第5部「自問」(2) 不登校の先、さらに深刻 家族会、全国規模に

 埼玉県の自宅にひきこもっていた長男の暴力に悩み、奥山雅久が1990年代の終わりに家族会を立ち上げると、全国から参加者が相次いだ。2002年には約3千家族にまで膨らみ、発足後初の全国大会を東京・千代田区公会堂で開催。その中には伊藤正俊(65)の姿もあった。

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 良質のブランド牛で知られる山形県米沢市。伊藤はこの地で牛乳販売店を営んでいた。仕事は忙しく、バスケットボールの社会人チームにも参加。夜はほとんど家にいなかった。

 小4の娘が夏休み明けから学校に行かなくなったのをきっかけに、91年に不登校の子を持つ親同士でサークルを結成。娘は「寂しかった」と打ち明け、中学、高校では元気になった。

 これで一件落着のはずだったが、伊藤の中には釈然としない思いが残った。「学校に行かないのは娘自身の問題。だが世間体や自らの価値観に縛られ、娘を責めてしまった」。親たちの学びの場を続けるうちに「子どもが死にたいと言っている」「10年以上家にいる」といった相談が舞い込み、不登校の先に、さらに深刻な事態があることを知る。

 全国大会から戻った伊藤は、ひきこもりの問題に本格的に取り組むため、市内に一軒家を借り「体と心のセンター(から・ころセンター)」を開設。その後NPO法人となり、家族や若者の居場所を提供している。

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 がんを患っていた奥山は、自ら立ち上げた家族会(現・KHJ全国ひきこもり家族会連合会)が各都道府県に広がるのを見届けると、11年3月に息を引き取った。66歳。「声を上げられずにいる家族らの思いを国に届けたい」との願いはかなったが、長男とは最後まで分かり合うことができなかった。

 「ひきこもりは障害や病気ではない」と支援に後ろ向きだった厚生労働省は03年、ガイドラインを作成。都道府県と政令市は09年度から専門の相談窓口「ひきこもり地域支援センター」を設置するなど、対策は少しずつ進んでいる。

 伊藤は16年から、KHJの共同代表を務めている。親たちは今、何を思うのか。米沢を訪ねた。(敬称略)

山形県米沢市の「から・ころセンター」。一軒家を借りて、ひきこもりの若者や家族が集う。

 

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