4月27日(水)、先日日本代表監督を解任されたヴァイッド・ハリルホジッチ氏が日本記者クラブで会見を行った。
今回は、この会見における全文の文字起こしをお届けする。
ヴァイッド・ハリルホジッチ(元日本代表監督)
「お集まりの皆様、こんにちは。
このように今日はお越しいただきましてどうもありがとうございます。4月7日以来、初めて私の口からお話しさせていただく機会となりました。
ここ日本で3年間仕事をしてきたので、この地でお話しさせていただきたいと思ったわけです。この日本という素晴らしい国を私自身初めて体験してきました。
そして、私どもが家族とともに大好きな日本ですけど、そこには伝統、歴史、文化、様々な習慣があり、それに加えていろいろな仕事のやり方があり、それを大いに評価しているわけです。
そして、いろんなものを敬いながらやるという日本という国。
私自身はこの日本という素晴らしい国に観光客として物見遊山で来たのではなく、もしかしたら私の手でこの日本に何かをもたらせるのではないかと思い来ました。
この素晴らしい日本という国をこんな形で去るとは考えたこともなかったです。私自身が今まで考えつく限りの最悪の悪夢の中においても、こんなことを考えたことは一度としてなかったわけです」
「私の志しとしては、この日本という国でしっかりとした形で仕事を私のチームと共に終えたいと考えていたわけで、日本のサポーター、国民にとって、この日本チームが素晴らしいヒーローという形で終わってほしいと思っていたわけです。
4月7日以来、私の人生において一番辛いと言っても良い時期を過ごしてきました。人間としても深く失望をしたわけです。
と言うのもやはりサッカーというものから考えると、『なんと残念なんだろう』と思いました。日本という地にワールドカップの準備にやって来たわけで、我が代表チームをしっかりと予選通過させたわけです。
そしてまた、トップの方から私は一人のスタッフとして言い渡されたこと、ここには日本のサッカーを考えた時に、何かそこに欠けていたものがあると思いました。
私自身はハイレベルなサッカーの世界で45年間仕事をしてきて、監督という職業というのは大変儚いもので、どんな時であろうと何が起こるか分からない。
私自身がナイーブ、物ごとを知らなかったということもあるかもしれません。でも、私自身はそんなことを後悔はしていません。
というのは日本に来てやっていたこと、それはしっかりと仕事をして、我がチームのため、我がチームが成功するためにやってきたことばかりだからです。
そして私に対して通告されたことに対して私は大変失望し、私に対するリスペクトがなかったように思われました。
この3年間に渡って、日本代表チームのためにいろいろな仕事をしてきました。
是非そうしたものを説明したいと思いまして、3年間につきまして、誇りを持って仕事をしてきたと思っています。そういったものを責任者として果たしてきたと考えているわけです」
「まず私が最初の日に日本サッカー協会のJFAハウスに伺った時に、私はこう聞いたんです。
『私のオフィスはどこにあるんですか?』、すると『あなたのオフィスなんてありませんよ』って。
すぐに私はお願いしたんです。『それだったら是非私のためにオフィスを作っていただけませんか?私のアシスタントのためにもオフィスをなんとか作ってください』とお願いしました。
どうやらこれが、日本のサッカーの歴史で初めてだったことのようです。つまり代表監督がコーチ、自分たちに対してオフィスを作ってくれとお願いするのが。
そうして私たちは毎日オフィスへと出勤してきたわけです。代表チームのセクレションをするだけでなくて、メディカルスタッフもJFAにやって来て毎日出勤してくる。でもそうしたものは、皆さんは馴染みがなかったみたいです。
その後は皆でどういう仕事の割り振りをして、どういう仕事をやっていくかという組織立てをやっていきました。つまり監督として、コーチ、メディカルスタッフとして何をやっていくのか。
毎日毎日ミーティングを持ったり、テクニカルスタッフとともに実際に選手の試合の視察にも行きました。そして選手一人についての報告書、レポートを作っていく。そしてメディカルスタッフはどの選手がどう故障しているのかという細かいデータをレポートとして上げていくわけです。
それからアドミニストレーションのスタッフとともにコミュニケーションやいろいろな作業をやってまいりました。
ですからオフィスにいて仕事をする時もあれば、試合の現場に行って視察をすることもある。それは国内組の試合も、そして海外組の試合も同じです」
