『おまじない』西加奈子著 女は言葉で生きていく

 多感な女たちを主人公にした短編集である。たとえば思春期、少女たちを絡め取る違和感や恥かしさの大波から、一瞬、顔を出して呼吸ができた、そんな瞬間が描かれている。

 たとえば「燃やす」というエピソード。ある事件の標的になって、大人にも友だちにも、腫れ物に触るみたいに扱われていた少女は、焼却炉で不要物を丁寧に燃やすおじさんと出会う。毎日、ただただ無言で燃やし続けるおじさんからかけられた、あるひと言。それがその後の彼女を支える。

 あるいは「孫係」というエピソード。母方の祖父を家に迎えることになり、舞い上がり空回る母親を持て余し気味の少女に、祖父がある提案をする。これから、ぼくらは「係」をやりましょうと。自分は「おじいちゃん係」。少女は「孫係」。そうすることで少女の心はずいぶん軽くなる。

 大人たちのエピソードもある。10代の終わりから、大酒を飲んでテンションを上げて、場を乱しまくることを何らかの使命みたいに思っている主人公。「あねご」と呼ばれながら彼女は、しかし、しょぼくれた男性からもらった言葉に貫かれる。

 思いがけない妊娠に揺れる女性の心象を描いた「マタニティ」では、主人公は母親になる資格が自分にあるのかと悩み、テレビから聞こえてきた言葉に射抜かれる。

 そう、彼女たちを貫くのは、いつだって言葉だ。この作品は小説だから、言葉が何かのトリガーであることは当然のことではあるのだけれど、ここで主人公たちに差し出される言葉たちは実にさりげなく、柔らかく、主人公に発見をもたらす。

 自分は、すでに許されているのだと。自分のままで生きることを。自分を曲げずに生きることを。弱くていい。みっともなくていい。その人生を、生きていい。生まれてきて、おめでとう。そこにいてくれて、ありがとう。それだけでもう十分、この世界はまぶしい。

 最後に語られる「ドラゴン・スープレックス」では、とあるおっさんが主人公にこんなことを言う。

「お前はその容姿やから、その血やからお前でおるわけやないねん。お前がお前やと思うお前が、そのお前だけが、お前やねん。お前が決めてええねん」

 人生も、自分自身も、すでに決められたものではない。今ここから、自分が、始めるものだ。世界は、底抜けに自由なのである。

(筑摩書房 1300円+税)=小川志津子

© 一般社団法人共同通信社