高校野球連載 桐蔭出身の名伯楽 大久保秀昭(慶大)、善波達也(明大)、

 春夏合わせて11度の甲子園出場を誇る桐蔭学園出身の指導者が大学野球界で活躍している。明大・善波達也(1981年卒)、桐蔭横浜大・齊藤博久(84年卒)、慶大・大久保秀昭(88年卒)の3人だ。現役時代はいずれも捕手として活躍。「TOIN」の伝統を受け継ぎ、後進を育てる名伯楽たちの思いとは-。

 桐蔭学園-慶大-日本石油(現JX-ENEOS)、そしてプロへ。華の東京六大学リーグと都市対抗大会でキャプテンや捕手として、そして監督としても頂点に立ち、アトランタ五輪では銀メダルを獲得した。今春も今月26日に六大学リーグを制したばかり。誰もがうらやむエリート街道を歩む大久保秀昭(48)にも、一つだけつかめなかったものがある。

 「あの時の俺たちは絶対、甲子園に行けると思ったよ」。日に焼けて黒光りするほおを緩めて31年前の夏を思い返し、今でもそう信じて疑わない。

 母校の明大を率いて11年目の善波達也(55)の原点もまた、全国屈指の激戦区でもまれた桐蔭学園時代にある。東京六大学リーグで春秋8度の優勝を飾り、昨夏は大学日本代表をユニバーシアードで世界一に導いた。

 入学したのは1978年。鬼監督として知られた木本芳雄が同校を指揮して成し遂げた甲子園初出場初優勝の快挙から7年の月日が流れていた。

 まず面食らったのが、毎年6月に2週間にわたって行われる校内合宿だった。早朝4時に始まる午前練習では投内連係、サインプレーを徹底的に染み込ませ、その後はノック50分3セットに球追いのランメニュー。日が落ちてからも過酷な練習は続いた。

 「体力的に追い込んでいくような内容でしたね。最初の年はとにかく無我夢中。夏の7試合、8試合を勝ち抜くにはこれだけの体力がないといけないんだという感じでした」

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 高校野球の夏の甲子園が今年、100回大会を迎える。全国屈指の激戦区神奈川の魅力をさぐる100回連載の最後を飾る「名指導者編」は、桐蔭出身の名伯楽、大久保秀昭さんと善波達也さんです。

左から、大久保秀昭(慶大)、善波達也(明大)

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