ふるさとの喪失

 国破れて山河あり。唐代の漢詩「春望」の一節だ。戦争で国が滅びてもふるさとの風景は変わらずそこにあるとうたう▲では、国の在り方は変わらないままでふるさとの風景だけを失う思いは、どう表現すればよいだろう。昔の中国ではなく現代の私たちの話だ▲区画整理という開発手法がある。地主から土地の提供を受けて都市基盤を整備し、造成した区画を返す事業だ。地主に戻す面積を減らして新たな宅地や道路を生み出し、街を造る。元の地主も新住民も、インフラの整った環境で利便性を享受する▲ただ元の地主には、なつかしい路地や田畑の記憶がある。事前に納得していたとしても、その思いを覆すように、ふとした時に過去の景色がぽっかり脳裏によみがえる▲先祖代々の土地を提供したある人は「地形ががらりと変わったせいで、ここがふるさとだと思えなくなってしまった。目印の丘や木がなくなれば、お盆に戻ってくるはずのご先祖様の霊も、途中で道に迷ってしまうだろう」とぽつり▲慣れ親しんだふるさとの風景を永遠に喪失してしまった人は、どんな事情があっても、心の奥底にいわく言い難い沈殿を抱えるだろう。それはおそらく、個人の次元では、国が滅びることとは比較しようもなく、重く、つらく、切なく、悲しいことのはずだ。(泉)

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