「西郷どん」で日本再考 薩摩ことばの魅力

「薩摩ことば指導」の迫田孝也(左)と田上晃吉

 そろそろ耳になじんできたのではないか。NHK大河ドラマ「西郷どん」で鈴木亮平演じる主人公・西郷吉之助(後の隆盛)らが話す鹿児島弁(薩摩ことば)のことである。ドラマが始まるやいなや、「聞き取りにくい」などとインターネット上でも話題となった。

 鹿児島弁の難解さといえば、西田敏行が西郷隆盛を演じた1990年の大河ドラマ「翔ぶが如く」は、せりふの一部に字幕が使用されたほど。

 しかし、西郷が歴史上の偉人の中で圧倒的な親しみも持って語られるのは、東京・上野公園の銅像に象徴されるあの風貌に加え、柔らかな印象を与える方言の影響が大きい。偉人・西郷隆盛を「西郷どん」たらしめている鹿児島弁はドラマの演出上避けては通れない。

 ドラマでは、瑛太演じる、盟友・大久保正助(後の利通)をはじめ、精忠組と呼ばれる近所の幼なじみや西郷家の人々ら薩摩藩出身の人物が全編通して活躍する。そのため、出演者への囲み取材や記者会見では鹿児島弁のことが常に話題に上がる。沢村一樹や桜庭ななみといった出身者以外はみな苦労しているようだ。

 そんな中、共演者たちが一番うまいと口をそろえるのは、やはり主演の鈴木(兵庫県出身)だ。東京外国語大卒で英語も堪能と元々語学が得意というのもあるのだろうが、「普段から薩摩ことばでしゃべるようにしている」と日々の努力も怠らない。共演者を観察した鈴木の分析では「地方から東京に出てきて標準語に直した経験がある人と、関東出身でも外国語を勉強したことがある人はうまい」とのこと。ちなみに、村田新八役の堀井新太(東京都出身)は「極めてへたくそ」らしい。

 ドラマで重要な役割を果たす鹿児島弁だが、そのままでは県外の視聴者に伝わらないし、分かりやすさを重視し過ぎるとせっかくの持ち味が吹き飛んでしまう。その絶妙なさじ加減を調整し、“生きた”言葉として俳優たちに伝えるのが、「薩摩ことば指導」を担当する迫田孝也と田上晃吉の2人。いずれも鹿児島出身の俳優だ。

 ことば指導には、せりふのニュアンスや役の背景を考え、演技者の力量や資質に合った指導ができる能力が求められる。そのため、俳優が務めるケースが多い。迫田は2016年の大河ドラマ「真田丸」で堺雅人演じる主人公・真田信繁の右腕・矢沢三十郎頼幸を演じたほか、現在はNHKのバラエティー番組「ごごナマ」にも毎週出演しているので顔を知っている人も多いだろうが、田上も舞台やテレビで活躍している。

 その仕事は標準語で書かれた台本のせりふを鹿児島弁に直すところから。吹き込んだ練習用の音声を俳優に渡し、撮影現場に立ち会って演技を見ながら微調整していく。鹿児島弁の辞書を見比べ、地元にいる家族や友人に意見を聞くのはもちろん、いまの使われている言葉を知ろうと鹿児島の飲み屋に行っては客の会話に耳を澄ます。

 言葉に違和感を持たれると視聴者の気持ちがドラマから離れてしまうため、俳優の動作や演技で補えるかも考えながら、できるだけ雰囲気が残る、耳なじみの良い言葉を選ぶ。「方言は武器にもなるし、足かせにもなる。常にそのせめぎ合いです」

 考えてみれば、関西出身の芸人が活躍するバラエティー番組を別にすれば、方言をテレビで耳にするのは、NHKの連続テレビ小説や大河ドラマくらいではないか。安易に伝わりやすさを追い求めた結果、テロップは言うに及ばず、言葉も平板なものになってしまっているような気がする。

 「西郷どん」では、江戸や京都で、公家や武士らが意見を戦わせ、計画を練る場面が頻繁に出てくる。それぞれの藩の事情を背負った彼らが方言で応酬し合う「異文化コミュニケーション」のシーンは見ていて飽きない。

 今後、ドラマの舞台は吉之助の島流し先、奄美大島に。吉之助はさらに言葉も文化も違う人々との触れ合いを通して、革命家として覚醒していく。明治維新から150年のタイミングで放送されている「西郷どん」だが、その多様さを含め、日本という国について改めて考えるよいきっかけになるかもしれない。(共同通信文化部・辻将邦)

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