【特集】「道徳」をカタルのは誰か

文科省の授業報告要請問題(4)

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佐々木央

47NEWS編集部、共同通信編集委員

佐々木央

47NEWS編集部、共同通信編集委員

 本州の北辺・下北半島で育ちました。子どもや若者のこと、生きもの(動物園・水族館)について長く取材してきました。なので、軽視されたり無視されたりしがちな存在、人権のないものへの共感も少しはあります。 

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前川喜平さんは3月31日、大阪府豊中市で講演し、文科省が名古屋市教委に授業について照会したことを「教育の自主性を侵す行為だ」と批判した

 文部科学省の初中局教育課程課の課長補佐が名古屋市教委に出した最初の質問状の「3」は、前川喜平さんが授業することの不適切さを直截(ちょくせつ)に指摘する。

 「3、前川氏は、文部科学事務次官という教育行政の事務の最高責任者としての立場にいましたが、いわゆる国家公務員の天下り問題により辞職し、停職相当とされた経緯があります。また、報道などにより文部科学事務次官在任中にいわゆる出会い系バーの店を利用し、そこで知り合った女性と食事をしたり、時に金銭を供与したりしていたことなどが公になっています。こうした背景がある同氏について、道徳教育が行われる学校の場に、また教育課程に位置づけられた授業において、どのような判断で依頼されたのか具体的かつ詳細にご教示ください」

 ■誤記・重複・おかしな日本語■

 次の質問4では、授業の準備段階にまで踏み込む。

「4、一般的に、ある方の生き方に学ぶことをねらいとする場合、その方のそれぞれの生き方などを詳しく説明した上で授業に臨むことになると思われますが、今回の前川氏の授業に当たって、同氏の「2」に掲げたような経緯について、生徒に予め(あるいは事後に)説明した上で授業に臨んだのでしょうか。その場合、具体的にはどの程度の経緯を説明されたのでしょうか、具体的かつ詳細にご教示ください」

 質問4の文中の「2」は「3」の誤記と思われる(「2」は授業の目的を聞いている)。ここで誤記が起きたのは、おそらく後で質問2を挿入したか、あるいは質問1を分割して「1」「2」とし、箇条書きのナンバリングを振り直したためと思われるが、そうだとすれば、再構成後の校閲がずさんだ。質問4を文字通りに読めば、趣旨不明となる。また、質問4の最後の一文は「その場合、具体的には…説明されたのでしょうか、具体的かつ詳細に」とあって「具体的」が重複している。質問者の作文力と決裁者の注意力が疑われる事態が出来(しゅったい)している。

 質問4は「ある方の生き方に学ぶことをねらいとする場合、その方のそれぞれの生き方などを詳しく説明した上で授業に臨む」という授業観を示す。ここにも「その方のそれぞれの生き方」というおかしな日本語が登場するが、目をつぶろう。事前にどんな情報を与えて授業に臨むか、実際には多様なやり方があり得る。「詳しく説明した上で」という一般化はあり得ず、現場のダイナミズムを知らない陳腐な授業観と言うしかない。

 このシリーズの1回目で書いたように質問状は全体として不遜な印象を与える。また、2回目・3回目で言及したように「謝金」や「動員」など質問者の個人的な興味・関心に基づく質問があって、法に違背する疑いが強い。そして、今回ここまで見てきたように、基本的な表現力にも疑問符が付く。全体としてぬるく、脇が甘い。これは本当に官僚が書いた文書だろうか。この疑問は質問を熟読していくと、さらに深まる。

 ■規範意識が最重要なのか■

 本論に戻る。質問「3」を要約すれば、天下り問題で処分され、出会い系バー通いまでしていた人物に話をさせたのはなぜか、ということになる。質問の体裁をとっているが、そんな人物に授業を依頼したのはけしからんという趣旨だ。とりわけ、道徳を講じる学校において。

 前川さんの授業は道徳でなく、総合学習として行われた。最初の質問への市教委回答でもそれは明記されたが、質問者は追加質問状でも「天下り」と「バー」を蒸し返し「道徳教育を行う学校において授業を行ったことについて、改めて校長の見解を具体的にご教示ください」と執念深い。

 ここで質問者の道徳教育に関する理解が焦点になる。文科省ホームページで「道徳教育」の項をみると、こう説明されている。「児童生徒が、生命を大切にする心や他人を思いやる心、善悪の判断などの規範意識等の道徳性を身に付けることは、とても重要です」

 ここに列挙された道徳性のうち、質問者は「規範意識」を重視しているようだ。追加質問状では、天下り問題で「自らの非違行為を理由として停職相当とされ」たと断じ、出会い系バーについても一部報道を引く形で「教育行政のトップとして不適切」「疑われるような行動は取るべきではない」と、内実に立ち入ることなく非難している。

 道徳は今春から小学校で、来春には中学校でも教科化される。目標として文科省自身は「考え、議論する道徳」を掲げる。複雑な現代社会を生きるためには、規範や価値をそれとして学ぶだけでは足りない。自分の頭で考え、決定する力を育てなければならない。そう捉えているのだ。

 例えば、誰かを思いやる行為が公共の利益を損なう場合がある。その場合、どちらを優先するのか。「誰か」に「権力者やその配偶者」を代入し、「思いやる行為」を「忖度」と言い換えれば、問いの深刻さは明らかだろう。この問いへの答え次第では、統治機構が揺らぎ、自殺者まで出るということを、私たちはいま現実から学んでいる。

 ■本当の書き手は誰か■

 NPO法人「マザーハウス」の理事長、 五十嵐弘志さんは3度服役し、拘禁生活が20年に及んだ。3度目のとき、キリスト教に帰依して更生を誓った。出所後は受刑者や出所者との交流・支援を続けている。質問者の規範意識に従えば、彼を授業に招いてはならない。規範を逸脱したことのない人物だけが、人に道を説く資格がある。だが、五十嵐さんの更生の歩みこそが絶好の教材であると、私は思う。

 そして、道徳にせよ総合学習にせよ、前川さんの官僚としての仕事やその中での悩み・迷い、退任後の正義を取り戻そうとする行動にも、学ぶべき多くのことが含まれている。人選の適切さを疑う質問に対し、校長はきっぱり答えている。「私が直にお会いしてお聞きしたお話や私が感じた前川さんの人となりから判断した」

 こうして見ると、質問の名義人が「教育課程課課長補佐」であることに大きな違和感を抱く。教育課程課は学校の教育内容の基準を示す学習指導要領を所管し、道徳の教科化に当たっても中心的な役割を果たした。道徳教育を最も深く理解するはずの官僚が、このような底の浅い道徳観に基づく質問状を、本当に書いたのだろうか。(47NEWS編集部、共同通信編集委員・佐々木央)=続く