アーセナル、背番号「14」の系譜

『背番号の系譜』というこのシリーズでは、特定のクラブチームで10番を背負ったレジェンドたちを順番に紹介していく。

今回は、アーセナルのエースナンバーである「14」編。現在から遡って4人を紹介する。

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ピエール・オーバメヤング

【アーセナルでの背番号の変遷】

#14:2018年 - 

この冬、クラブ史上最高額となる5600万ポンド(およそ86億円)でアーセナルに加入したオーバメヤング。選んだ背番号は、エースナンバーである「14」だった。

ドルトムントでは17番をつけ、ガボン代表では9番を愛用するオーバメヤング。クラブでこのナンバーを背負うのは初めてだ。

7日(土)現在、プエミアリーグでは6試合に出場し5ゴールをあげるなどコンスタントに結果を残している。

セオ・ウォルコット

【アーセナルでの背番号の変遷】

#32:2006 - 2008年
#14:2008 - 2018年

アンリが背負ったことでアーセナルのエースナンバーとなった「14」。

アンリ退団後の2007-08シーズンは空き番号であったが、翌シーズンには当時成長期真っ盛りにあった19歳のウォルコットへと受け継がれた。

ウインガーであったウォルコットはその後得点力を増していき、2012-13シーズンにはプレミアリーグでキャリアハイとなる14得点をマーク。センターフォーワードとしても起用され始めた。

アーセナルで「14」を背負い10シーズン戦ったウォルコットだったが、今年1月にはついに退団。完全移籍でエヴァートンへと渡った。

ティエリ・アンリ

【アーセナルでの背番号の変遷】

#14:1999 - 2007年
#12:2012年

アーセナルの「14」といえば、やはりアンリ!

ユヴェントスから加入してすぐこのナンバーを背負うと、センターフォワードとして開花。圧巻の得点力でゴールを量産し、同世代を代表するストライカーにまで成長した。

アーセナルでの226得点は歴代最多であり、プレミアリーグでの得点王を4度も獲得。デニス・ベルカンプとの2トップは高い補完性を見せ、サッカーファンの間でも指折りのユニットに挙げられている。

2007年にチームを離れるも、2012年にはMLSのオフを利用して短期間だけアーセナルへと復帰。この時の背番号はフランス代表でもつけていた「12」だった。

マーティン・キーオン

【アーセナルでの背番号の変遷】

#14:1993 - 1999年
#5 :1999 - 2004年

プレミアリーグ創設後、アーセナルにおける「14」の歴史はこの男から始まった!

トニー・アダムズ、リー・ディクソン、ナイジェル・ウィンターバーンとともに「Famous 4」と呼ばれたキーオン。一時代を気付いた名ストッパーであり、アーセナルだけでなくイングランド代表でもキャプテンを務めた。

背番号「5」の印象が強いが、背番号が固定制になって初めて与えられたのがこのナンバー。アンリが加入するまではキーオンが14番を背負っていた。

無敗優勝を成し遂げた"The Invincibles"の一員であり、 その栄光を置き土産にアーセナルを退団。その後、レスターやレディングでプレーし現在は解説者としても活躍する。

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