今回お話しするのは、2005年の年末に初めてカウンセリングを受けた、その後のお話です。
生まれて初めて受けたカウンセリングで
「時々こうやって、音楽を聴きながらリラックスする時間を、取ってみてくださいね☆」
と言われた私は、さっそくヒーリングミュージックのCDを購入しました。
(こういうジャンルのCDを買うのも、生まれて初めてでした。)
ちょうどカウンセリングの翌日から、年末年始の休みに入ったので、空いた時間を見つけては、自宅のソファで目を閉じて、このCDの音楽に意識を集中させ、リラックスするようにしました。
結果、休み明けの私は、ビックリするくらいスッキリしていました。
なんだか、熟睡してバチっと目が覚めた朝のように
(もともと眠りの浅い私には、滅多にないことなんですが )
「はあ~~~、スッキリした~~~☆」
っていう感じ。
それから、なんだか、生まれたての子供のように、ものすんごい無邪気になった気もしました。
ついこのあいだまで、ファシリテーターさんとの癒着に悩み、苦しんでいたのが、ウソのようです
なんだか、年末年始のあいだに、自分という人間が完全に「リセット」されたような、そんな不思議な感覚でした。
それくらい、自分の心がガラっと変わった気がしたんですね。
いったいあのとき、私のなかで、何が起こっていたのでしょうか?
正直、このあたりの記憶が曖昧で、正確にお伝えすることは難しいのですが、わずかに残っている記憶と感覚をたどってみますね。
年が明けてからの私が、それまでの私と大きく違っていたのは
ファシリテーターさんに対する自分の中の
「大好き~~~!」
を、ストレートに感じられるようになった、そして、ストレートに出せるようになった、という点でした。
それまでの私は、ファシリテーターさんのことが大好きなのに
「好きになっちゃダメ~!!」
とブレーキをかけたり、大好きなくせにわざと近づかないようにしたり、素っ気ない態度を取ったりしていました。
でも、この「大好き~!」を「大好き~!」のまま感じたり、出したりできないこと
「大好き~!」を「大嫌い~!」にねじまげないといけないことほど
苦しいものはありません。
で、私はこれまで、阿鼻叫喚状態を続けてきたわけですが、なぜそんな辛いことをわざわざしていたのか、わざわざしなければならなかったのか?
それは
私が、自分を痛ぶるのが大好きなドM人間だから
・・・ではありません^^;
ドM人間であることは事実ですけどw
これまでお話ししてきたように
「これは、父を彼に投影しているから」とか
「これは癒着だから、手放さなきゃ」といった、私の中の「思考」が
「大好き」という感情に、勝手に○×をつけてしまっていたから
というのも理由のひとつです。
でも、まだ他にもあったんです。
誰かを大好きになったら
「この私の気持ちを分かってほしい~!」とか
「私の大好きを受け取ってほしい~!」って
思いますやん?
このときの私も、ファシリテーターさんに対して、そう思っていました。
受け取ってって言っても、そんな私を嫁にもらってくれとか、そんなたいそうなことではなかったんですw
ただ、「そっか、そんなに好きでいてくれてるんだ☆」って、心底分かってほしい、喜んでほしい、ってだけのことだったんです。
あとは、私が大好きになるくらい、自分はイケてるんだ☆って、自信を持ってほしい、という気持ちもありました。
だって、当時の彼は、ものすんごく素晴らしいファシリテーターさんなのに、いまひとつ自分がイケてることに気づいていないというか、自信を持てていないというか、そんなふうに私には感じられたんですね。
彼にしてみれば、大きなお世話じゃいっ!!って思うかもしれませんがwww
でもまあ、当時の私は、そんな感じで、とにかく、「受け取ってほしい!」って思ってました。
おそらく彼は、そんな私の気持ちを、ちゃんと受け取ってくれてたんだと思います。
でも、当時の私には、十分に受け取ってもらえてるように感じられなかった^^;
「ふ~~~ん、あ、そっ!」な程度にしか、見えなかったんです。
たぶんねえ、彼、すんごく恥ずかしがり屋さんだし、受け取り下手だし、ただ、それだけの理由だったんだと思うんですよ。
でも、当時の私は、そうは取りませんでした。
みなさん、もうすでにお察しかと思いますが、私、もともとは、超・超・超・超!自分大嫌い人間です。
