気泡ではない、希望を

 言葉とは、澄むか濁るか、つまり濁点のあるかないかで往々にして意味が変わる。俗言に〈タイヤは黒い、ダイヤは硬い〉とあり、〈福に徳あり 河豚(ふぐ)に毒あり〉とも言う▲そのニュースに接してハッとする。帰国を許す、と「徳」を施したようにも見せておいて、実のところはどうなのだろう。北朝鮮が拘束していた米国人3人を解放した▲「はかりごと」という「毒」がいくらか潜んでいないか。米朝会談で非核化を強硬に迫るはずの米国の姿勢を、少しばかり和らげたい。“貸し”をつくっておきたい。そんな「北」の思惑がちらつく▲トランプ米大統領が感謝の気持ちを表すと、安倍晋三首相は米国にお祝いを言い、「北朝鮮の前向きな姿勢を歓迎する」と持ち上げた。今は危なっかしい国をうかつに刺激できない。言葉を選ぶのは当たり前だとしても、口元を緩ませてはいられない▲言わずもがな、「米国人の解放」の先に見据えるのは、日本人の拉致問題の解決である。米中韓の3国から協力をどれほど得られるか。やることなすこと、はかりごとが裏に貼り付いている国をどう動かすか。拉致被害者とご家族のためになるのか、駄目になるのか、実に際どい局面に立つ▲労苦を水の泡にしてはなるまい。もたらされるべきは、気泡ではなく希望である。(徹)

© 株式会社長崎新聞社