「原爆学級文集」を製作 城山小同窓会、在籍した7人「つらい記憶」

 長崎原爆で児童ら1400人以上が犠牲になった長崎市立城山小の同窓会(朝永正剛会長)は、1950年代に同校で編成された「原爆学級」に在籍した7人の手記を集めた「原爆学級記念文集」を製作した。当時の記憶や平和への思いがつづられており、9日、同校に50部寄贈した。

 同校が53年に製作した冊子「被爆児の心身発達について」などによると、原爆学級は、原爆投下の45年度に生まれた児童が在学中の52~57年度に編成。52年度は、被爆児童を中心に集めたクラスを2~6年に1クラスずつ設け、1年は胎内被爆も含む被爆児童40人を被爆していない40人と合わせて2クラスに編成し、身長や体重、運動能力、知能などを調査。被爆児童は米国が設置した原爆傷害調査委員会(ABCC)の調査対象にもなったとされる。

文集を手に「2度と原爆学級がつくられてはならない」と語る内野さん=長崎市内

 文集は、被爆者が高齢化する中、同校に原爆学級が存在していた事実を伝え、原爆や平和について考えてもらおうと200部製作。A4判、16ページ。原爆学級に在籍した卒業生らに配布している。非売品。

 手記を寄せた1人、内野節雄さん(74)=長崎市=は、1歳の時に爆心地から1・8キロの同市御船蔵町の防空壕(ごう)で被爆。4年生で同校へ転校し、「原爆学級」に入った。

 手記には、4年生の時に長崎大医学部付属病院で木製のパズルのようなものを制限時間内に組み立てたり、カラーの図柄を見て何を連想するのかを答えたりする検査を受けた、と書いた。同じクラスの親友だった「久松誠君」が白血病を患い、10歳で亡くなったことを明かし「私は、『誠が死んだ!』『誠が死んだ!』と、家の中で泣き叫んでいました」などと当時のつらい記憶をつづった。

 9日、城山小で内野さんらから文集を受け取った6年の筒井美雲さん(12)は「文集を読んで戦争が終わって間もない時代のことを勉強したい」と話した。

 内野さんは「原爆学級が2度と編成されないよう、みんなで平和をつくりたいと、読んだ人に思ってもらいたい」と話した。

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