そして、自分大嫌い人間というのは
「この私自身ですら好きになれないんだから、きっと他の人も、私のことなんて、好きになれるはずがない」
って、思い込みがちです。
で、何かにつけて、理由を考えるとき、こう思います
「私のことが好きじゃないからでしょ!」
って。
えっと~、話飛びますが・・・
私が息子を産んだばかりのころ、おかんがうちら夫婦のために、新しい布団を送ってくれたことがあります。
それから数度、おかんは、孫の顔を見に、うちに遊びにきましたが、あるときからパッタリと、来なくなったんですね。
そして、電話すらも来なくなったので
「あれ?もしかして、体調でも崩したんかな?」
と心配になり、おかんに電話しました。
すると、おかん、超不機嫌な声で、電話に出たんですね。
こっちは心配して電話してるのに、なんでそんなに不機嫌やねん!?って感じです^^;
ところが、おかん、こう言ったんです
「あんた、お母さんが送ったった布団、もう開けたんか?」
「え、まだやけど?」
じつはですねえ、私、おかんが送ってくれた布団、まだ包装すらも開けていなかったんです。
おかんは、うちに来るたびに、いつまでも包装が解かれないまま、空き部屋に置きっぱなしになっている布団を見て、勝手にいじけていたようです。
私としては、なにせ子どもを産んだばかりで身体がきつかったし、慣れない子育てに追われて、そんなことをする余裕すらもありませんでした。
つまり、別におかんに対してどうこうという理由ではなく、単に私のほうの理由だったんですよ。
でも、おかんは、そうは取らなかった・・・
「どうせお母さんがあげた布団なんか、使いたくないんやろっ!!」
こうなると、こちらがいくら説明しても、もう、聞く耳なんて持ってくれません。
「そんなにお母さんが気に入らんねやったら
(おかんの布団、ではなく、おかんそのものになってるあたりがすごい!! )
もうお母さんも、あんたのところに行かへん!
そのほうが、あんたもええんやろっっ!!」
なんでそういう話になるねん!?
ってか、そんなに包装されたまんまの布団が気になるんなら、子育てに追われてる娘の代わりに、あんたが開けてくれたらよかったやんか!?
えっと・・・みなさん、お気づきかと思いますが、うちのおかんも、私以上に自己嫌悪きっついんですわ^^;
で、いくら私が否定しても、おかんは
「そんなことないっ!あんたはやっぱり、お母さんが気に入らんねんっ!!」
って言うばっかり^^;
もうねえ、あんまりしつこいと
「どんだけ否定しても信じてくれへんで、悪意にばっかり取るんやったら、いっそ”そう思いたきゃ勝手にそう思っとけっ!”って言うたろかっ!!」
ってなるんですよね^^;
これ、やられてるほうからしたら、それくらいめんどくさいです。
でも今思えば、ファシリテーターさんに対して、私は、あのときのおかんとおんなじことを、やってたのでしょう。
(ああ、すんごい嫌な遺伝・・・^^;)
自分の気持ちを十分に受け取ってくれない彼に
(勝手にそう感じてただけなんですが)
「どうせ、私に大好きになられても、うれしくないんでしょっ!」
「どうせ私は、迷惑な存在なんでしょっ!」
って、勝手に傷ついてました。
私は、彼から歓迎されていない
拒絶されている
そう思っていると、どんなに大好きな相手でも、犬っころみたいに尻尾振ってじゃれにいけないじゃないですか。
だって、大好き~!って飛びついていって、思いっきり拒絶されたら、めっちゃ傷つきますもんね。
だから私は
「私だって、いうほど好きじゃないもんっっ!!」
って、ファシリテーターさんから距離を置いたり、素っ気ない態度を取ったりしてました。
そうせずにはいられなかったんです。
そんなこともあって、自分の中の「大好き!」を「大嫌い!」に変えようとしてしまってました。
要するに、根っこにあるのは自己嫌悪だったんです。
こんな感じで、「投影だから」とか、「癒着は手放さなきゃ」といった思考や、強すぎる自己嫌悪のせいで
自分の中の「大好き!」にブレーキをかけてしまっていた私ですが
音楽に意識を集中させてリラックスする時間を取るようになってから、このブレーキが外れていきました。
前にもお話ししたように、音楽に意識を向けているあいだは、思考はストップしていました。
また、それに加えて、自己嫌悪、つまり自分を嫌ったり、責めたりする声も、ストップしました。
それはなぜか?
