4209日ぶり先発で踏み出した一歩 中日・松坂が歩む復活白星に続く道

中日・松坂大輔【写真:福谷佑介】

今季初登板は5回8安打3失点「悔しさしかないですね」

 胸の内からは、悔しさしか沸いてこなかった。5回8安打3失点。移籍後初登板初先発は敗戦投手という結果となった中日の松坂大輔投手。帰路に就く前に報道陣に応じた右腕は、率直な思いを明かした。

「今はやっぱり勝ちにつなげられなかったことの悔しさしかないですね。(1軍で先発した感慨は)ないですね。もう過ぎたことなので」

 大観衆が詰めかけた。移籍後初登板。1軍での登板は2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来、550日ぶり。国内での先発となれば、西武時代の2006年9月26日のロッテ戦以来、実に4209日ぶりのことだった。巨人ファンも含めて3万4396人がナゴヤドームに詰めかけた。本拠地開幕3連戦で最多となる来場者だった。

 大きな拍手に背中を押されて上がったマウンド。初回、先頭の立岡が放ったボテボテの二ゴロが内野安打に。その後、ゲレーロに適時打を許して先制点を奪われた。3回には無死満塁からマギーへの遊ゴロ併殺打の間に勝ち越し点を献上。岡本の遊ゴロを京田が悪送球して、さらに1失点。5回の先頭打者として打順が回ると代打が送られ、ここで降板となった。

 5回96球を投げて8安打3失点(自責点は2)。粘りのピッチングに、松坂自身は「ランナー出しながら何とか粘れたとは思うんですが、先頭バッターを出す機会が多くて。僕みたいなタイプだと球数増えてしまうので、そこをどうにかしたかったですね。反省すべき点ですね」と振り返った。

 右肩の故障に苦しみ、ソフトバンク時代の3年間、1軍登板はわずか1試合のみ。ほとんどの日々を右肩の状態をよくしようと、長く苦しい、そして先の見えないリハビリの日々に費やした。2015年夏には右肩を手術。その後は回復と悪化を繰り返した。昨季は痛みの原因が突き止められないままに日々が過ぎた。様々な人に知見を求め、いい病院がある、いい医者がいる、いい治療法があると聞けば、日本全国を飛び回った。藁にもすがる思いで、右肩の回復だけを願っていた。

「マウンドに立った時の特別な感情はなかったですね」

 1軍のマウンドで投げたい、お世話になった人、応援してくれたファンへの恩返しがしたい――。その思いが、松坂の体を突き動かしてきた。ソフトバンクを退団しても、現役への思いは潰えず。テストを経て、中日に新天地を求めた。無事にキャンプ、オープン戦を過ごし、ようやく立てた1軍のマウンド。待ち望み、ずっと頭に描き続けてきた場所だった。だが、その胸の内には、もう1段階上がった感情が芽生えていた。

「マウンドに立つことを目標にして、今日立てましたけど、僕の中では立つことが決まった時点でチームの勝ちにつなげられるように投げようとしか考えていなかったです。マウンドに立った時の特別な感情はなかったですね」

 勝負の場に帰ってくることができた。オープン戦ではない。ペナントレース、公式戦だ。真剣勝負の場に戻ってきたからこそ、個人的な感傷、感慨は捨て去った。ただ、チームが勝つために、そのためだけにマウンドに上がった。1人の選手として、その場に立った。試合後も要望のあったインタビュールームでの共同インタビューを断り、先発投手として通常どおりの取材を受けた。公式戦を戦う一選手として、負け試合で、その試合の敗戦投手として、あるべき姿だった。

 一度、登板間隔を空けるために、6日に出場選手登録を抹消される。次回の登板は、翌日以降の肩の状態などにもよるだろうが、10日以上は先となる。「オープン戦と雰囲気は違いましたけど、近いような状態でマウンドに上がれたんじゃないですかね。自分でふわふわしている感覚もなかったですし。次はいつになるかわからないですが、次の登板につなげたいですね」と語る松坂。不運もあり、決して悪い内容ではなかった。また次、確実に登板機会はやってくる。

 戦う選手となった松坂大輔。ここがゴールではない。足踏みが続いていたところから、ようやく復活に向けて歩みを進め出したのだ。復活の白星へ。ここから、松坂の真の戦いが始まる。

(Full-Count編集部)

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