高校野球連載 木本芳雄 母校への恨みが原動力

 24歳の青年が創部5年目の学校を率い、夏の甲子園初出場で初優勝。1971年に桐蔭学園監督の木本芳雄さん(72)が勝ち取った日本一は、偉業という言葉では言い足りない快挙だった。

 原動力は、母校への恨みだった。

 駒大3年時に母校武相の実質的な監督を任されていた木本さん。当時の武相は5年間で4度夏の神奈川を制する黄金期を迎えていた。だが卒業時には“大人の事情”で別の人が監督に就任した。

 木本さんははしごを外された形で桐蔭の監督に。そこでの思いは一つ。「絶対に武相を倒す」である。

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 高校野球の夏の甲子園が今年、100回大会を迎える。全国屈指の激戦区神奈川の魅力を探る100回連載の最後を飾る「名指導者編」は、24歳で夏の甲子園初出場初優勝を成し遂げた木本芳雄さんの登場です。

71年夏、監督として初となる甲子園でブロックサインを送る木本

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