【この人にこのテーマ】〈アルミ素材メーカー、アルミネの歩みと今後〉《竹内正明取締役会長》海外ロッド調達の先駆者 70年代単身で豪州・東欧へ/業容拡充の原動力に

 独立系のアルミ素材メーカー、アルミネ(大阪・東京両本社、社長・竹内猛氏)の創業は1921(大正10)年。竹内正明取締役会長の父、故竹内福一氏が大阪市西区で「竹内製造所」を興した。竹内会長は「竹内製造所の草創期は家内工業ではんだを作っていた。伸線機製造も手掛けた。親父は朝6時から仕事に励んでいた」と話しを切り出す。今年が年男の竹内会長にこれまでの半生と、業容拡充が続くアルミネの歩みなどを聞いた。(白木 毅俊)

――竹内会長は8人兄弟だそうですね。

 「そう。上3人が女、下5人が男で私は一番下の五男。親父が非常に厳しい人で、兄貴たちにももまれた。幼少期に『こんちくしょう』と思うこともあったが、この厳しい家庭環境が非常に良かった。人間形成に役立った」

 「竹内製造所の建屋は自宅兼用で間口2間、奥行6間。そこで小規模ながらはんだを製造していた。私は生まれた時からの鍛冶屋育ち。製品は松下電器産業(現パナソニック)など弱電メーカーが真空管アンプの配線で用いたり、銅製雨といの鋳掛(いかけ)などに使われた。私が家業を手伝いだしたのは1959年からで26歳だった。女房との結婚では私が養子に入った。姓名が偶然同じで気付かれはしなかったが…。養子に入った先は大阪市西区本田。60年秋に新発足した『深江金属工業』(大阪市東成区深江)では、はんだを製造した。米軍調達本部(APA)からははんだの納入業者に指定され、大量に出荷した。ただ米軍のはんだの仕事はいずれ無くなると見定めていた。いつか切れると考えていて、アルミ線を次の事業の柱とした」

――アルミ線事業は順調に立ちあがった?

 「一番の問題は素材の確保で、大変苦労した。深江金属はアルミ線メーカーとしては後発であり、作りはじめは押出メーカーに無理を言って一束30キログラムのロッドを5社から購入した。国内のアルミワイヤロッドメーカーは素材を分けてくれず、輸入ワイヤロッドに頼るしかなかった。1970年代当時、ロッドを手当するため単身で欧州には頻繁に出かけた。70年代はまさに激動の時代でね。71年7月にはニクソン米大統領の中国訪問の電撃発表、8月は米国による金ドルの交換停止(ドルショック)とこれに伴う急激な円高進行、73年の中東戦争勃発とこれに伴う第一次石油危機(オイルショック)…。電力を大量に消費するアルミ地金の必然ともいえるが、供給と価格が不安定になった」

――海外アルミロッドの調達は会長が先駆者…。

 「素材の仕入れには本当に困った。圧延機を導入したのにロッドが手に入らない。お役所(通産省)からは機械を動かすなといわれるし…。許可を得るため林義郎議員(自由民主党所属の元衆議院議員)に頼みに行きましたよ。なんとか最初は電線メーカーから買えましたが、これがいわくつきでね…。結局、国内での調達をあきらめて、豪州と東欧からロッドを調達することに。ただ、奇しくもこれが業容拡充の原動力となりました。欧州からは最初、ロシアから買うつもりだったが、ロシア企業の紹介でルーマニアに変更した。当時のルーマニアは厳格な共産主義体制下で、安全な国ではなかった。独裁的権力者として君臨したチャウシェスクは国民に殺された。金属輸出入公団(Metalimportexport)総裁と交渉して、アルミ荒引線を年間6000トン輸入する契約を結んだ。おそらく東欧までアルミロッドを探しに出た日本人は私とお世話になった三井物産の山本英宣課長(当時)くらい。東欧共産主義諸国は西側との輸出入の不均衡に苦しんでいた時で、アルミロッドの輸出はルーマニアにとって貴重な外貨の獲得源だった。後年には、ブルガリアのRudmotalからも500トンを買い付けた。ブルガリアからは当時珍しかったシベリア鉄道を利用したランドブリッジ(コンテナ輸送、鉄道・船舶・トラックなどの複数輸送モードを利用した日本・アジアと欧州・中近東・中央アジアを結ぶ国際複合一貫輸送方式)輸送も試みた。シベリアと日本の寒暖差による結露で表面腐食も発生した。ただ、深江金属では独自に荒引線のロッド表面削り取り技術を開発、製品として一級品に仕上げた。意外なことに、ブルガリアは真空炉でアルミを溶解するなど世界的にも最先端の工場だった。互いにウインウインの関係だった」

――リスキーで徒手空拳との印象ですが…。

 「ノーリスクの事業はないと思う。実際、ルーマニアとは契約の過半が不履行となり、製品を受け取っていない。製品の質も悪かった。決して徒手空拳という感じではありません。いろいろな方々にずいぶんと助けていただいた。例えばオーストラリア・コマルコ(Comalco)社。毎月700トンを融通してもらったし、社長(竹内猛氏)も同社で修行した。日本水産、伊藤ハム、丸大ハムなど食品メーカーとの取引は60年に及ぶ」

仕事への真剣さがアルミネの流儀

――足元の業容は?

 「アルミネの製造拠点は国内が三隅・川上・大阪の3工場、海外がベトナムのアルミネ・ベトナム。国内3工場の年間販売数量は合金線、合金棒、板・条合算で2万3千トン。17年3月期単独業績は売上高100億3千万円、経常利益14億6700万円。アルミネ・ベトナムは年産8千トン、年商約17億円。今期業績は単独、ベトナム事業ともに増収増益を見込む」

セールスエンジニア育成に注力

――非鉄業界では「データ改ざん問題」が発覚した。

 「アルミネでは考えられないことだ。そもそも『大企業だから間違いない』との考え方自体がおかしいのではないか。中小企業できちんと経営しているところは数多い。今回は悪いことはしないという、当たり前のことが疎かになった。そういうことをしないし、社員にさせないのが経営者の手腕だ。今回の教訓を機に、業界に携わる全社がキチンと襟を正すべきだと思う」

 「今年9月には84歳になる。長年携わってきた非鉄金属だが、つくづく思うことはアルミメーカーの経営の難しさだ。高度成長期にアルミ線メーカーは30社存在したが、今ではわずかに3社。仮に改ざんをアルミネがやった場合は会社が潰れ、従業員は路頭に迷う。アルミネでは悪い情報こそ即座に会長、社長に伝わるようになっている。社員教育による仕事の真剣さこそが、アルミネの流儀だと自負している。これが厳しい業界でなんとか生き抜いてこれた源泉なのかもしれない。アルミ合金の世界は顧客と単に取引するのではなく、顧客とともに開発していく時代だ。実は今期から仕事のボリュームは少し落としている。ただ、セールスエンジニア育成には引き続き力を入れ取り組む。3~4年先になるだろうが、三隅工場拡張時の新たな圧延機導入でも緻密に対応したいと思う」

© 株式会社鉄鋼新聞社