岡崎元知事に最後の別れ 告別式に県職員ら参列

 1995年から2期8年にわたり神奈川県知事を務め、3月31日に86歳で死去した岡崎洋さんの告別式が3日、藤沢市大庭の藤沢市斎場で営まれた。県の財政再建に力を注ぎ、「パブリックサーバント」(公僕)を体現した岡崎さんに、約200人の参列者が最後の別れを告げた。

 祭壇に飾られた笑顔の遺影を前に、長男の朝夫(ともお)さん(50)は「穏やかな表情は『仕事もやりきったから、妻の所に行ってゆっくり休ませてもらいます』と語り掛けているようだった」と、声を詰まらせてあいさつ。「父の思い出だけは忘れないでほしい。さみしいが、これからも心の中に生き続けています」と語ると、参列者からすすり泣きが漏れた。県職員やOBらは、ひつぎを乗せて斎場を出る車を、手を合わせて見送った。◆「満開の桜の下で」家族が思い出 斎場の桜は、あでやかに散り際を飾っていた。岡崎さんの長男で、高校教諭の朝夫さんは、名残を惜しむように舞う花びらに父を重ねた。

 桜を愛した人だった。自宅の庭先には父が慈しんだ桜の大樹が3本植えられている。「いつも手入れしていた。毎年、県はもちろん、いろいろな方を呼んで花見をするのが楽しみで。地域の人にも喜んでもらっていた」。かりそめの春を謳(おう)歌(か)する花は慈父そのものだった。

 花は厳しい冬を乗り越えるからこそ美しく咲き誇る。2005年、最愛の妻と長女を落雷事故で亡くした。それでも「そのことで周りにご迷惑を掛けちゃいけないと何も変わらなかった。強い人ですよね」。傍らに寄り添った長男のまぶたは赤くにじむ。

 2年ほど前の介護施設入所後も、孫と会ったり桜を見に外出したりして穏やかな日々を送っていた。

 庭の桜が盛りを迎えた春の日。「若いころから『俺は満開の桜の下で死ぬんだ』って。その言葉通り、満開の桜を見るために自宅に帰ってきたんだな…」。父は眠るように、安らかに息を引き取った。◆「尊敬以上の思い」 各界から惜しむ声 元知事の岡崎洋さんの告別式には、県職員OBや政財界関係者らが参列し、在りし日の知事をしのんだ。

 岡崎県政で総務部長を4年、副知事を4年務めた伊藤文保さん(78)は「仕事には厳しかった。だけど嫌みのない厳しさだった。だから退任後も多くの職員に慕われていて、私も尊敬以上の思いがある」と肩を落とした。

 さらに「官僚出身でも官僚くささがなく、パフォーマンスがないところが人柄なのだと思う。県の財政危機の中でルーズだった財政を一気に引き締めた。岡崎さんだからできたのだと思う」と振り返った。

 副知事を6年間務めた室谷千英さん(80)も「財政危機の時にボーナスを全額カットした。自ら身を切るという清廉潔白な性格そのもの。海外出張でも必ず仕事が終わったらすぐに帰ってきた。本当にきれいな県政運営だった」と述べた。

 その上で「知事自身が公務員のあるべき姿勢を示すから、それにならって職員も変なことはできない緊張感があった」と振り返った。

 秘書課長を3年務めた木原英和さん(71)は「素晴らしく優秀な方。報告書類で数字のミスを指摘するほど正確に頭に入っていた」。一方で「若い職員に細やかな気遣いがあった。異動先を考える時に『彼はこんな仕事も勉強してもらうと幅が広がるね』とか。一緒に仕事できたことはありがたいことです」と惜しんだ。

 元参院議員でさまざまな活動を通じて県政にも関わってきた斎藤文夫さん(89)は「公平無私で、良い意味の公務員。悪化した県財政を修復し、戦後から言えば、第2期神奈川県政の基を築いた人であり、本当に尊敬できる人だ」とたたえた。

 ◆「時代が求めた知事」 岡崎氏訃報に市長 川崎市の福田紀彦市長は3日の定例会見で、亡くなった元知事の岡崎洋さん(享年86歳)について「財政難で厳しい行政改革が欠かせない時代に求められた知事。神奈川県として素晴らしい知事をいただいていたんだと思う」と振り返った。

 岡崎さんから知事のバトンを引き継いだ松沢成文氏の衆院議員時代の秘書として会った時に「物腰が柔らかく、筋が通った方で、さすがは知事を務める方という印象を強く持った覚えがある」という。

 その上で、岡崎さんの堅実な立ち振る舞いを思い返し、「飾らなかった方という印象が強い。そこにアピール力を求める人がいるかもしれないが、個人的には大好きです。自分もそのように自然体で飾らずにやっていきたい」と述べた。

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