伊能忠敬休憩之地-「伊能図」測量隊 長崎県東彼杵で昼休憩 立ち寄り先の子孫・川口さん 自宅庭に記念碑

 「伊能忠敬休憩之地」-。長崎県東彼東彼杵町口木田郷の川口正志さん(62)方には、全国を歩き、日本初の実測地図を作った伊能忠敬(1745~1818年)の測量隊が骨休めしたことを伝えるささやかな記念碑がある。川口さんが独自の調査を基に建立。伊能の没後200年を記念し、4月に東京で開かれた顕彰会で「測量協力者」の子孫として感謝状を受けた。
 数年前、町の歴史講座に参加した川口さんは、江戸時代に参勤交代で使われた「平戸街道」が自宅のそばを通っていたことを知り、興味を持った。調べるうちに、街道沿いを測量した伊能の日記から「文化9(1812)年12月1日、口木田郷の郷士・川口六右衞門宅で昼休憩」との記述を見つけた。郷士とは、武士の身分を持った農民。曽祖父が昭和初期に記したとみられる覚書には「川口家は平家の流れを汲(く)む士族」とあり、郷内に川口姓は1軒しかないことから「六右衞門は先祖かもしれない」と考え、詳しく調べた。
 大村市立歴史資料館に出向き、江戸時代の大村藩士の家系図をまとめた「新撰(しんせん)士系録」をひもとくと「川口六右衞門」の家系図が確かにあった。その子孫として記された「川口節右衛門」の名が、幕末に編まれた「大村郷村記」の彼杵村の項にあったことから、この家系が先祖である可能性が高いと結論づけた。
 こうした研究成果を踏まえ2年前、自宅庭に記念碑を建てた。全国各地で地図作りを支えた人々の子孫を探していた民間の研究グループ「伊能忠敬研究会」に報告したところ、顕彰会に招かれ、各地の「協力者」の子孫約100人の一人として感謝状をもらった。川口さんは「全国津々浦々を歩き、大勢の協力を得ながら地図を完成させた偉業にあらためて感動した。家に立ち寄っただけでも光栄なことで誇りに思う。孫にも伝えていきたい」と話した。

自らが建てた「伊能忠敬休憩之地」の記念碑の前で感謝状を持つ川口さん=東彼杵町口木田郷
伊能が記したとされる「測量日記」の一部。4行目末尾から5行目頭にかけて「口木田郷 昼休み 郷士 川口六右衞門」とある(「伊能忠敬研究会」の資料より)

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