『1ミリの後悔もない、はずがない』一木けい著 心の毛細血管が広がる快感

「うしなった人間に対して1ミリの後悔もないということが、ありうるだろうか」

 この一つの問いを根底に置いた五つの短編小説が並んでいる。登場人物も共通しているので連作小説集ということだ。

 そしてもちろんこの問いに対する各話の登場人物たちの答えは、ノー。本書タイトルは「1ミリの後悔もない、はずがない」なのである。

 全体で最も登場頻度の高い全体の主人公的な人物、由井は初めての恋人をうしなった。借金を作って酒に溺れた父親のせいで夜逃げのような引っ越しを余儀なくされ、恋人とも連絡を絶たねばならなかった。由井が高校生の頃のことだ。

 その後、十年以上が過ぎ、結婚して子どもを持った今でも、由井は初めての恋人のことをふとした瞬間に思い出す。手元にある幸せに満足しているかどうかは関係なく、その思いは突然やってくる。うしなわずにすむことができたのではないか、という後悔。

 しかし後悔は必ずしも苦いばかりでない。胸の痛みは時に熱くも甘くもある。このあたりの微妙な心情を捉える著者の筆致が、ものすごく冴えている。とても鮮やかだ。

 著者の巧さには全編を通してなんどもハッとさせられた。比喩や情景描写を通して、登場人物の心の揺らぎと同じ波形の感情を読み手の中に起こす。時には大胆にシーンやセリフを割愛、書かないという方法でイメージを刺激し、誘導する。著者が登場人物と読者の真ん中に立って、双方の距離を巧みにコントロールしているようだ。

 大人であれば、誰かをうしなったことはないという人はまずいないであろうが、私も含めて大抵の人間は登場人物たちのようにドラマティックな別れも経験していないし、そもそもそんなに繊細でもない。しかし、というかだからこそ、後悔の苦さと甘さを登場人物たちと我が事のように共有できる自分がいることが嬉しく思える。ムードとしてはそぐわない表現だけれど、運動をした後に毛細血管が広がった時に感じる、あの気持ちよさと似た快感だ。

(新潮社 1400円+税)=日野淳

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