【東宝運輸商事創立70周年】「運送」「敷板リース」が2本柱 JFE鋼材東京工場と〝一心同体〟

 JFE鋼材(本社・東京都中央区八丁堀、社長・石原慶明氏)の100%子会社で、鋼材輸送や鋼板(敷板)リース業を手掛ける「東宝運輸商事」(本社・千葉県市川市千鳥町、社長は石原社長が兼務)が、1948(昭和23)年3月の設立から数えて今年で70周年を迎えた。

 東宝運輸商事の鋼材輸送(運送)部門は、JFE鋼材の厚板溶断加工の中核拠点である東京事業所・東京工場(千葉県市川市塩浜)で生産したすべての切板製品の運送を担うことを最大の使命としている。

「つくる」「運ぶ」で機能分担

 JFE鋼材・東京工場にとって信頼できる専属の運送子会社を有しているのは「強み」だ。自分たちが加工した切板製品の物流を滞らせることなく確実に客先に納入するからだ。

 東宝運輸商事にとっても「確たるベースカーゴとなる荷主」が存在するのは、事業運営を展開するうえで「頼り」になる。

 JFE鋼材・東京工場と東宝運輸商事は「つくる」と「運ぶ」という役割を分担しながら「建設鋼構造物づくりを共に下支えする」との共通認識のもと相互連携しているわけだ。

 さらに東宝運輸商事では、JFE鋼材・東京工場を「コア」としながら、ほかにも近隣の鋼材販売・加工に携わる企業の配送も手掛けている。

 現在の車輌保有台数はトラクター(牽引車)が7輌で、このうちユニックタイプが2輌。トレーラが大小あわせて9輌。トラックは15トン車、10トン車、8トン車および15トンユニックと10ユニックを合わせて6台となっている。

 これに一部庸車を加えた「運送部門」の直近の月間平均輸送量は9千トン弱。このうち4割弱をJFE鋼材・東京工場が占め、2割程度を近隣の鋼材関連企業などとなっている。残りの4割強は「敷板」の運搬である。

敷板保有、1万2000トン強

 東宝運輸商事の「運送部門」と並ぶもうひとつの事業の柱が「敷板のリース部門」だ。JFEグループの重仮設企業向けをはじめ土木資機材や重機などのレンタル・リース業向け、ゼネコンの建設現場搬入などを手掛ける。

 JFE鋼材・東京工場の敷地内の一角に敷板の置場ヤードを確保。4・8トンおよび2・8トンの門型クレーンを計3基、150トン矯正機1台、ケレン装置機1台を保有している。直近の敷板保有量は1万2千トン強となっている。東京シヤ出身者が創設

 東宝運輸商事はJFE鋼材の運送子会社だが、JFE鋼材発足以前はもともと旧東京シヤリング系列だった。その歴史を振り返ると…。

 今からちょうど70年前の1948(昭和23)年3月に、かつて東京シヤリングに在籍していた林幸雄氏が、東京・日本橋箱崎町の地に資本金10万円で東京シヤリングの専属貨物運送会社「東宝運輸」を立ち上げたのがはじまり。

 先達の話によれば「東宝」の名は「陽が昇る『東』は事のはじまりであり〝晴れ〟を意味する。おめでたい『宝』と合わせて事業の成功・発展への思いを込めた」らしい。

 設立当初はトラック数台で事業を行っていたが、まもなく経営困難に陥り、東京シヤリングに援助を求めた。東京シヤリングも、作業量の増大に伴って運送部門の強化が喫緊の経営課題となっており、双方の思惑が一致するカタチで東京シヤリングが東宝運輸を系列化した。設立から2年後の50(昭25)年5月のことである。

 創設者の林氏は専務となり、社長には東京シヤリングの高松新吉氏が就任した。翌51年には特定貸切貨物自動車輸送事業免許、54年には一般区域貨物自動車運送業免許がそれぞれ認可され、事業エリアも東京都から川崎、横浜方面へと神奈川一円に広げていった。

拡張経て「選択と集中」

 時代は高度経済成長期。親会社である東京シヤリングは、この頃すでに旧日本鋼管(NKK、現JFEスチール)の鋼材取扱指定問屋となっており、戦前の大阪、名古屋に加えて仙台、東京(のちに千葉県市川市に移転)、福山と相次いで厚板溶断工場を開設。厚木にはプレス工場も設置するなど事業領域を拡大させていった。

 こうした時代の流れに合わせて東宝運輸も自動車分解整備事業の認証を新たに取得したほか、川崎や厚木、千葉に営業拠点を相次いで立ち上げた。

 この間に本社所在地を箱崎から深川、砂町地区に移転しながら増資を重ねて業容を拡充。最盛期(昭和50年ごろ)には全事業所あわせて15トントレーラを含めトラック計40台を保有し、東京シヤリングの役員車の運転手を東宝運輸の元社員が担い、東京シヤリングの東京工場(当時は砂町)の従業員送迎バスの運行を行い、さらには民間自動車整備業も手掛けていた。

 昭和50年代後半には東京シヤリングが「鋼板リース事業」を開始。これが、97(平9)年12月に東宝運輸に移管されたのを機に、社名を「東宝運輸商事」に変更している。

 その後は「運送」と「リース」を経営の2本柱とするが、運送事業は自動車分解整備事業の廃止や川崎営業所の閉鎖、浦安鉄鋼団地内に車庫を新設するとともに本社も移転。これに伴い、千葉営業所閉鎖。のちに厚木営業所も閉鎖する。

「出荷作業全般」担当、一体運営推進

 この頃、JFEスチールが発足し、東京シヤリングも川鉄鋼材工業と経営統合して04(平16)年10月に「JFE鋼材」となる。東宝運輸商事は本社を浦安鉄鋼団地から現在のJFE鋼材レベラー事業所(市川市千鳥町6)に移し、現在に至る。

 かつては数多くの車輌を駆使して東京シヤリングの各主力工場を結ぶ「動脈」の役目を果たしていたらしいが、現在はJFE鋼材・東京工場をメーンとし、運送だけでなく「出荷作業全般」を委託され、請け負っている。

 昨年6月あたりから首都圏建築再開発案件需要が徐々に本格化し始め、それに伴いJFE鋼材・東京工場も切板の受注量が復調。月によっては月産3千トンを超え、多いときには切板加工点数が月に6万ピースを超えた。

 寸法や形状が千差万別で、しかも顧客からは材料供給がタイトな折に「何日の何時までに納品してほしい」と即納を要求される。東京工場から直接、客先工場に納入することもあれば、加工外注先経由での納品もある。

 こうした複雑で多岐にわたるケースにきめ細かく対応し、切板製品の出荷(梱包、積み込み、荷ぞろえ)から配送までの重要任務を、JFE鋼材・東京工場と一体となって協業した。

 祝賀会の席で、来賓を代表して挨拶に立ったJFE鋼材の柳田正宏取締役東京事業所長は、東宝運輸商事のこれら労をねぎらい、その重責を全うしたことを賛辞したうえで「われわれと東宝運輸商事とは『一心同体』である」と称えた。

 さらに柳田所長は「東京オリンピック開催を控えて需要もしばらく底堅さが続くだろう。引き続き獅子奮迅の活躍で協力・協業を期待している」とエールを送るとともに「労務負担軽減と作業効率アップにつながるしくみづくりを推し進めていく」と確約した。

 各地で建設工事も多く、足元の敷板リース事業も好調だ。東宝運輸商事にとって収益の一翼を担っている。(太田 一郎)

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