両腕失った男性「手で首絞めた容疑」 あまりに不条理なロシアの司法

By 太田清

アスラン・イリトフさん。ロシアの人権団体「拷問に反対」のユーチューブの動画から

 ロシア南部カバルダ・バルカル共和国の首都ナリチクで、地元政府の不正な土地売却に抗議する市民グループのリーダーの男性が拘束され、自宅軟禁となった。容疑は「警察の特殊部隊員の首を両手の指で絞め、けがを負わせた」というもので、罪名は日本の公務執行妨害に当たる罪。普通であればニュースにもならない刑事事件のはずだが、ロシアで大きな反響を呼んでいる。男性は左右の前腕の一部と手を失った障害者だったからだ。 

 ロシアのニュースサイト「レンタ・ルー」などによると、男性は市民団体「自由な村」リーダーのアスラン・イリトフさんで、地元政府による元国営農場の土地売却を不法とし、抗議活動を続けていた。事件は昨年10月31日に発生。同団体がナリチクで大規模な抗議集会を計画していたところ、警察が許可を得ていない集会を企図した容疑でイリトフさんの自宅に来たのだ。 

 イリトフさんと家族は警官が自宅に入るのを拒否、隣に住む兄弟の男性も騒ぎに気付き駆け付けた。イリトフさんと男性ら、多数の特殊部隊員との間でもみ合いとなり、2人は拘束され連行された。この騒ぎで男性はろっ骨を、イリトフさんの妻は指を骨折した。当初の容疑はイリトフさんが特殊部隊員の首を絞め、隊員の唇や頭部にけがを負わせたという内容。裁判所も同容疑での拘束と留置を認めた。しかしその後、「両腕がないのに、どうやって首を絞められるのか」とのイリトフさんらの抗議を受け、警察はイリトフさんが隊員に頭突きをしたと容疑内容を変更した。 

 騒ぎの様子は警察とイリトフさんの娘がビデオに撮影しており、それを見ると、多数の警察が一方的にイリトフさんらを殴った上で押さえつけ、イリトフさんが「頭突き」をした様子はない。またイリトフさんの弁護人によると、頭突きを受けたとされる隊員は騒ぎに加わっておらず、遠目に様子を見ていただけとしている。ビデオを見た複数の法医学専門家らも、イリトフさんが暴行を働くことは不可能だったと結論付けた。 

 警察が当初、なぜ両腕のないイリトフさんが「首を絞めた」とする根拠のない容疑を持ち出したかは不明だが、あまり深く考えないままに(!)、ただ単に拘束のための容疑をでっちあげた可能性もある。事件は30日までに法廷での審理が始まり今後、司法の場で真相が解明される。 

 ロシアでは今年2月、「ロシアのイーロン・マスク」とも呼ばれた起業家男性が留置施設内で首をつって死んでいるのが見つかり当初は自殺とされていたが、一部メディアが電気ショックや性的暴行を受け殺害された疑いが強まったと報じたばかり。こうした事件を見ていると、地方政府の腐敗と不条理な司法を描いたアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の「裁かれるは善人のみ」(ロシア語の原題「レビアファン」)の世界が映画だけでなく、ロシアで現実に存在することを実感させられるのだ。 (共同通信=太田清)

© 一般社団法人共同通信社