「そして毎週月曜日になりますと、全員のスタッフとミーティングを持ちました。
テクニカルスタッフとともに50人ほどの選手についての一人一人の報告書を作っていって、ゴールキーパーの5,6人の報告書を作り上げていったわけです。
例えばメディカルレポートは、故障した選手がいるならばすぐに連絡を取って、どういう状況なのかを聞いてみたりとか。ですからいろいろと広報、コミュニケーションのスタッフとも、問題がある時には管理部の連絡を取ってきたわけです。
そしてまた代表チームの合宿、遠征をしますが、例えば合宿になるといつスケジューリングするのか、どういう形でやっていくのかということで、スタッフの数にして50人ほどいたわけです。
スタッフ一人一人に自分がやる仕事があって、それをやっていった。ですからそうしたたくさんの方々に、私からもこんな形で一緒に仕事をしてきてくれたりがとうとお礼を言いたいです。
3年間の間、ありとあらゆるありと練習、移動、遠征でもほぼ完璧といった感じで全てがセッティングされていました。
こうした練習をしっかりと準備し、どういったプランニングでやるのか。そして公式試合、親善試合の準備、調整。
私の人生において『え、ここまで皆がやる気で、規律正しくやってくれるところがあるんだ』というものを人生で見てきたことはありませんでした。
そしてまた、こうした練習の中身も選手の集中度、その質の高さも本当に素晴らしく、ビッグなブラボー、ビッグなメルシーを言いたいです」
「3年前から、私としては誰とも何の問題もなかった。特に選手との問題はありませんでした。この3年間は常にコンスタントに選手たちと連絡を取り合っていた。つまりは海外組だろうと、国内組だろうと。
海外組の選手とは何度と電話で話したことでしょう。国内組もそうです。
ですからこうして連絡を取り合って、コミュニケーションをコンスタントに取り続けていたんです。
そして、それぞれが誰とどういう話をするのか、どのコーチにしても誰とどういう話をしなければいけない、どういうメッセージを伝えなければいけないということをきっちりとかっちりとやってきたわけです。
ですから、私どもが代表チームと一緒に合宿をやっている時も、公式試合をやっている時も、必ず私はオフィスを作ってもらって選手たちに来てもらって、選手たちといろいろと話し合いができる場を作ってもらいました。
ですから、私だけじゃないんですよ?私のアシスタント、選手が話し合うことによっていろいろと調整、つまりは準備ができるようにしました。
GKコーチはGKの選手たちと、私のアシスタントコーチは誰々と連絡を取ると決まっていて。また、私は私でちょっと違った形で彼らと連絡を取りました。
皆さんがしっかりと証人になっていただけると思いますけども、この3年間、人前で誰か一人の選手を批判したことは一度としてございません。『悪いのは私、悪いのは私。批判するんだったらハリルを批判してくれ』と言っていました」
「でも、実際にはピッチで選手たちと一対一で話す時にはまたちょっと違っていたんです。ですから私が何か言いたいなと思った時には、ちゃんと面と向かって言うようにしているんです。
選手によっては、『え、こんなにストレートな物言い?』というのに慣れていなかったのかもしれません。
でも私にしてみれば、この選手たち、このチームに対する思い入れは強かったんです。
皆さんもご存知の通りに、23人を呼んでチームを編成していてもその23人全員が試合に出られるわけではない。ですから試合に出る選手、出ない選手がいる。それは日本だけではありません。どこも同じです。
それで嬉しかったり嬉しくなかったりするわけですが、まさに歴史的な勝利でオーストラリアに勝ってワールドカップへの予選通過をしたあの試合の後ですら、2人の選手がガッカリしていた。
それは試合に出なかったからということで。でも、その前は何年も試合に出ていたわけです。でも、それでガッカリしていることが私は悲しく思いました。
私たちはものすごく練習したんです。例えば私は個人的にも2ヶ月で1日も休み取らずにずっと働いてきました。
もちろん休みを取ろうと思えばいつでも取れる立場にはあるんですけど、私が日本に来たのはこのチームを育てる立場だったので。
ですからこうやって日本に来て、人々が私に頼んだのはワールドカップへの予選を通過するということであって。だから『それが終わったらいろいろやりましょう』という話をしたんです」