こんにちは!永井義文です!今回でこのコラムも第5回目です。
僕のコラムを初めてご覧になる方や僕のことをよく知らない方は「なぜこのような連載を始めたのか」、「この人は何者?」と思うかもしれませんが…そのあたりは初回でお伝えさせて頂いたので、そちらをご覧になってから読んでいただければ幸いです。
さて、今回のテーマは「脱・比較!」です。
前回(第4回)のコラムの最後のほうに少し触れましたが、子どもは親以上に「比較」ということに対して敏感です。
「お兄ちゃんはこれできたのに…」
「お姉ちゃんは小学生の時にできてたよ…」
「妹は小さいのに頑張ってるわよ!お姉ちゃんも妹みたいに頑張りなさい!」
ついついこのような発言をしてしまうことありませんか?
親からしてみれば、何気なくしている発言でしょうが、子どもは「比較する発言」に対してかなり敏感なものです。
「でも、子どもって、親が言わないとわからないものでは!?」
たしかに、そのように感じられる方はいらっしゃると思います。
でも、心配はありません。
子どもというものは、親が言わずとも、勝手に常に周りと比べています。
ですから、常に比較している子どもに対して、親が追い打ちをあえるように比較するような発言をしてしまったら、子どもは当然ダメージを受けます。
「それは僕が一番わかってるよ…」
「お父さんとお母さんは自分より●●のほうが好きなんだ…」
「自分なんて…」
このように親から比較されている兄弟関係が、うまくいくことを想像できるでしょうか?
さらにこの積み重ねにより、子どもは「誰に対しても比較する癖」がついていってしまいます。
「比較そのものが悪」とは言いませんが、比較は「目標対象が常に人になってしまう」という怖い性質を秘めていることを忘れてはいけません。
さて、みなさんは「ウサギとカメ」の童話をご存知かと思います。
そうです、ウサギとカメが競争したあの話です。
この話のエンディングは言うまでもありませんが、果たしてなぜカメはウサギに勝ったのでしょうか?
僕はその大きな勝因は「カメが見ていたものがウサギと違っていたことにある」と考えています。
この勝負でウサギは敗者となりましたが、彼が見ていたものは何だったのか。それはゴールではなくカメでした。なので、ウサギはカメが遅いことを知ると居眠りまでしました。
一方、カメが見ていたものは常にゴールだけであり、ただそれだけを目指して、一歩一歩着実にゴールへと歩を進めました。そして、結果としてこのレースの勝者となりました。
実はこの童話が一番伝えたいところは「比較することの怖さ」にあると思います。
言い換えると、子どもに対して「ウサギのように比較をしてしまうと、君もそのようになってしまうよ」ということを伝えているのではないでしょうか。
皆さんは、ウサギのような子どもに育ってほしいですか? それとも、カメのような子どもに育ってほしいですか?
比較をすることで目標や夢を達成することの妨げになり、第4回でお話しした「努力・挫折・達成の共有」を行うことが困難になります。
さらに、第2回の「あいさつ」や第3回の「ありがとう。ごめんね」も減ってきます。
永井兄弟の父と母は、僕たち兄弟を比較することはありませんでした。
しかし、僕は常に弟と比較してきました。
弟は世代別の日本代表選手に16歳から選ばれ続けましたが、僕は日の丸とは程遠い競技人生で、「いつか同じ日本代表になって弟と肩を並べたい」とずっと思いながらやってきました。
そして、このようなケースは決して僕らだけに限ったことではないと思います。
親が言わなくとも、子どもというものは常に勝手に比べているものではないでしょうか。
なので、親が兄弟を比較しないように気をつけてみてください。
比較しないことを続ければ、兄弟姉妹は自然と成長し合います。
ではまた次回!第6回でお会いしましょう!