偶然の必然といえた。しかし、嵐結成前の90年代中盤、「次期CDデビューにいちばん近いJr.」と、誰もが信じて疑わなかった4人組がいたという。

「それは、MAINです。松本のM、相葉のA、生田斗真のI、二宮のNで、ジャニーズ恒例の頭文字を取ったユニット名です。彼らは、96年にジャニーズ事務所に入所した同期。会社は、将来有望だったこの4人を、翌年から猛プッシュしていったんです」(ジャニーズ通のアイドル雑誌の編集者)。

97年、複数名によってB.B.B.が始動。その後、J-Boys、ジャニーズJr.Boysとなって、最後にMAINで落ちついた。初の主演ミュージカル『Stand By Me』も大成功。次のステップに上がることが予想された矢先、雲行きが怪しくなった。群を抜いたエリートだった生田の周辺が、騒がしくなったのだ。

そもそも生田は、入所後ほどなくしてNHK“天才てれびくん”シリーズのメインキャラクター・てれび戦士に選出されたほどの優等生。およそ2年にわたってレギュラー出演すると同時に、朝の連続テレビ小説『あぐり』でも役を与えられた。さらに、バラエティ『中居正広のボクらはみんな生きている』(フジテレビ系)にも出演。中学生の時点で、同僚Jr.を大きく引き離していた。

98年には、山下智久とB.I.G. Eastを結成。のちに、元KAT-TUNの田中聖、A.B.C-Z・五関晃一らが加わって、B.I.G.となった。振り返れば、ここが分岐点だったといえる。

「この翌年(99年)、嵐がデビューしています。翔くん、マツジュン(松本)、ニノ(二宮)がすでに決定していて、歌とダンススキルが抜きんでていた大野くんが加えられました。残りの1枠は、ジャニーさん(ジャニー喜多川社長)が相葉くんの家に直接電話をかけて、パスポートを持っていた、指定した日が空いていたという理由で、ハワイで行うデビュー会見に連れていったんです」(先の編集者)。

かくしてそろった奇跡の5人。“元エース”となった生田はのちに、同期の嵐のバックダンサーを務めるほど、堕ちた。退所が何度も頭をよぎったが、高校生のときに劇団☆新感線と出会って、舞台俳優として開花。今では、双方が肩を並べる活躍だ。

もしもあのとき、相葉がパスポートを取得していなかったら、嵐最後の1人は生田だった!? 見てみたい気もするが……。

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