隠れキリシタンの息吹伝えて30年 神奈川の「澤田美喜記念館」

「ノアの方舟」をイメージした澤田美喜記念館

 潜伏期のキリシタン信仰にまつわる品々を展示する東日本では珍しい資料館「澤田美喜記念館」(神奈川県大磯町)が4月、開館から30年の節目を迎えた。クリスチャンだった故澤田美喜(1901年~80年)が隠れキリシタンの子孫らから譲り受けた約870点を所蔵する。厳しい弾圧下、信仰を密かに守り続けた人々の息吹を現代に伝えている。 

 東京都心から電車で1時間、大磯海水浴場で有名なJR大磯駅。改札を出てすぐの案内板に従い、小道を上った先に「ノアの方舟」をイメージしたという建物が見えてきた。 

 相模湾を一望する展示室には300点ほどが常時入れ替えられながら並ぶ。密告者に褒賞を与えることを告げる江戸時代の「高札」や踏み絵、米俵で覆って隠すため下半身を切断した木彫りの聖母子像、十字架上のキリスト像が背面の扉の中に隠されている阿弥陀如来立像などだ。 

キリスト像が背面の扉の中に隠されている阿弥陀如来立像

 中でも、澤田が戦前に長崎県の五島列島で入手したという直径21センチの魔鏡に目を見張る。祈りを捧げる際に使われていたとみられ、光を反射させて壁に投影するとキリスト像が現れる。レントゲン撮影により、内部が二重構造になっていることが分かっており、表面を丹念に磨き上げることで内側のキリスト像がわずかに浮き出る仕組みだ。厳しさを増した禁教政策の中で静かに紡いできたあつい信仰心を物語る。 

 澤田はどのような女性だったのだろうか。三菱財閥3代目総帥、岩崎久弥の長女として生まれ、外交官だった夫の転勤に伴い米国や欧州などで生活。36年、ニューヨークからの帰国に際した船上で、キリシタンについて著した本に感銘を受けた。戦後、敵兵の子どもとして差別や偏見の対象となった駐留軍兵士と日本人女性との間に生まれた子どもたちを育てる児童養護施設「エリザベス・サンダース・ホーム」を創設。その傍ら、戦前から始めたキリシタン関連の遺物の蒐集を40年間続けた。 

 澤田を突き動かしたのは「焦り」だった。明治時代になって禁教令が解かれた後、キリシタンの多くはカトリックへ復帰するなどし、弾圧時代の品々が不要となった。同館の堀井明さん(82)によると、澤田はキリシタンの歴史を伝える一級の資料が失われていくのを恐れ、九州を中心に各地を訪ね歩いては、関係者らから遺物を買い取るなどして集めることにしたという。 

レプリカの魔鏡でキリスト像を映し出す堀井明さん

 コレクションの数々は当初、同ホーム敷地内にあった澤田が個人的に祈りを捧げる部屋で保管していたが、亡くなる1カ月前に記した「キリシタン記念館建設趣意書」に基づき、88年、8年間の募金活動を経て開館した同記念館で一般公開されるようになった。 

 ホームではしつけに厳しくも愛情深かったという澤田。毎年命日の5月12日には、澤田を慕う高齢になった卒園生らが記念館に集まってくる。 

 堀井さんは「これだけの遺物が集められたのは、隠れキリシタンの精神に触れてほしいという澤田さんの強い思いがあったから。若い人には是非見てほしい」と話している。(共同通信=松本鉄兵)

■日本のキリスト教を巡る経緯 1549年、イエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本にキリスト教を伝える。87年、豊臣秀吉は「伴天連追放令」を出して宣教を禁止。1614年には封建体制への影響を恐れた江戸幕府が、キリスト教禁教令を全国に発布した。厳しい取り締まりが行われる中、信徒は仏教徒を装うなどしながら独特の信仰形態を維持してきた。1865年、長崎の大浦天主堂を訪れた潜伏キリシタンがフランス人神父に信仰を告白した「信徒発見」は世界宗教史上の奇跡と称されている。禁教が解かれたのは明治時代に入った73年だった。

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