音楽に限ったことではないのですが、自分が本当に好きだと思えるもの、美しいと思えるもの、楽しいと思えるものに集中しているとき、うっとりしているとき、そういう自分って、どう思いますか?
好きですか?
嫌いですか?
ちょっとええやんって思いますか?
くだらん、サイテーって思いますか?
私は、ちょっと好きやな☆って思うし、ええやん☆って思います。
たぶん、そんな理由もあって、うっとりするような素敵な音楽に聴き入っているとき
私の中で、自分を
「お前なんかカスじゃ~、ボケ~、誰も愛してくれへんのじゃ~」
って言ってた声が、止まったのでしょう。
思考も自己嫌悪もなくなった状態で、「大好き!」を「大好き!」のまんま感じること、そしてそれを出すことができるようになり
しかも、他のいろんな感情も、邪魔されずにじっくり感じつくせるようになった、というわけです☆
「他のいろんな感情」のなかには
「(ファシリテーターさんとの癒着を)手放したくない」
っていう感情もありましたが、これもそのまんま、感じつくせるようになりました
「ああ今、私、まだ手放したくないんやなあ」
って。
で、これは、私の経験上言えることなんですが、そして、とっても逆説的なんですが
「手放したくないんだなあ」って受け容れることができたとき、手放しはぐっと容易になります。
そんなこんなで、手放しの準備は、着々と進んでいきました。
(当時の私は、まったく気づいていませんでしたが。)
そして、2月の終わりだったでしょうか、私は、カウンセラー養成コースの初級のカリキュラムを、すべて修了しました。
最後のヒーリングワークの受講レポートを、ファシリテーターさんに、メールで送信・・・
中級に上がれば、ファシリテーター制度はありませんから、これで彼は、私のファシリテーターさんではなくなります。
受講レポートの提出という名目で、彼とのメールのやりとりを楽しんできましたが、それももう終わるのです。
つまり、いったんお別れです。
(って言っても、ワークショップなどで、その後もちょくちょく会えるんですが。)
ここにいたるまでに、手放しの準備は着々と進んではきていましたが、そうはいっても、やっぱり寂しくなりました。
レポートも出して、もうお別れが終わったというのに、数日はグジグジしていましたねw
でも、そんなある日・・・
私は仕事のために、駅前のバス停にいました。
バスを待ちながら、うつろな目で、空を眺めていたのを憶えています。
その日は、とっても暖かくて、良いお天気でした。
そのとき急に、ファシリテーターさんと出逢ってからこれまでの、いろんな思い出がつぎからつぎに、頭に浮かんできたんです。
で、ぜ~んぶ出終わった後に、心に浮かんできたのは
「やっぱり大好きなんやな」
っていう気持ちと
「ありがとう」
っていう言葉でした。
おおっ、これが手放しかっ☆っとは思いませんでしたが、なんとなく
「ああ、今なら気持ちよく、”バイバイ”って言えるなあ」
って思って、すぐにバッグから携帯電話を取り出し、ファシリテーターさんにお礼とお別れのメールを送りました。
たぶんこの瞬間、私は手放せたのでしょう
ファシリテーターさんとの癒着も、そして、彼に投影していた父のことも。
(あまり自分では、認識できていないんですけどね。)
まあ、そうはいっても、手放しというのは、時間をかけて玉ねぎの皮を1枚1枚むいていくようなもの。
このあとも、何度も何度も手放していくことになるんですけどね。
なにはともあれ、ひとつの山を越えました。
でも、もうすでに次の山が、私を待っていたのです!?
というわけで、まだまだ続きます☆
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著者:鶴園 ミア (from STORYS.JP)