途中出場の選手が「ハットトリック」を達成した伝説的な6つのケース

ベルギー1部リーグのレギュラーシーズン最終節で、チームを残留に導いた豊川雄太。

その事実だけでも十分に立派なのだが、何よりも凄かったのは「途中出場」でありながらハットトリックを成し遂げたということであろう。

そこで今回は、公式戦でありながら途中出場した選手が3得点をマークしたいくつかの印象的なケースを振り返ろう。

1. ロベルト・レヴァンドフスキ

日時:2015年9月22日(火)
試合:2015-16 ブンデスリーガ 第6節
結果:バイエルン 5-1 ヴォルフスブルク

【コメント】

W杯で日本代表の前に立ち塞がるであろうポーランドが誇るストライカー。

後半からの投入だったこの試合では、51分~60分までになんと5得点を叩き出す離れ業をやってのけた。

これにより、ブンデスリーガの1試合における最速ハットトリック、ブンデスリーガの1試合における最速4ゴール、ブンデスリーガの1試合における最速5ゴール、ブンデスリーガの1試合における途中出場の選手としての最多ゴール数の4つのギネス記録まで樹立。

歴史の“目撃者”になった当時の監督グアルディオラも、「こんなことは監督としても選手としても経験したことがない。説明不可能」と讃えるほどだった。

選出者:編集部I

2. 平山 相太

日時:2010年1月6日(水)
試合:アジアカップ2011 最終予選 グループA 第5節
結果:イエメン代表 2-3 日本代表

【コメント】

1月下旬に現役引退を発表した平山相太は数々の伝説を持っている。

2009シーズンにナビスコ杯を制し自身もレギュラーとしてチームに貢献したことで2010年1月のイエメン戦で代表に初招集を受けた。

この試合は2011年のアジアカップ予選であったが、同月の20日に延期を希望する日本側の要望が通らず。岡田武史監督は当時A代表歴のなかったメンバーを数多く招集した。

アジアカップ予選では背番号が登録した選手で固定されていくため、平山の背番号は81、大迫に関しては93と代表らしからぬものだった。

初めてのメンバー揃いで連係に苦しむ日本は2点を先取されるまさかの展開だが、それを救ったのが平山だった。デビュー戦でヘディング1ゴール、足で2ゴールのハットトリックを達成し逆転勝利に導いたのだ。

日本代表は翌2011年のアジアカップ出場を決めた。日本代表デビュー戦でハットトリックを決めたのは史上2人目の快挙である。

だが、試合後に岡田監督はこのメンバーがすぐにA代表に定着するかについては難色を示すコメントを残した。平山も例外ではなかった。

A代表出場は同年の東アジア選手権の3試合を追加したのみで2011年のアジアカップも予備登録メンバーに終わった。

ちなみに、平山が代表であげたゴールはイエメン戦のもののみである。

選出者:編集部Q

3. リオネル・メッシ

日時:2016年6月10日(金)
試合:コパ・アメリカ・センテナリオ グループステージ第2節
結果:アルゼンチン代表 5-0 パナマ代表

【コメント】

前回大会の決勝で敗れたチリを開幕戦で撃破したアルゼンチン。

しかし続くパナマ戦は開始7分に先制したものの、早い時間に退場者を出した格下相手に追加点を奪えず重苦しい雰囲気に。そんな状況でメッシに声がかかる。

大会前の親善試合で負傷したメッシ。チリ戦を欠場し、このパナマ戦もベンチからのスタートとなっていた。

負傷明けだったが、役者の違いは歴然だった。投入から7分後にあっさりゴールを決めると、その10分後には勝敗を決定づける完璧なフリーキックを叩き込む。そして、試合終了間際にハットトリックを達成した。

いつの時代も主役は遅れてやってくる。スタジアムに訪れた5万人超の大観衆は、20分弱の間に起きた「メッシ・ショー」に酔いしれたことであろう。

選出者:編集部H

4. 播戸 竜二

日時:2011年8月20日(土)
試合:2011 J1 第22節
結果:セレッソ大阪 3-3 清水エスパルス

【コメント】

Jリーグの舞台で通算4度のハットトリックを記録するなど、大量得点と相性の良い播戸竜二。

もちろん播戸以上にハットトリックを達成している選手は他にもいるのだが、「途中出場」からの達成を一ヶ月に二度も達成したケースは相当に稀である。

セレッソ大阪に在籍していた2011年のJ1第22節、清水戦で73分からピッチに登場した播戸は76分、77分、87分にそれぞれゴールしハットトリックを達成!

さらには3週間後の広島戦でも途中出場から3得点をマークし、今度はチームを勝利に導いた。短期間の間に、まさに「ジョーカー」と呼ぶに相応しい活躍ぶりを見せた。

選出者:編集部S

5. 楠神 順平

日時:2010年5月5日(水)
試合:2010 J1 第10節
結果:ガンバ大阪 4-4 川崎フロンターレ

【コメント】

野洲高校で1歳年下の乾貴士らとともに「セクシーフットボール」旋風を巻き起こし、選手権を制した楠神順平。

同志社大学を経て、2010年に川崎フロンターレへ加入すると、同年5月のガンバ大阪戦で衝撃的な活躍を見せた。

ベンチスタートで後半26分からピッチに立った楠神。この時点では川崎がアウェイで2点のリードを許す厳しい展開だった。

しかし当時22歳の攻撃的MFは、出場からわずか3分で記念すべきJリーグ初ゴールを記録すると、さらに同35分、そして再び勝ち越された後の後半アディショナルタイムにもゴールを奪い、なんとハットトリックを達成!

4-4の引き分けに持ち込み、貴重な勝点1をチームにもたらしたのである。

「今日はゴール前に神がいたということで」と試合後に語ったのは中村憲剛。今シーズンから清水エスパルスでプレーしている楠神はあの試合、まさしく“神”だった。

選出者:編集部O

6. 真中 靖夫

日時:2001年7月14日(土)
試合:2001 J1 1stステージ 第14節
結果:セレッソ大阪 3-2 柏レイソル

【コメント】

サッカーの試合は90分。

例えワールドクラスのストライカーであっても、その中で3回も得点を決めることは極めて難しい。だから「ハットトリック」として特別なものとして扱われる。

もちろん、豊川雄太のように途中出場からならば、なおさらだ。

そして、Jリーグには眞中靖夫という選手がいた。鹿島アントラーズ、セレッソ大阪、サンフレッチェ広島、横浜FCでプレーした彼は、伝説的な「3分間ハットトリック」を決めた。

2001年の柏レイソル戦で68分にピッチへ送られると、72分、73分、75分に立て続けの得点を奪取!

プレーを始めてからわずか7分というとんでもないスピードだった。世界的にもほとんど見られない、Jリーグが誇る仰天プレーの一つだろう。

選出者:編集部K

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