川崎大空襲語り継ぐ 市平和館、体験者が講演

 多くの市民が犠牲となり、10万人以上が被災した1945年4月15日の川崎大空襲の日に合わせ、戦争の悲惨さや平和の尊さを語り継ぐ「川崎大空襲記録展」が10日、川崎市平和館(同市中原区)で始まった。初日は、13歳で被災した同区の小宮慶二さん(86)が米軍のB29爆撃機から投下された焼夷(しょうい)弾で自宅を焼かれ、用水路で体を冷やしながら家財道具を運び出した体験を約50人を前に語った。

 「戦時中は、つらかったこと、苦しかったこと、痛かったこと、悲しかったことばかりで、楽しいことは一つもなかった。中でも一番つらかったのは大空襲」。農家の次男だった小宮さんは当時を振り返った。

 空襲警報の後、爆音と地響きがあり、逃げ込んだ自宅の防空壕(ごう)から出ると、庭に直径2メートル程度の穴ができていた。一面は火の海。「熱くて、熱くて農業用水に何度も飛び込みながら、家財道具を避難させた」。

 家族で近くの田畑に避難したが、そこでも「吹雪のような火の粉が降りかかってきた」。一夜明けて戻ると自宅は全焼し、「木の門柱から火が出ていたが、家族は疲れて誰も消そうとしなかった」。爆撃でできた大きな穴に水がたまり、3人くらいの遺体が浮いていたり、手足のない真っ黒な焼死体が集められたりしている光景も目に焼き付いている。

 小宮さんは「きょう10日は東京大空襲のあった日でもある。川崎でも空襲で千人くらいが亡くなっている。いつ戦争が起きるか分からないが、平和の尊さを伝えていきたい」と話した。市立東橘中学校の生徒による平和学習の発表も行われた。

 同記録展は、焼け跡など当時の写真やパネル、兵隊の弁当箱など約120点を展示。5月6日までで、入場無料。午前9時〜午後5時(月曜と第3火曜休館)。

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