「岡崎イズム」今も 県職員ら元知事しのぶ

 1995年から2期8年にわたり県政運営のかじ取り役を務めた岡崎洋さん(享年86歳)の訃報から一夜明けた2日、知事在任時を知る県職員らから功績と人柄をしのぶ声が相次いだ。「清廉で先見の明を持った公僕としての生き方は、県職員のDNAになっている」。行財政改革や環境保全、市民協働に力を注ぐ一方、パフォーマンスを嫌い県民目線を貫いた知事の退任から15年、“岡崎イズム”は今も息づいている。

 「言葉にできない思いがこみ上げた」。1日に飛び込んできた突然の悲報に女性職員は涙を浮かべ、側近として仕えた当時を振り返った。3月末で退職した職員OBも「私の中で唯一無二の存在。無私の公務員としての生きざまを追い掛けてきた」と惜しんだ。

 藤沢市の自宅から毎日電車で県庁に通い、警備上の問題もあるとの声を受けて横浜駅から公用車を利用した岡崎さん。年末の仕事納めは「あいさつばかりで仕事にならない」と、休暇を取って自分の時間に充てていた。公務とプライベートを明確に線引きする姿勢も印象深いという。

 県財政が「破綻寸前」で財政再建団体への転落が危ぶまれた時期。県議会の答弁案に自ら手を加え、幹部泣かせの一面も。本来は国が実施する米軍厚木基地の環境調査では「こんなのやっちゃいなさい」と語り、「県の責任で実施する」と答弁して実行に移した。

 「国の意向に沿い責任回避する安易な気持ちでは県の主体性を語る資格はない」と、唐の時代の「随処に主となる」という言葉で言い表し、「指示待ち」「前例踏襲」のお役所仕事を許さなかった。

 県民との接し方も一貫していた。大きな声に配慮するのではなく、声なき声や次世代の思いにも考えを巡らせ「真に公正な判断」を求めた。時代の先を読み「行政を知り尽くすプロ好みの知事」と評される一方、「県民が県や知事の存在を意識しなくても幸せになれる県政」を目指し、人気取りのパフォーマンスには距離を置いた。

 清廉、清貧、滅私奉公−。自分にも職員にも厳しく接した。知事が身をもって示した公務員のあるべき姿。その思いを知る職員は減ったが、日々説き続けてきた「パブリック・サーバント」(公僕)であり続ける精神は、多くの職員に受け継がれている。要領よく立ち回ることを自ら封じ、大道を歩む「行くに径(こみち)に由(よ)らず」の信条とともに。

 県の財政再建に尽力した元神奈川県知事の岡崎洋さん(享年86歳)の通夜が2日夜、藤沢市大庭の藤沢市斎場で営まれた。政財界の関係者や県職員OBら約600人が参列し、別れを惜しんだ。

 会場には出身の旧大蔵省(現財務省)や事務次官を務めた環境庁(現環境省)の後輩らからの生花が並んだ。参列者は穏やかな笑顔の遺影に手を合わせ、目頭を押さえる県職員の姿も見られた。

 参列した黒岩祐治知事は「公務員の気持ちを誰よりも分かった人で、県政のトップとしてリーダーシップを発揮していたことに学ぶべきことがたくさんある」。岡崎さんからバトンを受け継いだ前知事の松沢成文参院議員は「議会と難しい関係を抱えていた時、ご指導をいただいて乗り越えることができた。堅実な行政手腕を私も見習わなければと思った」と振り返り、「大事な方を失い、悲しみに堪えない」と声を落とした。

 告別式は藤沢市斎場で3日午前11時半から行われる。

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