主将で甲子園Vを遂げてから20年強 元阪神ドラ1が抱く夢の続き

智辯和歌山・中谷仁コーチ(左)と高嶋仁監督【写真:沢井史】

1997年夏の甲子園で全国制覇、同年ドラフト1位で阪神へ

 球春到来。3月23日から甲子園球場で第90回記念センバツ高校野球大会がスタートする。ドラフト候補が多数在籍する大阪桐蔭高は史上3校目の春連覇に注目が集まり、16年の優勝校・智弁学園高も虎視眈々と上位を狙っている。今回、Full-Countでは高校野球を取材して約20年の沢井史記者が、実力校の集まる近畿地区6校を独自の目線で紹介する。第2回目は和歌山・智辯和歌山の中谷仁コーチ。

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 グラウンドに到着すると、練習前のグラウンド整備に奔走する中谷仁コーチの姿が目に飛び込んできた。入念に土をならした後、時折笑顔をこぼしながらこう口にする。

「自分たちが現役時代、高嶋先生(監督)もこうやって毎日グラウンドを整備して練習前の環境を整えてくれていました。しかも1人で。こうやって実際に自分がやっていると、高嶋先生は自分たちのためにどれだけ自身の時間を費やしてくれたんやろうって思います」

 中谷仁コーチは、1997年夏の甲子園で全国制覇を遂げた当時の正捕手でキャプテン。実は当時から高嶋仁監督は自身の後継者として、中谷の名を挙げていた。本人も、中学時代、高校野球で指導者になることを夢見ていた。中谷の中学時代、日本のプロ野球はヤクルトが黄金期で「(当時の監督の)野村(克也)さんや(正捕手の)古田(敦也)さんがクローズアップされていて、野村さんの本を読んだり、古田さんの特集をテレビで見たりしてキャッチャーの本質に触れられる機会が多かったんです」。

 ただ、高校に入学すると2年春はセンバツ準優勝、3年夏に甲子園で優勝。自分を取り巻く状況や評価が変わっていった。散々悩んだが、やはり野球をやっている以上、野球を極めたいという思いが強くなった。そして、ドラフト会議では阪神から1位指名を受けることになる。

「こうなったら、挑戦するしかないと。ただ、高校野球の指導者への夢を捨てた訳ではなく、一旦その思いを封印して、プロの世界でお世話になろうって。やれるところまで野球を続けていこうと思ったんです」

 その後、阪神、巨人、楽天と3球団を渡り歩くことになる。阪神時代は左目を負傷して失明寸前に陥ったこともあった。その時は当時の智弁和歌山の理事長が「いつでも戻ってこい」と声を掛けてくれた。それでも、「契約してもらっている以上、野球をやり遂げたいんです」と現役にこだわった。なかなか出場機会に恵まれない時期もあったが、中谷自身が誇りに思っていることがある。

ここまで巡り合った指導者、「その中で自分の思う“指導者像”ができてきた」

「いい指導者に巡り会えたことですね。中学時代もそうですし、高校では高嶋先生、阪神では吉田義男さん、野村さん、星野(仙一)さん、岡田(彰布)さん……楽天では再び野村さん、星野さん、マーティ・ブラウン氏を挟んで、巨人では原(辰徳)さん。指導者に恵まれたことは、自分の実力どうこうではないです。しかも、それぞれの指導者の方には特徴があって、色んなことを感じられた。そんな中で、自分の思う“指導者像”ができてきて、自分が選手だったらこんな言葉を掛けられたら嬉しいよなとか、自分の指導の中での手本にはなっています」

 ただ、同じ野球でもプロとアマチュアでは指導の中でも根底にあるものは違う。高校野球は教育の一環であり、人格形成も求められる。技術だけではなく、そのプレーの先には何が必要かを教えなくてはならない。その難しさにぶち当たる時もあるが、何より一つの目標にひたむきに向かう後輩たちと触れ合うのは楽しい。

「後輩には自分が経験した後悔をしてもらいたくないんです。じゃあ自分が何かできるというわけではないけれど、OBとして何かしたいという思いがあったのが(指導者として母校に戻った)一番の理由です。色んな縁があってここに来てくれた以上は、いい思いをして欲しいですね」

 主将として全国制覇した夏から20年が過ぎた。当時見せた穏やかな表情は今も変わっていない。暖かくも厳しい言葉を交えながら、後輩と共に今年から再び日本一を目指す。

(Full-Count編集部)

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