第5部「自問」(8) 「身寄りは私だけ」 認知症の母に代わり

 ひきこもりの長期化による「親亡き後」の問題は、兄弟姉妹にとっても切実になっている。

 内川民代(70)は東京都内の自宅から北関東の実家に通う。40年余り一歩も外に出ず、1人で暮らす妹洋子(67)の様子を見るためだ。同居していた母は2013年に亡くなった。「身寄りは私だけ。残された時間は少ない」

  ×  ×  ×  

 洋子は幼少期から「変わっている」と映った。勉強はよくできるのに、気に入らないことがあると激しく泣き叫ぶ。「障害があるのでは」。家族の共通認識だったが、世間体ばかり気にする父は直視しようとせず、母も父に意見をしなかった。

 一方、父は自分の考えを押し付ける人だった。洋子と男性の交際を、相手が気に入らないと何度も阻んだ。「繊細な妹の存在をずたずたにした」と民代は感じる。

 大学受験に失敗した洋子は和裁教室に通うなどした後、東京で事務職に就いたが、職場になじめず帰郷。近所の商店での仕事も長続きせず、25歳の頃からひきこもる。精神的に不安定だったため、両親は医療機関での受診を促したが、洋子は拒否し続けた。

  ×  ×  ×  

 「140万円貸してくれない?」。06年のある日、東京で暮らしていた民代は、母からの突然の電話に耳を疑った。父は他界し、実家には洋子と母の2人きり。夫が体調を崩し、しばらく帰省をしていなかった。

 母の口癖は「お金のことで迷惑は掛けない」だった。だが実家に駆けつけ、家計簿を見ると、明らかな“異変”が表れていた。繰り返される屋根裏や床下、壁面の工事、高級羽毛布団…。老後のために蓄えていた数千万円が消え、洋子に残すはずの貯金にも手を付けている。

 知らない間に、認知症が進行していた。

 父が亡くなった後、母は日常の出来事をノートに記していた。洋子の感情の浮き沈みや、暴言を一身に受け止める母の姿が浮かんだ。

 洋子が幼少の頃から、父も母も「ほったらかしにしていた」と心の中で責めていた民代。だが自分も「なるべく関わりたくなかった」。母が89歳で亡くなるまでの7年間、時間を取り戻すように介護した。

 民代は息つく暇なく、考えを巡らせる。「私がいなくなったら、洋子はどうやって生きていけるだろう」(文中仮名、敬称略)

内川民代(仮名)は、実家で40年余りひきこもる妹を気に掛ける。母は亡くなり「身寄りは自分だけ」だ=1月、東京都内

 

© 一般社団法人共同通信社