堂安、中島も続け!“欧州1年目“でインパクトを残した7人の日本人選手

多くの日本人選手にとって難しい戦いを強いられた2017-18シーズン。

その一方で、堂安律や中島翔哉といった選手は新天地でしっかりと結果を残し、W杯に向けた日本代表メンバー入りも期待されるほどとなった。

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そこで今回は、欧州主要リーグで1年目から結果を残した日本人選手を振り返る。

香川 真司

当時のチーム:ドルトムント(GER)
シーズン:2010-11シーズン
1年目のリーグ戦の成績:18試合8得点

無念のワールドカップ落選から数か月、わずか数千万円の移籍金でブンデスに渡ると瞬く間に旋風を巻き起こしてみせた。

小柄ながら切れ味鋭いドリブルとターンで守備網を壊し、ゴールに絡むプレーはまさに鮮烈。

シャルケとのルールダービーで叩き出した衝撃の2ゴールは今でも語り草だ。

年明けのアジアカップで負傷してしまい、後半戦を棒に振ったが、そのインパクトは日本人サッカー史上に残るものといえるはず。

2年目にはブンデス2桁得点を叩き出して、愛されキャラも確立。その後、マンチェスター・ユナイテッドへと移籍した。

選出者:編集部I

中田 英寿

当時のチーム:ローマ(ITA)
シーズン:1998-99シーズン
1年目のリーグ戦の成績:33試合10得点

日本人選手の可能性を世界中に知らしめた中田英寿。

1998年ワールドカップ後にペルージャへと渡ると、ユヴェントスとの開幕戦でいきなり2ゴールを決め一躍ヒーローに。その後も実力でステップアップを果たし、翌年にはローマで日本人初のセリエA優勝メンバーとなった。

今でこそ欧州主要リーグで日本人がプレーするのは当たり前になったが、その開拓者は間違いなくこの男であろう。

選出者:編集部S

長友 佑都

当時のチーム:チェゼーナ(ITA)
シーズン:2010-11シーズン
1年目のリーグ戦の成績:16試合0得点

2010年ワールドカップでの活躍が評価され、長友は同年夏にチェゼーナへと移籍。

現在サガン鳥栖を指揮するマッシモ・フィッカデンティ監督からも高い評価を受け、アジアカップに出場するまでは全試合でフル出場を続けた。

アジアカップ終了の直後にはダヴィデ・サントンとのトレードでインテルへの移籍が決定し、瞬く間にビッグクラブへのステップアップを果たした。

選出者:編集部S

小野 伸二

当時のチーム:フェイエノールト(NED)
シーズン:2001-02シーズン
1年目のリーグ戦の成績:30試合3得点

デビュー以来、“天才”の名をほしいままにした小野伸二。母国でのワールドカップを控える2001年、高みを求めてフェイエノールトに移籍し海外挑戦へと踏み出した。

フェイエといえば同国で初めて欧州の頂点に立った名門中の名門だ。しかしクラブは日本で絶大な人気を誇る小野の影響力に着目し、聖地デ・カイプでのお披露目では、ヘリコプターからピッチに降り立つというド派手な演出で極東からやって来たスターを迎え入れた。

当時21歳の小野はその過剰な期待をものともせず、クライフが好んだ伝統の「14番」を背負いスタメンに定着。このシーズン、UEFAカップ(現在のEL)で快進撃を続けたクラブは、準決勝でインテル、決勝でドルトムントを撃破し、28年ぶりとなる国際タイトルを獲得している。

選出者:編集部H

清武 弘嗣

当時のチーム:ニュルンベルク(GER)
シーズン:2012-13シーズン
1年目のリーグ戦の成績:31試合4得点

清武はJリーグで傑出したパフォーマンスを見せていた2012年夏、セレッソ大阪からニュルンベルクへ移籍。

類まれな技術を武器に監督やチームメイトの信頼を早々に勝ち取ると、攻撃的MFとして1年目からブンデスリーガ31試合に出場した。

自ら4ゴールを決めただけでなく、正確なキックによるセットプレーなどでリーグ4位の10アシストを記録。「ニュルンベルクに清武あり」を強く印象付けた。

選出者:編集部O

平山 相太

当時のチーム:ヘラクレス・アルメロ(NED)
シーズン:2005-06シーズン
1年目のリーグ戦の成績:31試合8得点

2005年のワールドユース出場後、オランダのフェイエノールトに練習参加していた平山は同じくオランダのヘラクレス・アルメロと3年契約を結んだ。

国見高校から筑波大へ進学していた平山だったが大学を休学し、Jリーグを経ずに海外からキャリアをスタートさせるという珍しいケースとなった。

8月のADOデン・ハーグとの試合に途中出場するとデビュー戦でいきなり2得点をあげ、その後もシーズンを通じてレギュラーとして活躍。当時のヘラクレスはセンターフォワードだけでなくウィングの位置でも起用された。

だが、翌2006-07シーズンの開幕後にルート・ブロート新監督から構想外を告げられると日本へ帰国、FC東京へ加入した。

選出者:編集部Q

宮市 亮

当時のチーム:フェイエノールト(NED)
シーズン:2010-11シーズン
1年目のリーグ戦の成績:12試合3得点

“プラチナ世代”の一人で、高校在学中にアーセナルと契約しフェイエノールトに貸し出された宮市亮。

プロデビューも卒業前のことだったが、恐れを知らない18歳の若者は異次元の脚力でオランダ人を驚愕させる。聖地デ・カイプでの初陣でいきなり初ゴールを記録すると、試合後スタジアムは「リオ」(亮のこと)の大合唱に包まれ、彼は一夜にしてアイドル的存在となった。

フェイエはこのシーズン、PSVに0-10という歴史的大敗を喫するなど降格の危機に瀕したが、宮市の加入が一つの契機となり残留に成功。在籍期間は僅かに半年ながら、その「衝撃度」においては中田英寿と双璧をなすほど濃密なものであった。

選出者:編集部H

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