メクル第256号 「私たちは忘れない」東日本大震災から7年

 2011年3月11日、東北地方を中心に大きな地震(じしん)や津波(つなみ)が発生し、たくさんの人が亡(な)くなったり行方不明になったりしました。東京電力福島第1原子力発電所(原発(げんぱつ))の事故(じこ)も起きて、古里でくらせなくなり、避難(ひなん)生活を送っている人もいます。東日本大震災(しんさい)から、きょうで7年。被災(ひさい)地の復興(ふっこう)を願う長崎県内の中学生の思いや、災害や防災(ぼうさい)に関する子どもたちの声、ボランティアに参加した中学校の先生の体験談を紹介(しょうかい)します。

◎長崎の小中一貫校「青潮学園」 復興への願いこめ「群青」合唱

 「見える景色はちがっても 遠い場所で 君も同じ空 きっと見上げてるはず」-。

 長崎市野母町の小中一貫(いっかん)校「青潮(あおしお)学園」(高木久人(たかきひさと)校長、212人)の校舎(こうしゃ)に、澄(す)んだ歌声がひびきます。同校では昨年から、東日本大震災(しんさい)の被災地復興(ひさいちふっこう)を願って合唱する集会「私(わたし)たちは忘(わす)れないプロジェクト」を、震災があったこの時期に開いています。

 合唱曲は「群青(ぐんじょう)」。福島県南相馬(みなみそうま)市立小高(おだか)中の生徒が、音楽の先生といっしょに作りました。校舎がある同市小高区は、東京電力福島第1原発から半径20キロ圏(けん)内にあり、当時「避難指示区域(ひなんしじくいき)」となりました。

 生徒たちは、市内の別の地域(ちいき)の小学校の校庭に建てられた仮設校舎(かせつこうしゃ)で学校生活を送りました。「群青」は、事故当時1年生だった生徒たちが、卒業をむかえる年に完成。古里やはなればなれになった仲間への思いがこめられています。

 避難指示は2016年7月に一部をのぞき解除(かいじょ)され、2017年4月、改修(かいしゅう)工事を終えた元の校舎での学校生活が始まりました。秋の文化祭で、先輩(せんぱい)たちが作った「群青」が歌いつがれています。

 青潮学園では、被災地に思いがとどくようにと練習を重ねてきました。生徒会長の中学2年、岡部修人(おかべしゅうと)さん(14)は「自分にできることはまだ少ないけれど、これからもずっと忘れない。災害時、だれかを助けられるような大人になりたい」。ピアノ伴奏担当(ばんそうたんとう)の中学2年、木下彩(きのしたあや)さん(14)は「震災当時、テレビですごい状況(じょうきょう)になっていてこわかったのを覚えている。当たり前の日常(にちじょう)が当たり前でなくなった人たちがたくさんいる。日常に感謝(かんしゃ)し日々を大切にすごしたい」と話しました。

 今年は9日に開かれた集会。生徒たちは被災地の方角に向かい、心をこめて歌いました。

復興への願いをこめて合唱曲「群青」を歌う中学生=長崎市、青潮学園

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