際立つケン・ローチ監督の闘い 日本でも評価高い「わたしは、ダニエル・ブレイク」

2016年のカンヌ国際映画祭授賞式で最高賞「パルムドール」を受けたケン・ローチ監督(ロイター=共同)

 今年も国内外の映画賞の結果が出そろう季節になった。外国映画の部門で目に留まったのがケン・ローチ監督の「わたしは、ダニエル・ブレイク」。映画評論家らが投票する「キネマ旬報ベストテン」で外国語映画の1位になったほか、毎日映画コンクールでも外国映画ベストワン賞に輝いた。

 ケン・ローチと言えば、英国の労働者階級の人間ドラマを描き続けてきた「社会派」の監督。フランスのカンヌ国際映画祭でも最高賞を受賞しているし、いったん発表した引退を撤回してまでこの映画を作り上げた現在81歳の名監督に、敬意を表したという面が大きいと思う。だが、この中に描かれた低所得者の状況がよその国のことではなくなっていることも影響しているのではないかと受け止めている。

 映画は職人としてつつましく生きてきた男性とシングルマザーの姿を描いた。愛する妻を介護の末にみとり、1人暮らしをしている59歳の大工、ダニエル・ブレイク。心臓病のため職場で倒れ、医師から仕事を止められているが、国から「就労可能」と手当の打ち切りを通告される。職業安定所で別の手当を申請するよう言われるが、パソコンを使ったことのないダニエルにはインターネット上の手続きは簡単ではない。

 一方、シングルマザーのケイティはロンドンのホームレス用宿泊施設から、親子3人でこの町のアパートに越してきた。職安の面談時間に遅刻したことを理由に給付金の減額を通告される。

 職員の杓子定規な対応に抗議したことで職安を追い出されたダニエルとケイティ親子は心を通わせるようになるが、ダニエルの給付手続きは進まず、お金のないケイティも追い詰められていく…。

 映画で詳細に描かれるのは、行政機関の中でのたらい回しや手続きの煩雑さ、制度の不親切さだ。少しの救いもない結末には、作り手の怒りが込められているに違いない。タイトルは、不寛容な国に切り捨てられた個人の尊厳を訴えている。ローチ監督は2015年の総選挙で保守党が勝利した直後に、この映画の製作を決めたという。

 福祉や社会保障の制度は異なっても、病気で働けなくなるという事情、シングルマザーの困窮は日本でも共通の課題だし、格差の拡大は世界中に広がっている。

 この映画を見た時に思い浮かんだのは同じケン・ローチの作品「マイ・ネーム・イズ・ジョー」(1998年)のことだった。労働者階級の厳しい状況をユーモアを交えて描き、アルコール依存症で失業中の主人公に保健師の女性が寄り添うラストは、悲劇の中にかすかな救いも感じさせた。この20年近くで世界の様相はますます弱者に厳しくなっているという認識が、映画に現れているのだろう。

 この数年、日本映画でも、厳しい状況にいる若者を題材にした作品が高い評価を得ている。だが、ケン・ローチの闘う姿勢は際立っている。人間の暮らしと政治は不可分だというのが監督の社会観だという。引退と言わず、社会や政治を背景にした良質な人間ドラマをまだまだ見せてもらいたい。(共同通信文化部記者・伊奈淳)

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