Bクラス翌年は若手が一本立ち 日ハムが誇る“Aクラス入り100%”の秘密

日本ハム・栗山英樹監督【写真:石川加奈子】

オフに大谷、大野、増井、マーティンがチームを去る

 10年ぶりの日本一から一転、昨年はリーグ5位に終わった北海道日本ハム。オフには投手と野手の二刀流・大谷翔平がエンゼルスへ移籍し、正捕手だった大野奨太が中日、抑えの増井浩俊がオリックス、さらにセットアッパーのマーティンもメジャーの舞台に挑戦するなど、主力選手の移籍が相次いだ。

 チームの主力の多くが移籍し心配な部分もあるが、その不安をかき消すようなデータがある。それは北海道日本ハムが北海道に移転後、2年連続でBクラスを経験していないことだ。

〇札幌ドーム移転後の北海道日本ハムの成績

2004年 3位 66勝65敗2分
2005年 5位 62勝71敗3分
2006年 1位 82勝54敗0分
2007年 1位 79勝60敗5分
2008年 3位 73勝69敗2分
2009年 1位 82勝60敗2分
2010年 4位 74勝67敗3分
2011年 2位 72勝65敗7分
2012年 1位 74勝59敗11分
2013年 6位 64勝78敗2分
2014年 3位 73勝68敗3分
2015年 2位 79勝62敗2分
2016年 1位 87勝53敗3分
2017年 5位 60勝83敗0分

 2005年は北海道に移転後、初めてBクラスとなる5位に終わるも、翌2006年はリーグ優勝、日本一。2010年も4位だったが、翌2011年は2位。2013年は最下位に終わるも、2014年は3位だった。Bクラスに終わった翌年の2006年、2011年、2014年のチームをみると、若手野手が一本立ちしたケースが多い。

 2006年でいえば森本稀哲、田中賢介が当てはまる。この2人は同年の開幕戦のスターティングメンバーに名を連ねておらず、少ないチャンスをモノにし、レギュラーの座をつかみ取った。6月頃からは森本、田中賢の1、2番コンビが形成され、森本は打率.285をマークし、田中賢はリーグ最多の34犠打を記録するなど、2人とも初めて規定打席に到達した。

 2011年は陽岱鋼と中田翔がそうだ。前年の2010年に109試合に出場し1軍に定着した陽は、11年は開幕から右翼で出場。1番や2番といった打順を任され、クリーンアップにつなぐ役割を果たした陽は、プロ入り後初めて規定打席に到達し打率.274をマーク。2番打者としてチームトップの38犠打を記録した。

 前年にプロ初本塁打を含む9本塁打を記録した中田も、2011年は開幕から左翼のレギュラーとして出場。開幕から19打席無安打と苦しんだが、その後は調子を取り戻し18本塁打、91打点の成績を残すなど、大きく飛躍を遂げたシーズンとなった。

チームを代表するレギュラー格が必ず出現

 そして、2014年は西川遥輝と中島卓也の2人。2013年に1軍で85試合に出場し22盗塁を記録した西川は翌2014年、一塁、二塁、外野とポジションが固定されなかったが143試合に出場。持ち前の俊足を生かしてリーグトップの43盗塁をマークし、盗塁王に輝いた。

 中島卓は2012年から2年連続で100試合以上に出場するも、そのほとんどが代走、守備固めだった。2014年は春先からスタメンで出場し、8月以降は2番打者に定着。西川とともに、自身初となる規定打席に到達した。

 このジンクスを継続させるためにも、若手野手の成長がカギを握る。今の北海道日本ハムにはドラフト1位で入団した清宮幸太郎をはじめ、横尾俊建、石井一成、森山恵佑など期待の若手が多い。

 この中からレギュラーをつかむ選手が何人も現れれば、Bクラスの翌年はAクラス100パーセントの記録は継続できそうだ。

(「パ・リーグ インサイト」編集部)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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