『The SUN』は12日、「セルティックの監督を務めるブレンダン・ロジャーズ氏は、中国からのオファーを断っていたと話した」と報じた。
かつてリヴァプールでプレミアリーグ優勝に近づいたことで知られるロジャーズ監督。
2015-16シーズン途中で解任されたが、次年度にセルティックの監督に就任。スコットランドリーグ2連覇を達成している。
彼はこの栄光に彩られた2年間を振り返り、以下のように話したとのことだ。
ブレンダン・ロジャーズ (2年前、中国超級リーグからオファーがあった。セルティックを選んだのはなぜ?)
「多くの人々が、『やめておけ』と言っていたんだよ。
プレミアリーグに行くという選択肢もあった。そして中国に行くという選択肢もあった。そうすれば、凄まじい額のお金を手に入れられた。
しかし、私はセルティックのサポーターだったからね。このクラブの規模を知っている。
私は期待を知っていた。このクラブのファンベースを知っていたんだ。
また、チャンピオンズリーグでプレーできるチャンスがあることもわかっていた。
そして、優勝する機会があることもわかっていたんだ。
なにより、セルティックは私のための場所であると思っていた。とても幸運なことだったね」
(2015年10月にリヴァプールを解任された。その後は?)
「10月にリヴァプールを離れることになった。シーズンの早い段階で、まだ8試合が終わったばかりだったね。
マージーサイドダービーが終わったあと、日曜日の夕方に電話がかかってきた。
オーナーは、変更を行う必要があると感じていた。私はその決定を受け入れた。もはやリヴァプールの監督ではなくなっていた。
月曜日にはもうほかのオファーが舞い込んでいた。
しかし、私は常に『シーズンの初めからやれるチームに行きたい』と感じていたんだ。
そして、まずは休息が必要だった。仕事から離れる時間がね。
リヴァプールは感情的なローラーコースターだった。とんでもなく巨大なクラブだ。世界でも最も偉大な。そこから離れるのは難しかった。
そこでの一分一秒を楽しんでいたよ。しかし、それも通り過ぎていくものだ。
そこから離れて、リヴァプールでの時間を思い返したかった。ただ、それは自分の力を取り戻すためだった。
エネルギーや幸せをもつことは、あらゆる監督にとって肝心なものになる。私はそう信じているのだ。
もしモチベーションと幸せがあれば、より良い仕事ができるものさ。
すこしエンジンを休ませて、子どもたちと時間を過ごし、妻と旅行をしてから、新年にサッカーへ戻ってきた。
スペインに一週間行って、それからドバイへ飛んだ。そこでの数日で、病院に行かなくてはならなかった。
あらゆる検査を行った。体にいくつかの問題を抱えていたのだとわかったよ。あの仕事で何が起こったのか。自分の人生に何があったのか。
リヴァプールで自分の時間を過ごしている間に、起こったすべてのこと。私はとても緊張していた。それほど張り詰めていたということだったんだ」
(セルティックとの契約は2021年までだね)
「すべての試合、すべての大会で勝つために最善を尽くしていくつもりだ。
欧州の舞台では、より一貫性ある戦いをしたい。もちろんチャンピオンズリーグの常連になりたいね。
そして、すべてを受け入れたいよ。こんな象徴的なクラブにいることが、幸福を感じさせてくれるんだ」