反核訴えた占領軍・デルノア司令官 原爆資料館が企画展 長崎復興に尽力

 終戦後の1946~49年に占領軍長崎軍政部司令官として長崎の復興に尽力した米国人、ビクター・デルノア氏(98年に83歳で死去)の企画展が、長崎市平野町の長崎原爆資料館で開かれている。同市の第1回平和祈念式典に当たる「文化祭」に寄せた反核のメッセージ文書など、デルノア氏の功績を紹介する資料を展示している。7月31日まで。
 デルノア氏は46年9月、長崎に赴任。占領軍の長崎でのトップでありながら核兵器使用に反対する考えを抱き、48年の文化祭の開催を許可した。被爆地に寄り添う姿勢は市民に愛され、49年4月の離任を前にデルノア氏が通勤で使用した愛宕町(現愛宕4丁目)の通りの一部が「デルノア通り」と命名された。
 今回の企画展では、デルノア氏に関する資料を所蔵する米メリーランド大学図書館の「プランゲ文庫」から今年2月に寄贈された写真や手紙などをデジタル化した画像を展示している。
 「核兵器は人類を破滅に導く無用の長物である。二度と原爆を使ってはいけない」。文化祭に寄せたデルノア氏のメッセージからは原爆投下の後悔と反核の思いが読み取れる。離任時に知事や長崎市長が贈った感謝状、市民からの寄せ書きや手紙も展示。写真の中には、妻キャサリン氏と一緒にデルノア通りの看板を見つめる1枚もある。
 初めて同館を訪れた、さいたま市の木村遊さん(32)は「米国では原爆投下を正当とする声も多い。当時、デルノア氏のように反核を願い、市民に慕われた人がいたことに驚いた」と話した。

デルノア氏の資料が並ぶ企画展。右の写真は「デルノア通り」の前で妻キャサリン氏と写るデルノア氏=長崎市、長崎原爆資料館

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