【東海カーボンが創立100周年】電極供給で電炉業界の発展支える

 電炉用黒鉛電極の製造大手、東海カーボンが4月8日に創立100周年を迎えた。同社は現在、電極をはじめとする各種炭素製品を製造・販売する総合炭素製品メーカーとして成長を続けているが、ルーツは電極。電炉鋼生産に欠かせない電極の供給を通じて、日本鉄鋼業の発展を支えてきた。環境変化への対応力と、技術力向上へのあくなき取り組みが、100年の歴史を刻む原動力となった。

100年目の初心

 東海カーボンは先月、100周年を機にコーポレートサイトを全面刷新した。企業理念を示すタグラインには「技術と信頼で 未来に答えを」。サブタイトルは「100年目の初心」とした。

 まさに初心といえるのが、創業の原点である電極製造だ。同社の発足は1918(大正7)年4月。その2年前に発足した電気製鋼所(現大同特殊鋼)の設立にかかわった寒川恒貞が東海電極製造を立ち上げたのが始まりだ。

 当時、東海地区では大型水力発電所で発電した余剰電気の供給先確保が課題となっていた。電気製鋼所の発足もその一つの答えだった。これに続き炭素工業での活用案が浮上、電気製鋼所への電極供給という一石二鳥の解決策として、電極メーカーの立ち上げが計画された。当時は電炉用電極のほとんどを海外品に頼っており、電極国産化への挑戦でもあった。東海カーボンは、同時期に発足した日本カーボン、東洋カーボン(のちに東海カーボンと合併)などとともに、国産の高品質電極製造のパイオニアの1社だ。

電炉の競争力強化、品質向上で支援

 電気炉で1トンの製鋼をつくる際、電極がどのくらい必要となるかを示す指標が電極消費原単位。現在は1~2キログラムが一般的だが、30~40年前は5キログラム。今の4~5倍の電極が必要だった計算で、原単位低下は電炉メーカーのコスト競争力向上に大きく貢献した。

 原単位低下の最大の要因は80年代後半から急激に進んだ大型直流電炉(DC炉)の普及と、電炉メーカーによる操業改善。これに加え、電極の大径化、品質向上も大きかった。東海カーボンはこの時期、大型DC炉用の高品質電極の開発・実用化、量産化に成功した。

 89年に稼働した東京製鉄・九州工場の130トン炉では、当時国内で初めて28インチの大径電極が採用され、東海カーボンが主要供給メーカーの1社に。その後、共英製鋼や中山製鋼所、関西ビレットセンターなどが導入した大型DC炉でも大径電極が相次ぎ採用された。大径電極の製造ノウハウはその後、30インチ、32インチ電極へとつながっていく。

電極、日米欧に生産拠点

 80年代の円高不況、90年以降の海外電極メーカーの対日輸出攻勢など、電極業界はいくつもの逆風にさらされた。東海カーボンがこうした中で100年にわたり事業を継続できたのは、経営環境の変化に迅速かつ柔軟に対応できたからだ。

 円高不況時は国内生産体制の抜本見直し、石炭系原料の利用技術開発などに取り組んだ。輸入電極の流入による価格低下局面では、92年の東洋カーボンとの合併など業界再編を主導し、コスト競争力の維持・強化につなげた。また、電極製造で培った技術を応用して、ファインカーボンなど高品質炭素製品など炭素工業の分野で事業領域を広げた。

 電極事業では昨年、悲願だった米国への進出を果たした。これで日本、欧州(ドイツ)、北米の3極に生産拠点を構え、年間10万トン近い生産能力を持つ世界3位グループに浮上した。

 電炉鋼プロセスは「鉄」の再資源化を推進する上で重要な生産手法。中国をはじめとする新興国では今、鉄スクラップの備蓄が急速に進んでおり、電炉産業はさらに発展を続ける見通しだ。電極の有力サプライヤーである東海カーボンへの期待はますます強まりそうだ。(高田 潤)

長坂一社長に聞く、今後の戦略/「鉄鋼業あっての東海カーボン」/「炭素」にこだわり技術力ベースで事業展開

東海カーボンは現在、電極事業の強化策に加え、炭素事業をベースとした成長分野への投資を積極的に進めている。長坂一社長に創業100年の受け止めと、電極事業の今後の戦略を聞いた。

――100周年をどのように受け止めていますか。

 「100年にわたりものづくり企業を継続できたのは、高い技術力を維持できたことに尽きる。その意味で技術向上を間断なく推進してきた先人への感謝の気持ちを改めて強くしている。当社は長年にわたり電極とカーボンブラックの両輪で会社を回してきた。100周年を迎えた今、その両事業がきちんと回っていることを考えると、非常に感慨深い」

 「当社のルーツは電極。100年にわたり品質改善の努力を続けてこれたのは、鉄鋼業界の支えがあったから。その意味で鉄鋼業あっての東海カーボンと言ってもよい」

東海カーボン・長坂社長

――社長に就任した15年以降、電極事業では生産能力削減などを通じた構造改革、海外事業の強化策を推進してきました。

 「この3年間は激動の時代だった。構造不況業種といえる電極事業をどう立て直すのか。膿をどう出すのか、それを考え、実行した3年。幸い2年目から効果が出始め、中国発の需要増もあって足元は順調に推移している」

――発足100年を一里塚として、その先も発展を続けていくためには何が必要でしょうか。

 「100年の歴史の中では、異業種に進出したこともあったが、結果的にはうまくいかなかった。やはり餅は餅屋。地味かもしれないが、『炭素』という領域にこだわり、技術力をベースにした事業展開を図っていくしかないと思う」

――電極事業については。

 「電極をめぐる環境は足元で好調で、こうした状況は4、5年は続くとみている。しかし、浮かれてはいけない。品質向上の取り組みに終わりはないし、老朽化が進んでいる製造設備の更新問題も抱えている。設備問題は顧客への供給責任を果たす上で避けては通れない。ニードルコークスなど原料の調達も課題となっている。今後も、電炉メーカー、原料メーカーとともに、『ウィン・ウィン』の関係を築きながら発展していきたい」

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