【特集】冷めた「官僚たちの夏」 消えゆく“男の美学”と城山文学

作家城山三郎氏(左)と作品群

 小説「官僚たちの夏」は作家城山三郎氏の代表作の一つだ。高度成長期の1960年代、政策を巡る政財界との攻防の中、「おれたちは国家に雇われている。大臣に雇われているわけじゃない」と固い信念を持ち、時代をばく進していった異色の通産官僚の物語だ。1975年に刊行された単行本はベストセラーに、本のタイトルは、キャリア官僚の相克、組織の中で立ち向かった人物ドラマを形容する代名詞のように使われてきた。城山氏が作品に“男の美学”を込めていたからだ。「僕はあの本を読んで官僚になりました」。当時、若い役人からそう声を掛けられたと、城山氏の家族から話を聞いたことがある。

 今はその「官僚たちの夏」が冷め切った時代になったと言っていいかもしれない。省庁の劣化、それを招いた政治のありよう、11年前に亡くなった城山氏がもし、ご健在なら今の世相をどう憤っただろうか。(共同通信=柴田友明)

 ▽異色官僚でも「面従腹背」

 評論家の佐高信氏は城山文学の最もよき理解者であった。2007年5月、城山氏の「お別れの会」の弔辞を読んだ。「親しかった友人をして『絶対に形の崩れない男』と言わしめた城山さんは、勲章を拒否するなど、自らのスタイルにはこだわったのです。しかし、決してそれを他人に押しつけることはしませんでした。だから、城山さんを悼む政財界人に勲章をもらった人が並ぶという喜劇が演じられることにもなりました」。生前、勲章を固辞した城山氏の会に勲章をもらった政財界人が参列するさまを、佐高氏は辛口に評した。

 その佐高氏に、気骨の作家城山三郎氏が生きていたら、今の世相をどう語ったかというテーマで4月25日にインタビューした。

 ―小説「官僚たちの夏」、当時と今の時代の違いは。

 「モデルとされた(当時通産省の)佐橋滋は異色の官僚だった。あの時代でも佐橋のような人はそういなかった。(組織の)腐敗の度合いが進み、異色官僚が生息しにくいようになった。(異色の文科省前次官)前川喜平が『面従腹背』せざるを得なかったほどだ」

 ―政治家と官僚の関係が変わったということか。

 「かつては(省内で)抵抗する佐橋さんをある意味、受け止める度量がある政治家、佐藤栄作とかいた。政治の劣化、腐敗が進んで関係は全然違うものになった」

 「佐橋との次官レースで競り勝ったのは今井善衛だった。佐橋と対立した今井のおいが(安倍政権で存在感を示す)首相秘書官今井尚哉だ。このことは今の時代をすごく象徴しているように思える」

 ―もし城山さんがご存命なら、現状を何か作品にされたでしょうか。

 「とても作品の対象になるような人はいない。(城山さんにとって)論外です。ある意味、(今の世相を知ることがないので)亡くなっていてよかったのではないか」

 ▽憤怒の思い

 ―城山作品が追求した「男の美学」にかなう人がいない?

 「(セクハラ疑惑で辞任した財務省事務次官)福田淳一は(取材記者を)一人の人間として見ていなかった。いや見られなかった。城山さんだったらそんな話題に顔を背ける。そんな姿が目に浮かぶ。時代が違う。人間の質が違うようになったということです」

 城山氏は晩年の2002年、言論の自由を封殺するとして「個人情報保護法」(案)に反対の声を上げた。「国民国家のことなど考えず、私利私欲だけから生まれたもので、まさに卑にして卑なるもの。禍根は後世に永く残って取り返しつかぬことになる。これに賛成する議員があれば、卑にして卑なる政治屋」。自身が作品で描こうとしたものとは正反対の政治家のおごりが、戦後日本の姿を変えていくことに、城山氏は憤怒の思いで書いている。

 「官僚たちの夏」は城山氏が亡くなって2年後の2009年、TBSドラマとして放映された。佐橋がモデルの風越役を佐藤浩市、部下の役を堺雅人、高橋克実、風越のライバル役を船越英一郎とそうそうたる俳優が務めた。1996年にもNHKがドラマにして主役を中村敦夫が務めた。今ならどんなキャストが考えられるか。それとも現実のひどさにもうドラマの対象にならないのか…

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