移住先駆けの地で2世が住み続ける理由 「U30のコンパス+」第1部移住の先に(1)

茶畑に設置された柵の前に立つ獣害対策専門家・原裕さん=和歌山県那智勝浦町色川地区

 熊野灘に面したJR紀伊勝浦駅から車で30分ほど行くと、山あいに美しい棚田と茶畑が現れる。紀伊半島南部、和歌山県那智勝浦町の色川地区は、約40年前に移住受け入れを始めた、先駆けの地だ。この地で生まれた〝2世〟も30人近くが成人した。だが、大学進学後ほとんどが都会で就職する。2世のUターンや定着が大きな課題だ。

色川地区

 1977年、有機農業での自給自足を志す4世帯13人が色川に移り住んだのが始まり。当初は反対もあったが、過疎化への警戒から地区の有志が農地や住居を提供。受け入れは続き、移住者は現在、人口約330人のほぼ半数。それでも高齢化や若い世代の流出、親の介護などによる移住者の都市部への「再移住」などで、この10年間で人口は120人以上が減った。

 色川で移住希望者支援を行う大西俊介(おおにし・しゅんすけ)さん(37)によると、現在、成人を迎えた2世のうち色川に住むのは5人。20人以上はほかで暮らす。「大学進学で都市に住み、そのまま就職してしまうケースが多い。移住者の子どもの定着を増やすのが課題だ」と話す。「定着しなければ、永遠に新規移住者を受け入れ続けなければならない。Uターンが、育つ子どもの選択肢の一つになれば」と大西さんは願う。

 5人の2世のうちの1人、原裕(はら・ひろし)さん(27)は地区唯一の獣害対策専門家。「色川茶」で知られる茶葉などの農業が地域経済を支える色川では、シカやイノシシ、サルなどによる獣害は悩みの種。柵やわな、狩猟で対策をしてくれる原さんは貴重な存在だ。

わなでシカを捕らえた原裕さん=和歌山県那智勝浦町色川地区

 「この辺りにシカが通った跡があるの、わかります?」。収穫シーズンを前に茶葉を食いにやってくるシカの獣道を探しだし、手慣れた作業で数分のうちに自作のわなを仕掛けた。土に埋めると、一見どこに仕掛けられたか分からない。踏むと作動し足を縛る。わなは翌日の見回りで確認する。捕らえたシカは肉や革製品に加工。どこに設置するか見極めるのにも相当な経験が必要だ。

 原さんの両親は、田舎での有機農業を志し80年代に兵庫県と大阪府から移ってきた。「冬でも半袖半パン姿で、山を駆け回っていた」という原さんは自然の中で育ち、農業にも幼い頃から親しんでいた。

色川地区に広がる棚田

 高校卒業後、初めて色川を離れ鹿児島大農学部に進んだ。そこで獣害対策の重要さを知る。卒業論文では、牛舎のえさを食い荒らすイノシシの対策を研究した。

 卒業を控えた2013年。「帰って獣害対策の仕事をやってみないか」。色川で農業の傍ら地域振興に携わる父に誘われた。「故郷で、学んだ知識を生かせる」。いずれ色川に戻りたいと思っていた。「なら、今でもいいかな」。Uターンを決めた。

 「不便では?」と、聞いてみた。「初めて来た人はそう言うけど、ネットもつながっているし、30分で町にも行ける。それでいて鳥のさえずりや川のせせらぎが聞こえる。こんないいところ、ほかにないですよ」。色川にいずれ戻りたいと考えていた原さんの気持ちが分かった気がした。

 しかし、小中学校の同級生だった4人はここにはいない。「みんな色川が好き。でも、仕事がない以上戻りにくいのでは」と考えている。農業でも他の仕事でも、自分で見つけなければならないのが現状だ。大西さんも、2世には住み続けてほしいが「自分で仕事を見つけられないような人は、ここでは暮らしていけない」と話す。

 16年からは那智勝浦町が受け入れた「地域おこし協力隊」の隊員を原さんが指導している。「知識や技術がすごく、丁寧に教えてくれる」。現在3人いる隊員のうちの1人、横浜市出身の山中慶太(やまなか・けいた)さん(42)は、豊かな自然に囲まれたこの地が気に入った。ここに住んで農業をやってみたいと考えている。

 原さんは、2世であることはそんなに意識していない。ただ、将来移住者ばかりの村になったとき、古くから伝わってきた「色川らしさ」が失われるのは寂しい。「生まれ育った人間として、伝統や文化を後世に伝えていきたい」。

畑に電気柵を設置する原さん=4月4日、和歌山県那智勝浦町色川地区

 獣害対策も「色川らしさ」を伝える1つの手段だ。「新たな移住者が来たときに農業ができるよう農地を整えておく。土地を次世代に残すのも伝統の継承だ。誇りを持って続けていきたい」(共同=北藤稔道27歳)

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 人口が減り続け、高齢化は急速に進む。全国各地で移住者支援は盛んに行われるようになった。一方で、移り住む人たちの思いはさまざまだ。自然体で心地よく暮らせる場所を求める女性。やりたいことを実現するため、限界集落に住むことを選んだ男性。町並みにほれ込み、そこに住んで守ろうと取り組む人たち。四つのケースを追った。

▽取材を終えて
 初めて色川を訪れたのは2016年11月。その年の夏に色川小中学校の新校舎ができ、過疎地なのに珍しいな、と思ったのがきっかけだ。棚田と美しい、のどかな山村だが、夜になると、街灯などはないため、辺り一面はまっくら。都市部では決して体験できない、昼の明るさと対比されるその闇の濃さが印象的だった。それ以来、色川にはプライベートも含めて4回ほど訪れている。他の「過疎地」との違いといえば、どことなく子どもや若者たちの声が聞こえてくること、地域全体に若さがあふれていること。人口減はとまらないというが、原さんのような、郷土愛に満ちた若者たちがいる限り地域の元気が失われることはないだろう、とも思う。

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