〔霧島山(新燃岳)〕火口北西側への溶岩流出を確認(3/9)

活発な噴火活動が続く宮崎・鹿児島県境の霧島山(新燃岳)では、6日14:27から爆発的噴火が相次いで発生し、7日朝には噴煙が火口上最高3000mまで上昇しました。9日01:45に連続噴火が停止したと発表していましたが、産業技術総合研究所が10:10頃、火口の北西側へ流出する溶岩流を確認しました。11:00頃、霧島市牧園町から気象台が実施した現地調査では、新燃岳火口の北西側から溶岩がわずかに流出し、ゆっくり流下していることや、溶岩から白色の噴煙が上がり南へ流れているのを確認しています。なお、この溶岩流に伴う火砕流は観測されていません。

7日の現地調査で、火山ガス(二酸化硫黄)の放出量が1日あたり34000tと、前回3月2日の2200tから急増しています。火山性地震は多い状態が続き、浅い場所を震源とする低周波地震も引き続き発生、空振を伴う振幅の大きな地震もみられています。火山性微動は1日から継続していて、振幅も大きな状態が続いています。

福岡管区気象台・鹿児島地方気象台は、3月1日に発表した噴火警戒レベル3(入山規制)を継続し、火口から概ね3kmまでの範囲では弾道を描いて飛散する大きな噴石に、火口から概ね2kmまでの範囲では火砕流に警戒するとともに、火山灰や空振による窓ガラスの破損、降雨時の土石流、火山ガスなどに注意するよう呼びかけています。

■防災上の注意点
【火山性地震、爆発的噴火の発生回数】(速報値含む)
       火山性地震  爆発的噴火
3月 1日      183回
  2日      101回
  3日      213回
  4日      320回
  5日      151回
  6日      515回     18回
  7日      786回     16回
  8日(00~15時) 200回      0回

【火口周辺での警戒が必要な市町村】
・宮崎県 :小林市、高原町
・鹿児島県:霧島市

【警戒・注意事項】
・警戒:(火口から概ね3kmまで)弾道を描いて飛散する大きな噴石/(火口から概ね2kmまで)火砕流
・注意:(風下側)火山灰、小さな噴石(火山れき)、火山ガス/空振による窓ガラスの破損/降雨時の土石流

■第2次大戦後に溶岩が火口外に流出した噴火〔気象庁など〕
・1946年(昭和21年) 桜島「昭和噴火」
 3月9日夜に昭和火口から溶岩流出、山麓で北東方向と南方向に分流し、4月5日に海岸に達した。6月以降噴火は衰えたが、一連の噴火活動で1人が死亡した。
・1950~1951年(昭和25~26年) 伊豆大島
 1950年7月16日に三原山山頂火口で噴火。溶岩が火口を埋め、9月13日には火口縁北西側から溶岩がカルデラ床に流出。その後一時活動は停止するも1951年2月4日から4月にかけて噴火再開、再び火口から溶岩が流出しカルデラ壁に達した。
・1953~1954年(昭和28~29年) 伊豆大島
 1953年10月5日から噴火開始。11月9日の噴火で溶岩が流出し、以降1954年2月にかけて頻繁に噴火し、火口からの溶岩の流出が続いた。噴火活動の規模は小規模。
・1962年(昭和37年) 三宅島
 8月24日22:00過ぎ、北東山腹に火口が開き割れ目噴火開始、約30時間続いた。多数の火口から溶岩が流出して海岸に達し、家屋5棟が焼失した。
・1970~1971年(昭和45~46年) 秋田駒ヶ岳
 1970年9月18日に女岳火口から噴火、以降1971年1月25日まで赤熱した火山弾を飛散させる噴火が続いた。9月19日には溶岩のカルデラ内への流出が確認され、カルデラ内に溶岩が流下した。
・1973~1974年(昭和48~49年) 西之島
 1973年6月27日に噴火が確認され、9月11日に新島が出現。これ以降、翌1974年にかけて溶岩を流出させながら複数の新島が出現・消滅を繰り返した。波による侵食を耐えた新島は1974年6月に旧島と接合した。
・1983年(昭和58年) 三宅島「昭和58年(1983年)三宅島噴火」
 10月3日15:23頃、南西山腹に火口が開き割れ目噴火開始、翌4日早朝まで続く。溶岩は主に3方向に流れ、このうち西に向かった溶岩は山麓の阿古集落に達し約400棟の住宅が焼失・埋没した。
・1986年(昭和61年) 伊豆大島「昭和61年(1986年)伊豆大島噴火」
 11月15日に三原山山頂火口で噴火が始まり、19日には溶岩が火口から溢れカルデラ床に流下した。21日夕方からカルデラ床、さらに外輪山外側にも火口が開き割れ目噴火が始まり、溶岩流が島最大の集落である元町集落の近くまで流下した。この噴火で全島民が約1ヶ月にわたり島外避難した。
・1990~1996年(平成2~8年) 雲仙岳「平成3年(1991年)雲仙岳噴火」
 1990年11月17日に地獄跡火口と九十九島火口から水蒸気噴火開始。山頂部での群発地震の後、1991年5月20日に地獄跡火口に溶岩ドームが出現し次第に成長、24日から火口からの溶岩の崩落による火砕流が発生し、1996年5月まで続いた。1991年6月3日には大規模な火砕流により死者・行方不明者43人という大きな被害が生じた。
・2013~2015年(平成25~27年) 西之島
 11月20日の噴火確認以降、溶岩流出による新島の面積拡大。12月26日には溶岩流が西之島に接続し、その後2015年にかけての噴火活動で西之島の大部分が新島から流出した溶岩に覆われた。

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